散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

2014.12.27 妙本寺

今年も残り3日です。
皆さん、散漫で逸脱で舌足らずな夢酔におつきあい下さり、ほ~んとに、有難うございます
2014年に感謝しつつ、最後にいろいろとネタを捻り出してみようと思います。

お知らせのとおり、師走27-28日と、安房国へ足を運んでおりました。
お世話になりました方々への挨拶回りです。
でも、欲張りなので、思うところありきのスポットに顔を出させて頂きました。

そのなかのひとつが、鋸南町にございます妙本寺。
日蓮宗の古刹です。
ここが、里見氏と縁深い場所だということは、もう皆さんが御存知のとおり。
すべては里見義堯と日我上人の出会いからスタートしたとされます。

夢酔は宗教学について浅学です。
前作「春の國」ならびに今季連載作品「夏の波濤」において、妙本寺と里見家のつながりを資料としたソースは

房総里見氏文書集」(千葉大学『人文研究』第三七号、二〇〇八年) ※PDFデータ閲覧
滝川恒昭、佐藤博信・編集
の文献史料。

そして参考図書として
安房妙本寺日我一代記
佐藤博信・著
思文閣出版・刊

を用いております。その知識に縋りながら、着手したところでございます。


なぜ、いま妙本寺かって?
はい。
実は、安房を訪れました師走27日に発行されました房州日日新聞掲載分は、日我臨終の回だったのです。
いいタイミングですよね。
夢酔は少し性格が壊れているようで、亡くなられた過去の先達に対しても、普通に接してしまう馴れ馴れしさがございます。ここまで一連の里見小説で、影となり見守ってくださった日我上人に感謝を申し述べたくなったといえばよいものか……変でしょ?とにかく御礼参りをした訳です。


 妙本寺住持・日我との出逢いは、天文四年河越出兵の後方本陣として穂田観音寺に布陣していたころのことである。
 義堯にとっての日我は、迷いのなかの一筋の光明であった。個を殺し民のために尽くす覚悟を定めたのは、すべて日我との出逢いに他ならない。
 ふたりの立場を越えた友情は、これより終生続いていく。
(「冬の光」web連載 http://satomishi.com/

 里見義堯が僅かな供で吉浜妙本寺に赴いたのは、河越夜戦の顛末を耳にして間もなくのことであった。そこには、古河公方・足利晴氏の重臣・簗田八郎晴助がお忍びで渡っていた。
里見家は古河公方と和睦を結んでいたとはいえ、それは形式だけのこと。事実、里見家中には、小弓公方の遺児・足利頼淳に気兼ねして古河へ敵愾心を抱く者も少なくない。
「御坊、相済まぬ」
「なんの。里見家あってこその妙本寺でござれば、遠慮なく」
 妙本寺一四世住持・日我上人はそういって笑った。
この日我と里見義堯は、互いの知謀に感嘆し尊敬しあう間柄である。歳もほぼ同じで、義堯は日我の教養を敬い、日我は義堯の人格を尊んだ。ゆえに、日我はこのような密談の際には、場を提供するだけではなく、進んで仲介の立ち会いさえ名乗り出たし、義堯も安んじてこれを任せた。
(「春の國」加筆修正版)

夏の波濤については、新聞掲載版をぜひ挿絵とともにお楽しみください。



さて。

27日早朝は、東京湾アクアラインも強風の只中。
東京スカイツリーもくっきり見えるほどに大気もスッキリする朝を迎えました。DSCF3054.jpg        全景は写真クリックしてね

こういう風の強い日は、東京湾の眺望がいいことが多い。
内房は砂混じりの強風で、耳も顔も、痛い!さすが師走だ。
車を便宜上、駅の駅きょなんに駐車して、妙本寺まで歩きます。入口まではおおよそ徒歩2~3分、見えるところにあるのです。道の駅マニアの方は、一度くらいは散策めされ。ホントにすぐです。DSCF3055.jpg                     ここが入口になります。内房線の踏切を越えて、山門に至ります。里見の時代は鉄道がなかったので、海までのこの路は境内地の範疇に含まれていただろうことは想像に易いです。
この入口を進んで、二歩三歩。
ちょっとふり返ってみてください。DSCF3056.jpg
真っ正面に、富士山キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

この富士山というのが、妙本寺。引いては日我にとって、重要なポイントだったんです。
日蓮宗には、富士門流という宗派がございます。
転記が面倒なのでウィキペディアを貼っておきましたからチェックしてみるとよいでしょう)
日我は、この富士門流の小泉久遠寺の住持も兼ねており、当時、宗教を通じて精神的なつながりが駿河と安房にあったことが垣間見えます。妙本寺の正面に富士山が見えたということは、意図的な作為でしょう。日我以前から富士門流の流れに属していたのなら、こういうことも自然なことです。
富士山を中心に、三浦半島が手に取るように凝視でき、伊豆天城の山影も視認できる。夕陽はこちらに沈むでしょうから、合掌でこれを見送ったことでしょう。

しかし、寒い境内の奥に進みます。DSCF3057.jpgDSCF3059.jpg
DSCF3058.jpg
彫刻が素晴らしいです。江戸時代の作品でしょう。わざわざ紹介しているサイトがあったので、寄り道してみては?実に鮮やかです。
これ、後藤義光の作品だそうですよ。

日我臨終の回の朝。
その活躍された妙本寺で迎える。
なんとも贅沢で、そして感慨深いひとときです(寒くなければ……)

妙本寺は震災のときにかなりの地盤沈下があったらしいと、房日新聞の記者さんから伺いました。ひょっとして、この高台となっている本堂ももう少し高くて眺望に富んでいたとしたら、ここから富士山を見据えられた可能性だってありますね。DSCF3060.jpg
一説には、妙本寺は城塞機能もあったとか。


かくして、妙本寺をあとにした夢酔でした。


歴史小説を書くときには、取材の先々で、目が褪めるような一見に出会うことがございます。
その表現に煮詰まっていたことが、呆れるほど馬鹿馬鹿しくなる瞬間が。

百聞は一見にしかず

識るためには足を運んで、無心にそれを観ればいい。
そんな当たり前のことを、あらためて思い知らされた師走の朝でした。

安房師走紀行、まだ続けていいかな?
いいよね。
じゃあ、次回もお楽しみに~








追伸
雑誌「歴史人」のweb版でこんな企画しています。
歴史人公認ブログ隊募集中! http://www.rekishijin.jp/rekishijin-offcial-blog/  
ワシは連載と自分のblogで手一杯だ。
誰か、里見の伝道師となって世に布教してください。about_rekishijin.jpg









2014年、里見メモリアルイヤー。
ゆく年 くる年 豊穣の一年に 感謝  




戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
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コメント

真正面に富士山☆彡

夢酔藤山様

こんばんは!
更新と伺い訪問致しました!
小説の舞台でもある妙本寺、彫刻が凄そうですね!
一度じっくり見てみたいものです。
そして真正面から富士山さんとか!
これまた感動の瞬間ですね~。

それでは、良い年の瀬を迎えられますように(^^♪
  1. 2014/12/29(月) 20:19:14 |
  2. URL |
  3. 雪月花桜 #-
  4. [ 編集 ]

No title

雪月花桜さん。

ありがとうございます。
明日も、更新しちゃいますよ!
温かくなりましたら、ぜひ南房総を旅してみてください。
馬琴さんの創作だけではない里見の世界が待っています!
  1. 2014/12/29(月) 22:09:33 |
  2. URL |
  3. 夢酔藤山 #Gq//HHxQ
  4. [ 編集 ]

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