散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

「夏の波濤」カウントダウンvol.2

昨夜の続きです。

本日の房州日日新聞掲載分が、里見義康存命の最後の姿となります。

本編に、大きな因果が登場しました。
里見義弘の代からの、因果です。そのことについては、背景を解説しましょう。

里見義弘は小弓公方足利義明の娘・青岳尼を正室としていました。青岳尼は子供に恵まれないまま死去し、その後、古河公方足利晴氏の娘を後室に迎えました。この部分は、「春の國」でも描いたので、記憶にある読者もおられることでしょう。
後室腹で誕生したのが梅王丸、のちの淳泰です。
里見義弘は青岳尼存命中に、弟の義継(のちの義頼)を養子に迎えていましたが、実の子が誕生した訳です。
これが小さな派閥の要となるのです。義頼は安房で庇護されている小弓公方派(極論的に安房側)の要となり、淳泰は古河公方派(必然的に上総側)の要となる。そして、後継者を決せぬまま、里見義弘は病死します。一説には酒の飲み過ぎで中風だとも……まるで上杉謙信の最期を彷彿させますが、その後の後継者争いも瓜二つとなります。
里見領は後継者争い、そしてナンバー2の正木氏謀叛で三竦みの混乱状態となるのです。流血は避けられません。
紛争期間はおよそ2年余。
義頼は正木氏を討ち、その名跡を惜しみ次男をして家名と領地を手にします。この次男が、二代目・正木時茂です。「夏の波濤」でもお馴染みの登場人物ですね。
里見義頼は上総国内の主要拠点を制圧し、淳泰家臣団はその助命を条件に降伏します。
淳泰は岡本城郊外の聖山に幽閉されたと伝えられますが、「夏の波濤」本編では、小弓公方派からの暗殺から守るための庇護という形にしています。義頼は淳泰個人に対する恨みはなかったのです。しかし、その母親に対しては、容赦しませんでした。義頼廃嫡の原因は、淳泰の母にあります。内乱を焚き付けたいうことならば、総大将はこの母親です。義頼の憎悪は大変なものがあったのです。淳泰の母と妹は、上総琵琶首館(現在の市原市)に幽閉されました。そして、天正11年(1583)、母子は変死を遂げたというのです。
さぞや義頼を恨んで死んだことでしょう。


本日登場の侍女。実は、このとき死んだはずの、淳泰の妹でした。
表向き死んだものの、実は何かしらの術を用いて生きていた。こういうことは、戦国の世にはよくあることです。死人となった淳泰の妹は、里見領を去りながらも、幾一〇年ものあいだ、間違いなく母の恨みを晴らす方法を探していたのでしょう。
本編では一〇年も前に呂宋助左衛門が、この妹に堺で南蛮渡りの毒を売ったという筋書きにしています。この毒で里見家へ報復するため、妹は身形を偽り、どうしたことか、まんまと館山城の侍女として入り込んでいたという設定です。
恐ろしい因果が巡ってきたことになります。

里見義康個人は、人から恨まれる人物ではありません。
ただ、里見家というだけの理由で、悲劇が巡ってきました。
本編中、ホルトノキが斬り倒され、櫛が落ちていたという描写を残しました。その櫛こそ、妹の物です。
この「夏の波濤」が連載されてすぐに、熱心な読者がすぐに指摘をしたそうです。
「宮本城のホルトノキは、樹齢が一致しない!」
そうなのです。ここで斬り倒すために、態と盛った創作だったのです。現在宮本城趾に存在するホルトノキは、その後に植えられたものだったのですね。一年半、このために読者を引っかけてしまった訳です。

それにしても、里見家には絡みつく沢山の因果があるのです。
里見義堯は宗家である義豊を討ったことで棟梁になりました。このことで没落し、里見家を恨んだ者も多かったことでしょう。その義堯の子・義弘が後継者を整理せずに没した事による争乱。敗者はその恨み悲しみを永劫に忘れることが出来ない。母を殺した義頼も世になく、妹がぶつけるべき相手は、義康しかなかったのです。理不尽だという冷静は彼女にはなく、目的を遂げるためならどのような術も厭わなかったのでしょう。

読者ならよく理解して頂けると思いますが、夢酔は理想的なリーダー像を里見義康に投影しました。誰からも好かれる頼もしいリーダー像です。こういう人物像にしたのは、天下統一期の動乱のなかを見事に乗り切った実績があるからです。これは結果としてのものだから、誰もが納得するところでしょう。
そして、こんなリーダーが、太陽のように皆を照らすような人間だったらという理想像を被せたのです。
秀吉が、家康が、弱小と侮ることなく里見家を薫陶したのは、すべて義康という人間のおかげだった。
そういう設定が納得できそうな結果を残しているからこそ、読者の皆さまにも好感を持って頂けたのです。
そして、この持ち上げが大きければ大きいほど、悲劇は衝撃的になるのです。
夢酔は性格が歪んでいるのだろうかと自問自答しながらも
「素敵だから壊す」
という究極の手法を用いたのです。
なぜ?
それは、これから訪れる里見忠義の運命が、これ以上に凄惨なものとなっていくことを象徴付けるためでした。
本当の意味で、里見家累代の宿業を丸ごと背負わされるのは、最後の当主・忠義なのです。

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夢酔とて、人でなしではございません。
創作とはいえ、周到に人を殺める描写を描くことは、心理的に深淵の闇に独りで立ち尽くすような冷たさを憶えます。
これは本当に辛いです。でも、志して為す仕事ですから、耐えなければいけません。
しかし、贖罪や迷いの念に揺れ動くこともあるのです。
南総里見まつりの翌日、里見義康の墓前に立ち尽くし、途方に暮れていたのはそのためでした。その後、慈恩院の副住職に迷いの心情を、ついつい文で吐露したことは、申すまでもございません。

せめて、すぐ続きが連載されるなら、義康の最期が次にもたらす意味も読者に伝わったことでしょう。
ここで終わることで、作家への非難だけが残される気がして、何とも云えず複雑ではございます。


里見忠義の物語まで世に送り出すことで、本当の意味で、正史里見家を世に伝えられることになるのです。
その機が巡ることを、じっと待たせて頂くことになりそうです。


また明日の晩にお会いしましょう。











戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
 皆さまの温かいご声援をお願いします。


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  1. 2016/01/15(金) 21:19:52|
  2. 随筆・あっそう!里見発見伝
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