散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

倉吉紀行

三連休、南房総におりました。
房州日日新聞、山鹿先生、館山市立博物館にはお世話になりました。
特に博物館の企画展示、いいですよ。ぜひ、観ておいてください~



倉吉紀行その1

平成26年9月5日(金)、時刻は午後9時を回った。東京品川バスターミナルより走り出したバスは、都会の慌しい路上へと滑り出していく。
倉吉へ赴くのは、初めてだ。
そこがどのような場所で、いつかは行かなければいけないという自覚を持ちながら、ずるずると来てしまった。きっかけが欲しかったのだ。そのきっかけを、今回、幸いなことに得ることが出来た。
一ヶ月前、倉吉市から「第29回倉吉せきがね里見まつり」に関する、全国里見一族交流会事業のご案内を頂戴した。そのときは、また多忙を理由にお断りしようかとも思っていた。しかし、いま動かなければ、この先もずっと動けない、そんな気持ちが、自分の背を押す。正直なところ、じっとしていられない性分ゆえ、決断すると行動が早いところが唯一の取り柄だ。やったことのない高速バスの予約を決め、宿を押さえる。あとのことはあとから考えよう。
そうこうして、当日を迎えたのだ。
今回、偶然同じバスにご一緒したのは、全国里見一族交流会事務局長の田中直司氏である。勿論、席が離れている夜行バスでは、会話は儘ならない状態である。やがてバスは、浜松町バスターミナルへ。ここで全国里見一族交流会副会長・里見武利氏が乗車する。
これよりバスは鳥取県をめざして、おおよそ10時間近くに及ぶ旅に出る。首都高速から東名へ、みるみると東京が遠ざかっていく。

事務局長の田中氏であるが、あれ、里見姓ではないと思われた方もおいでと思うので、簡単に補足する。
里見氏は新田源氏の一族であり、その同族は上野国、現在の群馬県に多く派生した。源氏の一族は土着開墾していったその土地を姓に戴き、徐々に勢力を広げていったのである。応仁の乱で有名な中国地方の大大名・山名氏もこの新田源氏である。そして田中氏も、新田源氏だ。里見一族会は、こういう血族を広く包括している。余談であるが、田中の系統を下れば、茶人・千利休にも行き当たるという。事務局長は、その系譜の方なのである。

バスでの就寝というのは、慣れぬ身にはかなり辛い。まどろんでも、浅い眠りは、ちょっとした振動ですぐに現へと引き戻す。当然、寝ているようで、寝ていない、妙な境地に身を置くこととなる。
 この曖昧な睡眠のなかで、一瞬、夢をみた。里見研究をされている、日頃よりご指導を賜る学識ある先生方のお姿だ。そのなかに、いまは亡き川名先生のご尊顔もあった。この川名先生とは、一面識もない。里見を素材として執筆する機会を設けたとき、既に鬼籍におられたからだ。そのご尊顔は、残された膨大な資料書籍から得た情報だろう。事実、「里見氏叢書1 今よみがえる里見忠義の足跡―伯耆倉吉里見忠義関係資料調査報告書」をギリギリまで読んでいたし、この旅にも携行している。それで頭に刷り込まれていたのかも知れないし、恥じぬ取材をしようと意識していたこともある。
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「里見氏叢書1 今よみがえる里見忠義の足跡―伯耆倉吉里見忠義関係資料調査報告書」は読み込んでヨレヨレになり、白い表紙も手垢で汚れていた。来月、館山に行ったとき、新しく買い改めよう。
 
 カーテンの向こうが明るくなってきた。寝ている乗客もいるので、そっとカーテンの隙間から車窓を覗く。「武蔵の里」という看板が目に入る。佐用あたりだろうか。やがて、鳥取駅が近づく。既に通り過ぎており、当たり前なのだが、東へ向かう道路の案内板に京都の文字が白く眩しい。ああ、中国筋にやってきたという自覚が、静かに湧き上がってくる。
 バスの乗客は、鳥取駅で大半が下車する。
 砂丘もある。観光名所も多いし、なによりも地方都市として発展している。乗客は仕事や帰省と、多岐な理由を抱えていることだろう。僅かに残る乗客も、こののち倉吉を前に途中下車していくこととなる。
 さて、鳥取といえば、ここに入府した池田家によって、倉吉の里見氏も生活を一変させることとなる。幕府の命令だから、まあ、池田家そのものに罪はない。が、里見忠義の倉吉生活が先細りになるきっかけとなる事実も認める必要がある。
 鳥取城は駅のターミナルを出て、ビルの拓けたところから望める。こんもりとした、大盛りの飯のような形相の山頂にあった。ここから領内は一望できよう。かつては織田帷幕の一人だった羽柴秀吉によって、悲惨な兵糧攻めの舞台となった地も、池田家が来た頃には、今は昔の出来事である。
 里見の運命を変えた強大な幕府権力に代わる象徴。
 それが、鳥取城だった。

 バスの旅は鳥取よりおおよそ40キロ。その距離は、例えるなら東京新宿から青梅あたりに匹敵する。この行程は日本海を右手に進む。白兎海岸は神話をいまに語り継ぐ神聖な場所だ。現在のバスルートは、この海岸に近いルートを行く。
 里見氏が倉吉にいた時代。鳥取への往還はどの道を用いていたのだろう。たぶん、古い道がきっとあった筈である。里見氏が二度に渡る居留地移転をする、その沙汰をもたらしたのも、きっとその街道だ。死した里見忠義は幕府の検死役を以てようやく荼毘に付されたとされるが、そのときも鳥取から倉吉にきたことだろう。
 このたび、知りたいと思う情報のひとつである。

 はわい温泉、三朝温泉と、案内看板が出てきたら、いよいよ倉吉は目の前だ。

 この二日間、何が待っているだろう。楽しみでならない。
 午前7時代の倉吉駅に、ゆっくりと、降り立つ。今日は天気に恵まれそうで、嬉しい。DSC00003.jpg  追伸。「里見氏叢書1 今よみがえる里見忠義の足跡―伯耆倉吉里見忠義関係資料調査報告書」は9月14日に館山市立博物館にて再度購入し直しました




2014年、里見メモリアルイヤー。
盛り上がりの、ご開帳です。





戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
 皆さまの温かいご声援をお願いします。

ポスター
 署名用紙はこちらに収納しております。
 活動の趣旨に御賛同いただけましたら、是非、こちらの署名用紙をプリントアウトのうえ、支援の程よろしくお願いします!


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  1. 2014/09/15(月) 21:45:21|
  2. 随筆・あっそう!里見発見伝
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