散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

池波文学の映像

ここで、中村吉右衛門版の鬼平が終わった。
平成とともに始まった鬼平は、当初から楽しく観ていた。それは、フジテレビらしからぬ丁寧な作りだったことや、キャスティングの端々まで妙なものが入り込んでいない安心感からだった。他に楽しいドラマもなかった。当時はまだトレンディドラマばかりで、薄っぺらく軽薄な世相を「明るく軽く」という美辞麗句で並べ立て、バブル最後の光芒を放つ季節だった。
そう考えれば、平成とともに始まった、ひとつの作品の締め括りといってもよい。
第一作の鬼平のとき、中村吉右衛門は45歳。
池波正太郎は一度40歳の吉右衛門に指名をしたそうだが、そのときは若年を理由にお断りしたらしい。45歳になって再度の指名に応じたのは、リアルに長谷川平蔵が火付け盗賊改め方長官に就任した年齢だからと漏れ聞く。
あれから28年。
いまや人間国宝の中村吉右衛門には、肉体的にも厳しい撮影になったことだろう。

鬼平犯科帳はご存じのとおり、未完の小説である。
ドラマで付けるオチは、悪くいえば十人十色の理想を満たすものではない。そこは原作にはない、制作者が紡いだオリジナルの帰結しか存在しないのだ。
それをうんちく垂れる無粋は申すまい。
ただしドラマの鬼平は、本来、一度終わっている。終わったからこそ、スタッフ再集結して、剣客商売が始まった。これもまた楽しい作品だったが、制作が進まぬうちに藤田まことがジャニタレ仕事人に持って行かれて無駄な時間を費やした挙げ句、鬼籍には入られて宙ぶらりんになってしまった。鬼平も一度終わったことが「なかったこと」のようにされて復活した。それを大人の事情というのだろう。

さてさて。
池波文学の映像化は、現代においては視聴者の感受性も左右してか、決して満足のいくものを作りにくい時代になったことだろう。大江戸グルメがあればいいという軽薄な解釈は、愚の骨頂である。そう考えれば、もう、映像よりも行間で十人十色の楽しみ方を覚えた方がいい気がする。

何はともあれ、ドラマはそれなりに楽しく拝聴できた。
そして、もうこのように丁寧な作り方の楽しめる時代劇には会えないのだろうなと云う寂しさも噛み締めた。
アニメーションがCG全盛になりセル画職人が少なくなって、映像に温もりもなくただ綺麗という昨今。時代劇もこののちは血の通わないCG主流の、なにこれな時代になるのかも知れない。そう思う、己のひねくれた感情を俯瞰し、ああ、歳は取りたくないものだと苦笑いを浮かべる今日この頃である。







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  1. 2016/12/05(月) 06:18:51|
  2. 閑話休題
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