散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

シリーズ・関ヶ原と里見家 7

 天下分け目の関ヶ原。
 通説では徳川家康の天下取りとされますが、冷静に俯瞰してみると、これは豊臣政権下での家臣同士の諍い。諸説云々ございますが、この天下の一戦で豊臣家が弱体したことも事実。
 日本中の大名が二派へと別れて、激突した。
 総じて、これを〈関ヶ原合戦〉と、後世語られております。


 上杉景勝にとって、徳川家康との一戦に勝機は見えたのでしょうか。
 越後より転封した会津黒川城。蒲生氏郷のあとに入城したこの場をみて、景勝は拡張の難しさを感じ、家老・直江山城守景続に拠点を遷すよう命じました。それが、幻の城とされる〈神指城〉です。
盆地中央で阿賀川畔にあたる神指ヶ原の城、という立地条件で急ピッチに築城が急がれました。
 兼続は実弟・大国実頼を作事奉行とし、慶長5年(1600年)3月18日から本丸築城を開始します。そのため、会津の新しい拠点とするために障害となる居住民の移住を指図しました。
『塔寺長帳』曰く、このとき神指ヶ原13ヶ村は強制的に移住させられたと記されています。『塔寺長帳』には
「十三の村引き倒し」
とあり、西城戸・東城戸・小見・天満・如来堂・鍛冶屋敷・深川・柳原・高瀬・上神指・東神指・下神指・横沼の13村と思われます。そのうえで、領内8~12万人もの普請人足を動員しました。本丸と別に二の丸の工事は5月10日から始まり、石垣・土塁・堀・門等は6月1日に完成させました。

 世に有名な〈直江状〉。
 これが上杉討伐を決定づけたとされますが、冷静に読み解くと
「因縁を吹っ掛けられても当方に叛意なし。それでも攻めるというのなら、存分に迎え撃つ」
という、実に潔い反問の書です。

  一.尤も余儀なき儀に候、併して京・伏見の間に於てさへ、
    色々の沙汰止む時なく候、況んや遠国の景勝弱輩と云ひ、
    似合いたる雑説と存じ候、苦しからざる儀に候、
    尊慮易かるべく候、定て連々聞召さるべく候事。
  一.景勝上洛延引に付何かと申廻り候由不審に候、
    去々年国替程なく上洛、去年九月下国、当年正月時分上洛申され候ては、
    何の間に仕置等申付らるべく候、
    就中当国は雪国にて十月より三月迄は何事も罷成らず候間、
    当国の案内者に御尋ねあるべく候、
    然らば何者が景勝逆心具に存じ候て申成し候と推量せしめ候事。
  一.景勝別心無きに於ては誓詞を以てなりとも申さるべき由、
    去年以来数通の起請文反古になり候由、重て入らざる事。
  一.太閤以来景勝律儀の仁と思召し候由、今以て別儀あるべからず候、
    世上の朝変暮化には相違候事。
  一.景勝心中毛頭別心これなく候へども、讒人の申成し御糾明なく、
    逆心と思召す処是非に及ばず候、
    兼て又御等閑なき様に候はば、讒者御引合せ是非御尋ね然るべく候、
    左様これなく候内府様御表裏と存ずべく候事。
  一.北国肥前殿の儀思召のままに仰付られ候、御威光浅からざる事。
  一.増右・大刑少御出頭の由委細承り及び候、珍重に候、
    自然用所の儀候へば申越すべく候、榊式太は景勝表向の取次にて候、
    然らば景勝逆心歴然に候へば、一往御意見に及んでこその筋目、
    内府様御為にも罷成るべく候処に、左様の分別こそ存届けず候へども、
    讒人の堀監物奏者を仕られ、
    種々の才覚を以て妨げ申さるべき事にはこれなく候、
    忠信か、佞心か、御分別次第重て頼入るべく候事。
  一.第一雑説ゆえ上洛延引候御断り、右に申宣べる如に候事。
  一.第二武具集候こと、
    上方の武士は今焼・炭取・瓢べ以下人たらし道具御所持候、
    田舎武士は鉄砲弓箭の道具支度申し候、
    其国々の風俗と思召し御不審あるまじく候、
    不似合の道具を用意申され候へば、
    景勝不届の分際何程の事これあるべく候や、
    天下に不似合の御沙汰と存じ候事。
  一.第三道作り、船橋申付られ、往還の煩なきようにと存ぜらるるは、
    国を持たるる役に候条此の如くに候、越国に於ても舟橋道作り候、
    然らば端々残ってこれあるべく候、淵底堀監物存ずべく候、
    当国へ罷り移られての仕置にこれなきことに候、
    本国と云ひ、久太郎踏みつぶし候に何の手間入るべく候や、
    道作までにも行立たず候、景勝領分会津の儀は申すに及ばず、
    上野・下野・岩城・相馬・正宗領・最上・由利・仙北に相境へ、
    何れも道作同前に候、自余の衆は 何とも申されず候、
    堀監物ばかり道作に畏れ候て、色々申鳴らし候、
    よくよく弓箭を知らざる無分別者と思召さるべく候、
    縦とへ他国へ罷出で候とも、一方にて景勝相当の出勢罷成るべく候へ、
    中々是非に及ばざるうつけ者と存じ候、
    景勝領分道作申付くる体たらく、
    江戸より切々御使者白河口の体御見分為すべく候、
    その外奥筋へも御使者上下致し候条、御尋ね尤もに候、
    御不審候はば御使者下され、所々境目を御見させ、合点参るべく候事。
  一.景勝事当年三月謙信追善に相当り候間、左様の隙を明け、
    夏中御見舞の為上洛仕らる べく内存に候、武具以下国の覚、
    仕置の為に候間、在国中きっと相調い候様にと用意申され 候処、
    増右・大刑少より御使者申分されは、景勝逆心不穏便に候間、
    別心なきに於ては上洛尤もの由、内府様御内証の由、
    迚も内府様御等間なく候はば、讒人申分有らまし仰せ越され、
    きっと御糾明候てこそ御懇切の験したるべき処に、
    意趣逆心なしと申唱へ候間、
    別心なきに於ては上洛候へなどと、乳呑子の会釈、是非に及ばず候、
    昨日まで逆心企てる者も、其行はずれ候へば、知らぬ顔にて上洛仕り、
    或は縁辺、或は新知行など取り、
    不足を顧みざる人と交り仕り候当世風は、景勝身上には不相応に候、
    心中別心なく候へども、逆心天下にその隠れなく候、
    妄りに上洛、累代弓箭の覚まで失い候条、
    讒人引合御糾明これなくんば、上洛罷成るまじく候、
    右の趣景勝理か否か、尊慮過すべからず候、
    就中景勝家中藤田能登守と申す者、
    七月半ばに当国を引切り、江戸へ罷移り、それより上洛候、
    万事は知れ申すべく候、景勝罷違い候か、内府様御表裏か、
    世上御沙汰次第に候事。
  一.千言万句も入らず候、景勝毛頭別心これなく候、
    上洛の儀は罷成らざる様に御仕掛け候条、是非に及ばず候、
    内府様御分別次第上洛申さるべく候、
    たとえこのまま在国申され候とも、太閤様御置目に相背き、
    数通の起請文反故になり、御幼少の秀頼様へ首尾なく仕られ、
    此方より手出し候て天下の主になられ候ても、悪人の名逃れず候条、
    末代の恥辱と為すべく候、此処の遠慮なく此事を仕られ候や、
    御心易かるべく候、但し讒人の儀を思召し、
    不義の 御扱に於ては是非に及ばず候間、誓言も堅約も入るまじき事。
  一.爰許に於て景勝逆心と申唱え候間、燐国に於て、
    会津働とて触れ廻り、或は人数、或は兵粮を支度候へども、
    無分別者の仕事に候条、聞くも入らず候事。
  一.内府様へ使者を以てなりとも申宣ぶべく候へども、
    燐国より讒人打ち詰め種々申成し、家中よりも藤田能登守引切候条、
    表裏第一の御沙汰あるべく候事、
    右条々御糾明なくんば申上られまじき由に存じ候、
    全く疎意なく通じ、折ふし御取成し、我らに於て畏入るべきこと。
  一.何事も遠国ながら校量仕り候有様も、嘘のように罷成り候、
    申すまでもなく候へども、御目にかけられ候上申入れ候、
    天下に於て黒白御存知の儀に候間、仰越され候へば実儀と存ずべく候、
    御心安きまま、むさと書き進じ候、慮外少なからず候へども、
    愚慮申述べ候、尊慮を得べきためその憚りを顧みず候由、
    侍者奏達、恐惶謹言。

 この直江状に至る、詰問のきっかけとなったのが、神指城の普請だったわけです。
 直江状により怒り心頭の家康は、上杉討伐の号令を発することとなりました。
 天守の着工に入る前の出来事です。防衛が急務となったことにより、6月10日、神指城普請は中断され、この一連の騒動ののちに廃城となるのです。
 完成をみることなく放棄された、不幸な城だったわけですね。
 これがもし完成し、上杉景勝自らが城主として留まれば、上杉攻めに向かってくる徳川連合軍を正面から迎え撃つこととなったでしょう。
 しかし景勝は、会津征伐軍の途上にある白河城の修築を優先したのです。この思い切りのよさが、戦国の常識だったのかも知れません。浪費したことに固執し、損しても実をとる。現代人には容易にできない戦略です。
 
 歴女好みでいえば、兼続は義の人である。家康こそ悪党である。そういう構図になるようです。
 しかし、古今東西、戦略とはそういう云い掛かりから始まるものなのです。
 現に豊臣家を滅亡に追いやる一件も、発端は方広寺の釣鐘の単語。知ってて鋳造させ、完成して鋳つぶせない頃合いをみて〈君臣豊楽〉〈国家安康〉を持ち出してきたことは、多くの日本人が知るところ。
 戦さの大半は、弓矢以前のところが主。
 弓矢で決する幻想はのちに講談師が脚色しただけのこと。
 結城秀康が宇都宮城に留まる以前から、徳川と上杉は、激しい攻防戦を交えていたのです。
 現代の日本政府の脆弱性は、この面からみても庶民に感じ取れるんじゃないですか?交渉以前に負けてますよね。ちょっと底意地悪い老獪なリーダーが出てくると、日本人は持ち前の生真面目さと義侠心で一致団結してしまう。明治の頃までの旧日本軍の強さは、きっと、そういうところがバックボーンだったと思いますよ。だから、いまの日本は、世界になめられてしまう。

 直江状のように、困難を受けて立つ反骨。
 家康のように、勝機を揺さぶる計略。
 弓矢のことで徒に兵の命を損なわぬ駆引きの延長線が、戦闘です。
 その点で云えば、結城秀康は宇都宮に据え置かれた名代人形のようなものだったでしょう。家康の後退後、上杉景勝も前線から後退してしまいますが、その態度には、
「名代人形とつきあう暇はない」
という、やはり反骨があったように感じてなりません。



                  ◆    ◆    ◆



 お知らせです。


 倉吉せきがね里見まつり

 里見忠義終焉の地・鳥取県倉吉市。
 毎年9月第一日曜日に開催されます。東国の方は、その遠さを噛み締めることで、この地に流された里見家最後の当主の心中を実感できるのではないでしょうか?


  開催日  平成24年9月2日(日)
  開催場所 倉吉市関金町 山守小学校周辺
   お問い合せ
  「倉吉せきがね里見まつり」
    倉吉せきがね里見まつり実施委員会(倉吉市市民参画課内)
   TEL:0858-22-8159
  「里見時代行列」
    倉吉里見手作り甲冑愛好会(NPO法人養生の郷内 )
   TEL:0858-45-3988
今年の里見忠義公役は、、「ナボリンS」のCMで、沢村一樹さんと共演なさっている「三咲順子」さんがつとめてくださる予定です。温かいご声援をお願いします。



 南総里見まつり

 里見氏の本拠地・安房館山。
 第31回の里見まつりを、ご堪能ください!


  開催日  平成24年10月13日(土)~14日(日)
  開催場所 平成24年10月13日(土) 
  館山駅西口ロータリー及び北条海岸特設会場
  平成24年10月14日(日) 城山公園
   お問い合せ
   一般社団法人 館山市観光協会
   TEL:0470-22-2000



                  ◆    ◆    ◆



戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
 皆さまの温かいご声援をお願いします。

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 署名用紙はこちらに収納しております。
 活動の趣旨に御賛同いただけましたら、是非、こちらの署名用紙をプリントアウトのうえ、支援の程よろしくお願いします!
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  1. 2012/07/30(月) 04:52:58|
  2. 随筆・あっそう!里見発見伝
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
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