散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

滝山城、攻める気持と攻められる気持を考える

またまた里見じゃなくて準備稿ネタですまん。
9月12日(土)、朝から急いで滝山城へ行ってきた。
朝、地震があったから、また揺れたら厭だな~とか思いつつ、高月より搦手へと急ぐ。
DSCF4460.jpg
詳細のことは企業秘密だが、今回は小山田信茂の侵攻コースの確認である。とにかく今書いている準備稿は、とうとうこの場面まで来てしまった。書くためには、もう教科書(的な資料)なんかじゃダメだという逼迫感が渦巻いている。
小山田信茂の侵攻コースで分かっていることは僅かであって、定説に過ぎない。点と点を結ぶ〈何か〉が足りないのだ。過去の小説書きの人は、ここの描写にあたり、よく苦労しなかったなぁと感心する。

滝山攻めを含む一連の流れは、一般的に大凡こんな感じです。
永禄12年8月24日 武田信玄甲府を出発。
     9月 1日 武田勢碓氷峠から上野に入る。
     9月10日 鉢形城を包囲。以後松山~川越を経て滝山へ移動。
     9月20日 小山田信茂勢1000、岩殿山城を出発。
          古甲州街道(上野原~浅間峠~檜原城)を通らず
     9月26日 小山田勢、小仏峠から武蔵に侵入。
          廿里にて滝山勢を破る~滝山城を攻撃。
     9月27日 信玄本隊、滝山城を攻撃。
     9月28日早朝 武田勢、滝山城から撤退。
          横山~杉山峠~相原~上溝~当麻~座間へ移動。
     9月29日 相模川を渡河。厚木・妻田・金田に着陣。
     9月30日 前川~国府津~酒匂まで進軍。
     10月 1日 小田原城包囲。信玄、風祭に本陣。
     10月 4日 信玄、小田原城から撤退。
     10月 6日 信玄、大神に着陣。
          武田勢が三増峠越えと予想した北条勢、出陣。
     10月 7日 三増峠合戦。


永禄12年9月26日に小山田信茂が兵1000を率いて小仏峠から奇襲したという記述は、『甲斐国志』外に見受けられる。
分かるのは、いつ・誰が・どこを経て・どこに、という部分だ。その肉付が廿里合戦というもので『関八州古戦録』外に見受けられる。
また、各種情報で、1.丹波筋から攻めるという虚報で攪乱をしていた2.小仏峠は幹線道ではないのでノーマークだったという点を加えてみよう。

ところで、夢酔の疑問は次の点にある。
1.小仏峠を本当に用いたの?
2.廿里合戦は高低差を考慮すれば小仏以外が相応しい進撃路
3.一切の監視網に引っかからず滝山城を攻める術

たぶん、学術的にはこんなこと重要ではないのだと思います。創作家だけが必要とする部分なのでしょう。ドラマチックに演出したい部分ですから~
それだけじゃないな、たぶん、性分なのでしょうね。
今更ですが、夢酔は山歩きする人種です。従って山を平面で捉えない癖があります。陣馬から高尾に関する山系もよく歩いています。それだけに小仏峠への疑問視を傾けてしまうのです。
ひょっとしたら、小仏峠というのは比喩表現でしょうか。
『北条記』や『北条五代記』は次世代の記述ですよね。『甲陽軍鑑』も『関八州古戦録』は江戸時代のものです。甲州街道が整備されてからの史料だと、とりあえず名称を使ってしまうなんて、ないでしょうか。ひょっとしたら、底沢峠(当時はここが明王峠)から尾根に上がり、まだ設けられていない八王子城が据えられる山へと下ったとしたらどうでしょう。高低差からいえば、上から廿里に攻め込めるのです。
29.jpg                                   山ノボラーの視点で失礼します。
尾根の稜線から見下ろせるのが、八王子城跡。その向こうが廿里。

孫子曰く
軍は高きを好みて下(ひく)きを悪(にく)み、陽を貴(たっと)びて陰を賤(いや)しむ。
生を養いて実に処(お)り、軍に百疾なし。


戦術の常識を考えると、ここから攻めるのが自然かなと思えてきます。だって、廿里は小仏峠を下ると見上げる高所に位置する場所です。わざわざ不利な場所へ行くでしょうか。しかも高尾山は北条氏照の庇護下にあり、裏高尾の間道を進軍すれば発見される。奇襲にもなりません。

ここでは結論付けません。
あくまで作品のために、もう半年以上悩んで歩いて調べた結果の愚痴を落としただけです。その悩みと迷いを抱えて、ここのパートを、まさに今、描いている最中です。結果はどうなることやら。まあ、いまは準備稿です。1稿2稿と校正していくうちに変更したり肉付けしたりするのだろうな。
ひとつだけ云えるのは、
ここが小山田信茂の見せ場だということです

DSCF4463.jpg
本丸から多摩川上流部を見通せます。日本二百名山の大岳山も見えますね。丹波筋から攻めてくると云う情報を得た北条氏照は、きっとこの角度で奥多摩方面を睨んだことでしょう。
クリック夢酔も必死に取材中
DSCF4467.jpg







第34回南総里見まつり開催決定!!
http://satomi.tateyamacity.com/


戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
 皆さまの温かいご声援をお願いします。


公式HPはこちら里見氏大河ドラマ化実行委員会

ポスター
 署名用紙はこちらに収納しております。
 活動の趣旨に御賛同いただけましたら、是非、こちらの署名用紙をプリントアウトのうえ、支援の程よろしくお願いします!


人気ブログランキングへ


にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村
スポンサーサイト
  1. 2015/09/13(日) 17:48:06|
  2. おやま~小山田
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<秋の里見 快進撃 | ホーム | 続 西原武田氏という一族>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://musuitouzan.blog.fc2.com/tb.php/229-8328b379
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)