散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

喜連川逍遙

逍遙という言葉の響きは美しい。
気ままにあちこちを歩き回ること。
そぞろ歩き。
散歩。
そのまんま、意味通りの言葉をあてはめても、なんだか美しくないよね。

夢酔、喜連川を逍遙してきました。
喜連川、わかりませんか?
DSCF4211.jpg
里見家は、喜連川氏誕生の一助をしていたんです。史実の里見氏が語られないから、そのあたりは誰も知らないんだろうな。
喜連川氏は、関東足利氏の末裔です。
まずはそこからおさらいしましょう。

古河公方家の祖である鎌倉公方家は、足利尊氏の子・基氏以来代々関東を支配してきた。
しかし将軍家と対立し、遂に第4代公方・足利持氏の時代に第6代将軍・足利義教と武力衝突してしまう。これを永享の乱という。敗れた持氏は自害し鎌倉公方家は一時滅亡した。持氏の三人の遺児は結城合戦の旗頭になるが上の兄二人は義教に殺された。やがて義教も嘉吉の乱で死去すると、鎌倉公方再興の気運が高まり、持氏の遺児・成氏が復帰する。
成長した成氏は幕府や関東管領上杉氏と対立。これを享徳の乱という。成氏は鎌倉を追われ下総国古河城を本拠として独立した勢力を保ち、以後、古河公方と呼ばれることとなる。
第3代古河公方・足利高基の弟・空然は僧籍から還俗すると房総半島の争乱に乗じて小弓公方となり、足利義明を名乗る。そして中原の雄として古河家に対抗しつつ、小田原北条家とも対立した。小弓公方と結びついた里見義堯は、その寄騎として北条氏綱と戦う義明支援のため国府台に出陣。
これが世に云う第一次国府台合戦です。
この戦いで足利義明は討たれ、小弓城の遺児達は里見家に身を寄せることとなる。これが、里見家と小弓公方家の密接なつながりのはじまりだった。このあたりについては、夢酔著の「春の國」冒頭部分に相当します。

安房に逃れた小弓公方家の相関図が、これです。
手づくりなので、ちょっと雑ですが……
IMG_20150802_0002.jpg
現在連載中の「夏の波濤」は、頼氏が兄に代わり喜連川家を嗣ぐ場面を描きました。
しかし、小弓・古河の家臣団はまだ一致していない状況で、苦労をしている状態です。その頼氏が曲者揃いの家中をまとめるために苦慮していた喜連川とは、どのような場所だったのでしょう。
昨日、情報提供いただいた「さくら市ミュージアム -荒井寛方記念館-」で入手した冊子(歴史あそびBOOK2さくら市の奥州街道お出かけハンドブック表紙)を引用しますが、喜連川は現在のさくら市にあたります。宇都宮よりちょっと東上の位置ですね。
IMG_30.jpg

頼氏が奮闘していた頃、ひとつの事件が起きます。
関ヶ原の合戦です。
皆さんは、関ヶ原というと、石田三成vs徳川家康を想像しませんか?ええ、間違っていないんですよ。ただし、関ヶ原合戦は局地戦でありながら、同時期、全国各地で展開されたわかりにくい合戦だったのです。
関東でも局地的な緊張がありました。
宇都宮城を本陣とする結城秀康と、白河まで進出してきた上杉景勝・直江兼続の睨み合いです。表面的には武力衝突はなく、睨み合いだけの対陣でした。しかし、駆け引きとはそんなに淡泊ではありません。この睨み合いのキーパーソンが、どっちつかずの大国だった佐竹氏でした。佐竹義重は家康に恭順の意を示しながら、子・義宣は三成と入魂だったこともあり意志を明確にしませんでした。ある書によれば、佐竹は上杉と通じ、北上すれば横槍を入れるつもりだったと云われています。
実際どうだったのでしょうか。
「夏の波濤」では佐竹が割れていて、義重派は宇都宮へくるものの、義宣派は那珂川ルートで上杉と通じる展開を構想しています。これを描く第15話「東の関ヶ原」で、情報察知のため働くのが、喜連川頼氏という筋書きを考えております。まだまだ掲載前ですので、これ以上は、ちょっと御免なさい。
喜連川氏のことはあまり大河ドラマでも触れられないですよね。
このあたりは里見氏と同じです。
実行委員さん、ぜひ連携できたらいいですね。

逍遙の足跡を写真に落とします。
DSCF4250.jpg
展望台がありますが、ここが塩谷氏のいた大倉ヶ崎城。塩谷氏が去ったあと、喜連川足利氏の居城となりました。今回は、登っていません。残念です。なにせ暑くて、しんどいです。それに、東日本大震災以降、一部通行止めらしいです。仕方ないです。いつか、またの機会にと思います。
道の駅には展望台があるのですが、ここからかつての城下町を見下ろします。DSCF4258.jpg
喜連川一万石という小名。
城下はこぢんまりという印象ですが、往事を偲ばせる風景ではありません。こういうのは想像力に頼らざるを得ません。
養泉寺DSCF4214.jpg
慈光寺DSCF4228.jpg

そして、喜連川足利氏ゆかりの龍光寺。DSCF4218.jpg
城のすぐ真下という印象です。DSCF4217.jpg
ここは足利頼淳の法号から「龍光院」と呼ばれ、喜連川足利氏累代の菩提寺となったのです。DSCF4226.jpgDSCF4227.jpg
今日はアポなしなのでお話しを伺えませんでした。機会があれば、御住職からご指導を賜りたいと思います。DSCF4225.jpg
龍光寺から城方面へ行くと、喜連川神社があります。DSCF4235.jpgDSCF4242.jpgDSCF4244.jpg

城は戦国時代の終わりとともに機能を終え、治世においては平野部の屋敷で行われたのではないでしょうか。
旧喜連川町役場に門が復元されています。DSCF4231.jpgDSCF4232.jpg


写真の全体像は、クリックして御覧ください。


追伸喜連川って、温泉で有名だったそうな。DSCF4264.jpg
今回は逍遙で終わっちゃったから、せめて足湯だけでも……DSCF4261.jpg








戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
 皆さまの温かいご声援をお願いします。


公式HPはこちら里見氏大河ドラマ化実行委員会

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  1. 2015/08/02(日) 13:42:32|
  2. 随筆・あっそう!里見発見伝
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

お疲れ様です

暑かったでしょう
背中に帽子が^^

古河公方信奉者の私にとってもゆっくり訪れたい場所です
貴重な情報ありがとうございます
  1. 2015/08/02(日) 14:16:26 |
  2. URL |
  3. ししん #/HoiMy2E
  4. [ 編集 ]

No title

ししん様

会津紀行、御苦労様です。
喜連川は何となく昭和の臭いがして、好きですね。こういう城下町って。生活している人はもっと豊かさを求めているでしょうが、こういう豊かさは、お金では買えないなぁと思います。
里見を抜きにして、喜連川を素材にするのもいいかも知れませんね。喜連川町史通史編には色々と記されているので、時間をみてじっくりと読みとりたいです。
  1. 2015/08/02(日) 15:22:15 |
  2. URL |
  3. 夢酔藤山(むすいとうざん) #Gq//HHxQ
  4. [ 編集 ]

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