FC2ブログ

散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

鑑賞

夢酔、これまで足を運んだことはなかったけど、一度は来たくてたまらなかった場所が中津川にございました。
それが、苗木城です。DSCF3867.jpg
城へ行ったら、みんな頼むぞ。
これは必要なことだし、使用する人もそのつもりでよろしくお願いするところでござる。
維持は、お金では代えがたい根気で支えられています!DSCF3826.jpg

苗木城、基本的に江戸時代のつもりで保存や、観光になっていますが、夢酔の目には、ここが戦国の国境係争地最前線に見えるのです!
191102_105246.jpg
山の向こうは、南信州。DSCF3860.jpg
神坂峠を越えてくるものは・・・武田信玄(。Д゚; 三 ;゚Д゚)DSCF3859.jpg


苗木城の遠山氏は、両属関係で武田とも結んだといわれます。国境の一族としては、当然の延命策なのです。
合わせ鏡のように、木曾氏もいます。武田の勢いが失われた時に木曾氏は織田信長に通じますが、これも当時の生きるうえでの常識。裏切り者は卑怯という誹謗は江戸時代になってからの道徳観で、木曾や小山田に目くじら立てることは間違いです。頼りがいがなくなった奴こそ悪い。弱肉強食、それが戦国のルールなのです。



一時期の山城ブームよりは下火になったと思いますが、観光客が多いです。
このブーム以前は、みんな岩村城で女城主萌えしてたのではないでしょうか。ブーム前から着目していた苗木城、もっと閑散ななかで鑑賞したかったというのは、贅沢な悩みかもしれません。少なくともブームが城を綺麗に維持しているのですから。おなじ国史跡でも、千葉の里見城跡は整備にまだまだほど遠い。立派な取り組みに有難みを覚えてござる。DSCF3839.jpg


苗木城。
小山田信茂を題材としたお蔵入り作品では、かなりのウェイトで取り上げています。
ここでは少しだけ、ご紹介しますね。

 三月、秋山伯耆守信友率いる伊那勢は、信玄の命令で木曽谷に布陣した。木曽伊予守義昌は信玄の娘婿であり、美濃の国境を固める重要な役目を負っていた。秋山信友が軍勢を率いてきたことは、何かしらの軍事行動を意味している。
 既に飛騨へ軍勢を送り込む信玄である。
 木曽布陣の目的は、ひとつしかない。
 追って援軍が木曽谷に到着した。諏訪の軍勢である。先頭に立つのは、諏訪勝頼だった。勝頼は信玄の伝言を託されている。その驚愕の指示に、秋山信友は緊張した。
「ただちに東美濃へ攻め入るべし。総大将は秋山伯耆守、寄騎は木曽伊予守、儂はその手並みを学ぶものなり」
「承って候」
 旧暦三月を新暦に正せば五月初旬。既に山岳から雪は消えて往還に支障はない。木曽から東美濃への路は、木曽川沿いに下るのが最短であり確実だ。そして東美濃は織田信長が抑えて日も浅い。信玄の指示は、ただひとつ、急襲だった。
 秋山信友を総大将とする武田勢は福島城を発ち、一気に苗木城へ向かった。苗木城主・遠山左近直廉は城門を開いて、これを迎え入れた。
 武田が早くから美濃へ勢力を伸ばしていたことは、余り知られていない。この遠山直廉と、兄で岩村城主・遠山左衛門尉景任は、武田斎藤両属の関係だった。武田信玄と斎藤道三の狭間で生き存えた一族だ。そして現在は、東美濃へ侵攻する織田信長にも属し、悪くいえば三枚舌のような延命策を執っている。しかし、大国に挟まれた国境の豪族にとって、これ以外の生き方はない。
「ごゆるりと」
 遠山直廉は主立った将へ井戸水を差し出した。山地とはいえ、晴れたら暑い。
「かたじけない、勘太郎殿」
 秋山信友は南信濃を任されているだけあって、国境の豪族たちの立場をよく理解している。勝頼は無愛想に水を干しながら、甲斐甲斐しく椀を配る姫を目で追った。遠山直廉の娘だと、秋山信友は耳打ちした。痩せた臀部を目で追いながら、勝頼は鼻を鳴らした。
 武田勢が苗木城に入ったという報せは、ただちに小牧山城に達した。
 織田信長は蒼白になり、思わず立ち上がった。いまの信長は武田勢と直接戦うつもりがない。突然の出来事が青天の霹靂となって、信長を震え上がらせた。
「戦って勝てる相手ではねえだがや。早急に講和に持ち込む糸口を見つけるべし」
 そう叫びつつ、自ら前線の状況を見定めるため、僅かな手勢を率いて小牧山を発った。多くの重臣や軍勢は稲葉山攻略のために割いており、このとき信長の周囲にある従来兵力は乏しい。新規に抱えた東美濃の豪族が大半を占めた。対応を誤れば信長は彼らに討たれかねなかったが、他に頼る者がなかった。松平家康へ救援を求めたが、遠方からの支援をあてには出来ない。
 武田勢の進軍は続いていた。
 苗木城を発ったのちは木曽川を離れて、東山道に従い進んだ。道々では一切の抵抗がない。唯一、布陣の陣幕がある山城があると報せがあり、秋山信友はその場所を質した。
「神箆城にござる」
「神箆城か……」
 秋山信友は斥候が戻るのを確認してから、布陣を命じた。軍勢を留めた場所は、後に釜戸陣屋と呼ばれる丘陵部だ。そこよりおよそ半里先に見える神箆城は、旗差を並べて徹底抗戦の意思を示していた。その戦力が如何ほどのものか、秋山信友は情報の入手を急いだ。直ちに周辺の百姓や商人に金をばらまき、些細なことでも知ろうと試みた。
「力押しで潰せるだろう?」
 勝頼が首を傾げた。
「あの城は山の上にござる。高所の敵を攻めて無駄な損耗することは愚かなこと。戦わずして勝つことこそ大義なり。これは御館様が常に心掛けていることずら」
「迅速に、と云われている」
「ゆえに敵のことを知る必要がござる。内通を謀れれば、なおよし」
 神箆城。
 高野城とも鶴ヶ城とも呼ばれ、土岐川西岸の山地にあって南東に張り出した尾根の頂部に主郭を持つ。まさに見た目が鶴翼の如し。ここを登る無益より、調略で切り崩す術があれば損耗を防ぐことが出来る。この教えは信玄のものというより、山本勘助によるところが大きい。秋山信友もまた、勘助に薫陶された一人だった。
 このときの対陣を記す史料は『信長公記』による。これを〈高野口合戦〉というが、実態は明瞭ではない。作者が二〇一五年に瑞浪市に照会したところ、やはり明確を知るに至らなかった。小さな局地戦でありながら、東美濃の支配を巡り武田・織田が直接の武力衝突に及んだ唯一の合戦であることは注目に値する。その合戦を短期収束させることが、美濃平定も儘ならぬ当時の織田信長を量る物差といえた。


このとき勝頼が見知った遠山の姫が、のちの勝頼正室、信勝生母となるのです。

191102_103126.jpg









戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
 皆さまの温かいご声援をお願いします。


公式HPはこちら里見氏大河ドラマ化実行委員会

ポスター
 署名用紙はこちらに収納しております。
 活動の趣旨に御賛同いただけましたら、是非、こちらの署名用紙をプリントアウトのうえ、支援の程よろしくお願いします!


人気ブログランキングへ


にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村
スポンサーサイト



  1. 2019/11/07(木) 07:09:50|
  2. 閑話休題
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<房総時間 | ホーム | 鑑賞>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://musuitouzan.blog.fc2.com/tb.php/430-e5adf1f6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)