散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

シリーズ・関ヶ原と里見家 5

 天下分け目の関ヶ原。
 通説では徳川家康の天下取りとされますが、冷静に俯瞰してみると、これは豊臣政権下での家臣同士の諍い。諸説云々ございますが、この天下の一戦で豊臣家が弱体したことも事実。
 日本中の大名が二派へと別れて、激突した。
 総じて、これを〈関ヶ原合戦〉と、後世語られております。


 宇都宮城を本陣とした対上杉戦。
 総大将・結城秀康とはどのような人物だったのでしょう。

 結城市が発行している「結城市史」は、数冊に及ぶボリュームで、形態的には近傍の古河市のそれと似たスタイルです。夢酔、結城氏のことを暫く調べたこともあり、今回、里見氏以外で求められる資料収集でもっとも充実した資料を所有できた次第です。
 さて、結城秀康。
 彼は下総国結城一族として誕生した訳ではありません。徳川家康の次男として誕生したのです。ともすれば、家康の後継者となる筈だった人物ですね。ただし、彼には生まれたときから、その前途が閉ざされておりました。
 父親である家康には、ちょっとした性癖があったようです。
 子供の容姿が醜いと直感したときに、愛情が欠落するという薄情な一面があったとされます。秀康同様に、松平忠輝にもそういうことがあったと伝えられます。
 秀康の気性は猛々しく、生来一軍の将たる気概を秘めていたと、諸処の文献に記されています。それは、戦国武将としては賞賛に値しますね。
 結城秀康が総大将に推された宇都宮陣。
 実は、彼自身が一軍の将として合戦に及んだ経歴は、皆無だったとも云われております。参陣したものの実戦の経験を得ていないのだと思われますが、そういう人物を宇都宮の総大将に据えても異存すら生じない貫禄があったのでしょうか。

 秀康という名前は、秀吉と家康の一字を取ったものです。
 小牧長久手合戦で、秀吉と家康が激突しました。その後の講和の際、家康が人質として差し出したのが秀康です。秀吉は人質として扱わず、養子扱いにしたとされ、名もこのときに改めたというわけです。
 秀吉の養子なら、その他の養子たちのような高い禄高・官位があってもいい気がします。これは、一説によると、過分な力を与えないよう秀吉が苦慮したためと伝えられます。やはり将器があったのでしょうね。小田原北条討伐にあたり、結城晴朝が参陣した際に秀吉は養子を押しつけました。これが、秀康の結城氏を称する由縁です。文献には、結城晴朝から養子を請われたとあります。しかし、このとき晴朝は後継者と為す養子が既に存在していたのです。請われたというのは、押しつけを誤魔化す方便だろうと、夢酔は推察しております。

 宇都宮陣にあって、秀康の仔細は結果論しか伝わっていません。
「布陣し、上杉の南下を防いだ」
 本当に、結果論です。攻防の駆け引きすら伝わっていません。激突した関ヶ原のそれと比較することが不相応な程です。
 秀康は何をしていたのでしょうか。
 どんな駆け引きをしていたのでしょうか。
 白河の上杉勢は南下しなかったのか、できなかったのか、そんな気もなかったのか、それすら諸処の邪推に頼るしかありません。
 夢酔が影響を受けた作家のひとり隆慶一郎氏の小説「一夢庵風流記」のなかでは、上杉景勝が家康の退いたあとの徳川勢を捨て置いたとされています。喧嘩を売る相手が秀康では不足という意味です。秀康は相手にもされなかったという訳ですね。
 それでも上杉の抑えは、白河を中心に存在していた筈です。
 相手にはしないが、攻め込んだら殲滅する。そういう采配だったと思われます。景勝はそういう点を弁えていたことでしょう。
 結城秀康はただ座して居ただけだったのでしょうか。
 その委細を知ることが出来ない以上、推察を巡らせるしかありません。ここが小説家の便利なところです。
 この当時、顔色を窺っていた佐竹氏のことを、秀康が考慮していただろうことは察しが付きます。諸説ありますが、佐竹と上杉の連携をしていた密使の往来が那珂川水域上流ルートであったのだと云われています。その遮断をすることと、佐竹背信の証拠を確保すること、この二つを秀康が行っていたとしたら、宇都宮布陣の真価が光ってきます。ドンパチよりも諜報戦、これが真相だとしたら、従来の猛々しいだけな秀康のイメージを変えそうな気がします。

 でも、史実や定説では、そういう話がないんですよ。
 結城秀康、武勇を飾る場面に、こののちも恵まれませんでした。



                  ◆    ◆    ◆



 お知らせです。


 倉吉せきがね里見まつり

 里見忠義終焉の地・鳥取県倉吉市。
 毎年9月第一日曜日に開催されます。東国の方は、その遠さを噛み締めることで、この地に流された里見家最後の当主の心中を実感できるのではないでしょうか?


 開催日  平成24年9月2日(日)
 開催場所 倉吉市関金町 山守小学校周辺
 お問い合せ
      「倉吉せきがね里見まつり」
               倉吉せきがね里見まつり実施委員会(倉吉市市民参画課内)
TEL:0858-22-8159
「里見時代行列」
倉吉里見手作り甲冑愛好会(NPO法人養生の郷内 )
TEL:0858-45-3988



                  ◆    ◆    ◆



戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
 皆さまの温かいご声援をお願いします。

ポスター
 署名用紙はこちらに収納しております。
 活動の趣旨に御賛同いただけましたら、是非、こちらの署名用紙をプリントアウトのうえ、支援の程よろしくお願いします!
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