散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

小田原征伐と里見氏

現在、連載回は小田原征伐を丹念にほじくり返しております。
本日号では使いとして先行した里見民部大輔が徳川家康の陣所に迎えられる場面が登場しました。

北条氏討伐のため豊臣秀吉が挙行した、この壮大なる包囲網。
どこに、どの大名が配されたか、これを考慮しながら散文を書くわけですが、
徳川家康はざっくばらんに小田原城の東側に布陣しました。
鎌倉から駆けつけた里見民部大輔は、必然的に徳川の陣と接触する訳です。

この小田原征伐を描くにあたり、史実から伺いしれぬ部分について、幾つもの試みをしています。
すなわち〈創作〉ですね。

一番の創作部分は、三浦半島上陸から小田原へ向かう里見勢の行軍ルート。
一般的には三崎城で時間を費やし、使途僧の勧告で慌てて小田原へ向かったとされますが、疑問も残ります。
三崎城に釘付けにされたのなら、撤退時には送り狼に襲撃されてしまうでしょう。無傷で小田原へ行ける筈がありません。
夢酔は上陸軍の進路は三崎城スルーで、逗子鎌倉方面へ向かったと推察しました。しかし三崎から出兵されたら元も子もないので、兵を降ろした里見水軍は海上から三崎城へ遠弓を放ち打撃を与えたことにしたのです。その後、水軍は鎌倉和賀江島に係留され待機。陸上部隊は玉縄からの軍勢に警戒しながら鎌倉を通過する展開にしたのです。三浦半島三崎城1
勿論、具体的な資料根拠はございません。
小説を書くうえで、出来る限りディテールにこだわりつつも、点と点をつなぐ線にあたるエピソードは、違和感のないような緊張と配慮を心懸けながら想像していくのです。

玉縄城は北鎌倉大船あたりの北条の要塞です。
このとき幸いにも籠城に徹してくれたおかげで、里見氏は徳川勢と合流を果たすことになります。

ところで。
この小田原征伐には、ふたつの現実が存在します。
ひとつは徳川家康の関東移封が決定されたこと。もうひとつは、里見氏の安房一国のみという減封です。その流れについては、こののちの連載の流れに注目してください。


そういえば。
夢酔はアイドルのこと、よくわかりませんが、今日の房州日日新聞には、こんな記事がありましたね。
クリック高山さん(乃木坂46)観光大使に 南房総
どうか、里見のことも宣伝してくださいね~






それから
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<戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
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  1. 2015/03/20(金) 20:17:37|
  2. 随筆・あっそう!里見発見伝
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
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