散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

高野山1200年便乗コラム②

 2015年、開創1200年の高野山。
 関係されている僧侶やその家族も、大忙しのメモリアルイヤーだと拝察します。夢酔がご懇意にさせて頂いております館山の高野山妙音院の福岡住職におかれましては、きっと目が廻るような毎日ではと思います。
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 夢酔が福岡住職とご懇意にさせて頂いたのは、もう4年も前。はじめてお話しさせて頂いたのは、2011年10月1日の南総里見まつり後に開催された、全国里見一族交流会総会懇親会の酒席でした。そのときはよくお話ししなかったけど、翌日に妙音院を訪れたときに、確か梨をお土産に貰ったんですよね。
 以来、なかなかお会いする機会がございませんでしたが、昨年はたっぷりお世話になりました。
 10月18日の里見供養式典。
 http://musuitouzan.blog.fc2.com/blog-entry-145.html
 10月30~31日の高野山。
 http://musuitouzan.blog.fc2.com/blog-entry-154.html
 そして今年の3月1日、妙音院ご訪問。
 http://musuitouzan.blog.fc2.com/blog-entry-181.html
 本当に勉強させて頂きました。まだまだ浅学ですけど、高野山は深く広大ですね。つくづく無知を思い知らされます。

 よく挿絵の山鹿先生が、夢酔のことを
「でっかい熊ちゃん」
とか云ってますが、福岡住職も充分な巨漢です。僧籍の方は鷹揚か謙虚かどちらかですが、福岡住職は間違いなく後者ですね。
 最近、妙音院のサイトをみていたら、福岡住職の奥様が
「寺嫁ブログ」
なるものを開設していたことを今更知り、慌ててリンクに加えた次第です。
 http://musuitouzan.blog.fc2.com/blog-entry-181.html
 
 妙音院と里見家のつきあいは、とても深かったそうです。
 正式名称は〈光照山醫王寺妙音院〉といいますが、通称〈安房高野山妙音院〉という名で親しまれている当山の歴史は、里見義康の時代から始まります。天正17年は小田原征伐の前にあたりますが、里見家は豊臣秀吉に臣従していた頃です。その年に里見義康は発願し、高野山別院・里見家の祈願寺として、当山は安房国へ開山され寺領161石を与えられたとされます。
 妙音院には薦野家の墓所があるのですね。薦野神五郎頼俊という人物がおりますが、里見義弘の実子で、薦野家の名跡を継いだ人物です。ときどき「夏の波濤」にも登場する人物です。武勇に優れた人という印象があります。
 余談ですが、こういう実在の里見家中はなぜか陽の目を見る機会がございませんね。南総里見まつりでは架空の八犬士をクローズアップしていますが、ぜひ、こういう実在家臣団も武者行列させるべきだろうなと痛感しております。それも、一種の供養かなと。

 紀州高野山と里見家の結びつきは、西門院との宿坊契約が大きな軸だったそうです。里見家が安房から上総にかけて勢力を拡大した頃に、宿坊契約をしたのでしょうね。西門院は里見以前、官領とされた上総国の神野寺と安房国の清澄寺を通じて房総と関係を持っていたのでしょうね。その支配者に成長した里見家との密着は、自然なことです。
 現在、「夏の波濤」は利休回を終え、新章である〈名護屋の行方〉に入りました。文字通り肥前名護屋を中心にした秀吉の大陸出兵の回です。この章において、こののち西門院が登場します。これは、今日現存する書状により、当時の高野山と里見家の関係を明らかにしたものと考えられます。

  借用申候黄金之事
  合而壱枚但其方秤也  
  右、請取申所実正也、此返弁来秋俵子を以、
  妙音院ヘ如相渡申 候、皆済可申候者也、
  仍如件、
    (文禄元年)
     壬辰
       卯月十三日
        西門院ヘ

 つまり、借金の証文のようなものですね。里見家は名護屋出陣を控えて、西門院から黄金一枚を借金したのです。その返済は、米俵にして館山の妙音院に渡すことが記されています。

 はい、ここで疑問。
 西門院と妙音院の関係は、どういうものだったのでしょうね。
 というのは、昨年高野山に赴いた際、福岡住職より古地図を解説してもらったんです。当時の西門院の場所、当時存在しており現在は残されていない妙音院の場所、その日宿を頂いた光明院の場所。光明院は形式として妙音院を併せております。
 つまり、西門院と妙音院は、別の塔頭と考えられるのです。
 西門院の借金は、西門院に返すものかなと考えてしまいます。たまたま館山にあるから、妙音院に米で返してくれというのは、何だろうと思いますよね。総本山の中でも貸し借りが頻繁なほど緊密な関係だったのでしょうか。その答えは、もう見つけることが困難でしょうね。

 高野山1200年。
 里見の足跡はマイナーかも知れませんが、一人でも多くの方に感じて貰えれば嬉しいです。








戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
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  1. 2015/06/04(木) 05:50:22|
  2. 随筆・あっそう!里見発見伝
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