散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

里見氏大河ドラマ化実行委員会HP

里見氏大河ドラマ化実行委員会が運営されるHPがございます。
この左隣のサイドバーにも、リンクの一番上にあるから、御覧頂いた方もおられるのではないでしょうか?
まだの方は、ときどき情報発信しているのでチェックして下さいね?

クリック里見氏大河ドラマ化実行委員会HP

その里見氏大河ドラマ化実行委員会HPをお借りして、連載されていた夢酔の小説が、ここで完結しました。
「冬の光」と題されたそれは、里見義豊から義堯へと移り変わる犬掛合戦へと至る一族の苦悩を描いたもので、この時代の里見氏を描いた小説はあまりないのだろうと思っています。分かりづらいですし、人物も整理できないし、何より通説と異なる解釈が発見されるようになりましたから……。つい先週も、里見氏研究の第一人者である滝川恒昭が講演会をしたばかりで、ここでも新発見が論じられました。
委細は房州日日新聞HP版へ前期里見氏に新史料 滝川氏が研究発表 館山
さて、この難解な時代を採用しつつも、明確なクライマックスとして掲げた犬掛合戦。実は、4月6日に起きたのですね。
あいたた!
数日早くアップできたらタイムリーだったのに。
いえね、HPを管理される方よりお知らせ頂いたのが昨日だったもので。きっかけが遅れて済みません。


犬掛合戦という言葉、里見史においては重要な出来事ですが、初めてという方のために、掻い摘んでご紹介しますね。

〈天文の内訌〉と呼ばれる安房里見氏で発生した内紛がございました。比較して欲しいので、従来説と近年解釈を併記しますね。
これまでの通説
永正15年(1518年)、里見義通が危篤となったとき嫡男・義豊はまだ5歳であった。そこで、義通の弟である実堯が義豊15歳になるまで陣代(後見人)として家督を預かる事になった。実堯は稲村城に入り義豊は支城の宮本城へ入った。ところが、義豊が15歳になっても、実堯は北条氏綱の上総へ侵攻を理由に家督移譲を延期していた。義豊が二十歳になった天文2年になってようやく北条氏の侵攻が収まったため、実堯は義豊への家督移譲を決意した。だが、それとは入れ違いに宮本城では義豊の側近たちが
「実堯は正木通綱とともに息子・義堯を次期当主にすえようと企んでいる」
と讒言。これを聞いた義豊は天文2年7月27日の夜に稲村城を襲撃し、実堯とこれを補佐する正木通綱を殺害した。
上総にいた実堯の子・義堯は、正木通綱の子である時茂・時忠兄弟と連絡を取って敵討ちを画策する。義堯はなんと仇敵である北条氏綱に同盟を依頼した。
翌年、義堯は北条氏綱らの援軍を受け、全軍を率いて上総を出発した。義堯はあらかじめ稲村城への奇襲をするという噂を流し、これを信じた義豊は先手を打つべく出陣する。しかし、犬掛で義堯軍の待ち伏せにあった。突然の奇襲に混乱に陥った義豊軍は潰走し、勢いに乗じた義堯軍は義豊が籠城を図ろうとした稲村城内にまで突入した。このため、稲村城を支える事も出来なくなった義豊は稲村城を脱出したものの進退窮まって自害して果てた。
こうして父の仇を討った里見義堯が非道な義豊に代わり、里見氏の家督を継ぐことになったのである。
最近解釈
永正15年(1518年)、里見義通が危篤となったとき嫡男・義豊は既に元服していて父の代理を務めていた。そこで、義豊は家督を継いで稲村城に入り、叔父の実堯とその子・義堯は上総金谷城に入った。ところが、北条氏綱は上総へ侵攻の最大の障害である義豊を牽制・排除をするために実堯や水軍を掌握するその側近の正木通綱に接近する姿勢を示した。
この動きを見た義豊や譜代重臣らは、小弓公方足利義明の了承の元、天文2年7月27日の夜、実堯と通綱を稲村城に呼んで誅殺した。その後、義豊は直ちに金谷城の義堯を攻撃したが、義堯は正木時茂・時忠兄弟とともに百首城に籠城して盟友である北条氏綱に援助を求めた。
8月、里見(義豊)水軍と北条為昌が派遣した北条水軍が保田妙本寺付近にて衝突、ついで里見水軍は三浦半島を攻撃して北条氏と義堯との連絡を断とうとしたものの、いずれも失敗した。北条軍の援助を受けた義堯は反撃を加えたために9月には安房国内で稲村城に次ぐ要地である滝田城が陥落して、安房国から追われた義豊は一時的に上総の真里谷信清の元へ逃走した。義豊は当時真里谷氏領であった久留里城の支城である大戸城を拠点に再起を図った。翌天文3年4月6日、安房に再び入った義豊は犬掛の戦いで大敗を喫し、戦死したとも自害したとも言われている。
里見氏家督を得た義堯は、7月1日、真里谷信清病死を機に、真里谷信隆の追放に加担。信隆を支援する北条氏綱との同盟をも破棄してしまう。これによって、再び北条氏と里見氏は敵対関係となるのである。

これら一連の政権交代劇は、手っ取り早く云うと、宗家から庶家が家督を実力で奪ったというものになるのでしょう。
そのための理由付けが、従来説だったのではないでしょうか。
とにかくまだまだ奥が深いこの事件。
ひょっとしたら、更に引っ繰り返される何かが発見されるかも知れませんね。
「冬の光」は執筆時点における新解釈のもと、不明瞭な部分を創作で埋めて作成しました。
DSCF3061.jpg
夢酔は里見氏の歴史を、季節に例えて小説化しております。
後期里見氏の視点に縛られているといえば、それまでですね。
この「冬の光」のクライマックスは、2008年に房州日日新聞で連載された「春の國」に直接世界観が接続します。この「春の國」のクライマックスは、数年分の空白を置いて、現在房州日日新聞で連載されております「夏の波濤」へと続いていくのです。
そういう能書きを後付けしておけば、房州日日新聞を愛読されております皆さまも、少しは歩み寄って下さるかしらん。

里見氏大河ドラマ化実行委員会の益々のご発展を、心よりお祈り申し上げます。


ここで、閑話休題。
先日、挿絵画家の会より案内状を賜りました。いつもお声を掛けて下さり、まことに恐縮しきりでございます。そして、いつも都合の一致が困難で、お足を運べず心苦しい限りです。
150407_212024.jpg150407_211846.jpg
挿絵画家の会の皆さまからラブコールが頂戴できるような身の上に、はやく昇華したいものです。
会の益々の発展をお祈り申し上げます。















雑誌「歴史人」のweb版でこんな企画しています。
歴史人公認ブログ隊募集中! http://www.rekishijin.jp/rekishijin-offcial-blog/  
ワシは連載と自分のblogで手一杯だ。
誰か、里見の伝道師となって世に布教してください。about_rekishijin.jpg


<戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
 皆さまの温かいご声援をお願いします。

ポスター
 署名用紙はこちらに収納しております。
 活動の趣旨に御賛同いただけましたら、是非、こちらの署名用紙をプリントアウトのうえ、支援の程よろしくお願いします!


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  1. 2015/04/08(水) 06:55:20|
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  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

No title

おうようございます
松姫関連で申し訳ないです
すでにご存知かもしれませんが「多摩のあゆみNO.157」にて
信松尼百回会場記という古文書が掲載されています
武田一族、旧臣による松姫さま百回忌の様子が書かれています
なかなか興味深いものですね
  1. 2015/04/12(日) 09:09:08 |
  2. URL |
  3. ししん #/HoiMy2E
  4. [ 編集 ]

No title

ししん様

情報不足でした。さっそく手配しました。
馬場先生は千人同心を含めてそっち系が得手ですね。
  1. 2015/04/12(日) 09:29:17 |
  2. URL |
  3. 夢酔藤山(むすいとうざん) #Gq//HHxQ
  4. [ 編集 ]

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