散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

【里見賢臣列伝】印東房一

里見家臣団から、独断と偏見で8人をチョイスしました。
でも、それだけでは納まらない魅力な人材は、まだまだいるんですよ。
本当の意味での8人を選ぶのは、皆様ひとり一人の熱い想いかも知れません……!





第十二 印東房一


 どの家中でも、滅亡に際し、佞臣に仕立てられる者は少なくない。里見家にも、その不幸な人物がいた。
 印東采女佐房一。
 里見家を崩壊に導いたという、在られもない罪を張られた彼の真実は、その悪評とは真逆の忠臣であった。

 印東房一は里見忠義が幼少の頃から仕えていた。忠義は秀吉の存命中は伏見、死後は江戸に留め置かれ、安房へ入ったのは父・義康急逝による家督相続よりのことだった。
「案ずるに及ばず。殿のことを誰もがお支え申すことでしょう」
側近のひとりとして、印東房一は忠義の不安を払拭するよう腐心した。当主の世代交代には、少なからず家臣の処遇が左右される。古い側近に変わり新しい側近が台頭するためだ。義康時代に表へ出る機会の少なかった印東房一は、その例に洩れることなく、里見の内政の重きを担うのである。
 幼少の当主が据えられた際、得てして家臣が重きを負い、ときとして主義主張が割れて派閥を構成し対立することもある。里見家はまさにその状況となっていた。
 印東房一は保守派として、正木時茂に与していた。しかし、大きく国内を改革し、世代交代とともに時代に合わせた政策を一新する必要があった。この改革派の筆頭が、堀江頼忠等である。
「このままでいい筈もなし」
と、堀江頼忠は派閥を越えて訴え続けた。これに印東房一は応えた。結果的に、印東房一は保守派から、裏切り者と罵られる恰好となった。
 保守派の里見揚安斎は房一にとっては、妻の兄にあたる。里見揚安斎は妹に詰め寄り、強引に房一と離縁させ岡本四郎兵衛頼重に再婚させた。これでは哀れであると、堀江頼忠は妹を印東房一に嫁がせた。
この家中が割れた状態が、里見家にとって、よい影響を及ぼす筈がない。内政の滞りは様々な形で領内を不安定にする。
 この当時、里見忠義は徳川幕府における大久保派という派閥に属す。派閥争いは徳川家でも行われており、その厄介なしがらみに多くの者が難儀していた。里見忠義の妻は、その派閥の中心である大久保忠隣の孫である。
この派閥の均衡が動けば、里見家は充分に巻き込まれることとなる。そのきっかけが、大久保長安事件と呼ばれるものだった。大久保派はこれにより、失脚への道を歩むのである。里見家は、内輪で揉めている場合ではなかった。
慶長一九年(一六一四) 九月六日の昼、忠義は幕府の御召しで江戸に赴いた。大久保仙丸(忠職)の屋敷にて待機するよう忠義は幕府の沙汰を得た。
 忠義は疑いもなく屋敷に入り、明日の沙汰を待った。しかし、二日経っても音信のないことに不審を覚えた忠義は
「済まぬが、将軍に伺いを賜れぬものか」
 大久保家の家臣にそう打診した。結局、何の音沙汰もなく、九日を迎えた。この日になって、ようやく訪れた幕府の使者が延べた言葉に、里見忠義は耳を疑った。
「上意により安房国を召し上げ、常陸鹿島領三万石へ減封にて候」
 里見忠義はどう考えていいものか、混乱する脳裏のなかで、これが大久保長安事件の余波であることを、次第に理解していった。
 安房一二万石から鹿島三万石、これは過酷な処分といってよい。あたら家臣を手放さなければ、領内を立て直すことも適わない。
 安房召上げおよび鹿島減封の沙汰は、館山城へも速やかに伝わった。留守を任されている堀江能登守頼忠は、大家老としてこの青天の霹靂を現実として享受し、領内に具体的な指示を行う大任を負ったことになる。
「納得できぬ」
 強行派は大騒ぎした。
 もともと武断派として、山本清七や里見揚安斎を中心につくられた派閥が、真っ先に声を挙げ、せめて一戦に及ぶべしと息巻いた。
 しかし、結果として、主君を江戸の人質とされている以上、里見家臣団は恭順せざるを得なかった。
「いまは大家老の采配に、皆々従うしかなかろうて。神妙に承るべし」
 混乱する城内に向けて、印東采女佐房一が檄を飛ばした。大家老の山本清七と堀江能登守頼忠の言葉に、一同は耳を傾け凝視した。
 里見家は大久保派ゆえ、必然のなかで被った本多派からの報復というよりない。
「上州板鼻の讃岐守殿の改易は去年のことである。これも報復の声が高い。我らは取り潰されることなく減封である。まだ、ましと忍従することこそ肝要なり」
 印東房一の言葉はもっともだ。さりとて、人はそれほど物分かりのよい生き物に非ず。ましてや印東房一は家中で人気のある者ではない。よき言葉さえも素直に響かぬところがある。
「采女佐殿が御館の采配を誤らせたのではないか?」
 譜代と異なり、印東房一は忠義幼少からの付人上がりである。一門衆は彼を疎んでいた。
「采女佐殿の申し分におかしなところはない。また、采配を曲げた根拠もない。いまは私的な物云いを控えられたし」
 堀江能登守頼忠が割って入った。
 それでも不服そうな武断派は、堀江頼忠にさえ噛みついた。
「斯くなる上は、城を枕に幕府へ抵抗すべし」
 里見揚安斎が呻いた。
「それこそ幕府の思うところなり」
 堀江能登守頼忠が反論した。
「減封は手心である。これに応じなければ、里見家改易は必定!」
 改易という言葉の重みは大きい。
 里見揚安斎が堀江頼忠へ悪意を向けるのは、私的なことだ。かつて妹婿だった印東房一が堀江頼忠の妹も妻としたことで、揚安斎は両名と険悪になったのである。房一から妹を離縁させ、岡本四郎兵衛頼重に再嫁させたことで、里見家中を二分する元凶としたのは、紛れもなく揚安斎だ。
私怨は、仕方ない。しかし、この場では、大義を語る堀江頼忠の云い分が正しい。
「我らが心得ることはただひとつ。御館の御身こそ、第一義なり。たとえ墳墓の地を失おうとも、里見の家は断じて残す。これが、我ら家臣の忠節なり」
 一二万石から三万石。各々の俸禄を七割召し上げ、なおかつ、浪人も出さねばならない。苦衷の決断だ。
さりとて、他に道はない。
「江戸に御館の身柄がある以上、滅多なことをしてはならぬ」
 武断派を代表して、山本清七も、血を吐く想いで、強く叫んだ。こうなると、もはや里見揚安斎とて私怨を胸中に押し留め、為すべきことを最優先に考えざるを得ない。
 城内のいたるところで、啜り泣く声が満ち溢れた。
「無念」
 ただただ、その言葉以外に例えるものはない。
 こうして、家臣団は黙々と、各自荷造りするため屋敷へと去っていった。
 館山城に幕府からの追加伝令が駆けつけたのは、翌日のことである。
城受取りの及び破却の使者として、内藤政長・本多忠朝が軍勢を率いて来るとの報せに、城内はざわめいた。
内藤政長・本多忠朝の出立は、九月一三日のことである。
 血気に逸り武力を用いぬよう、堀江頼忠は領内に檄を発した。蛮勇は一時のこと、それで全てを損なうことに繋がる。恭順の徹底を、頼忠は繰り返し叫んだ。
 すべては忠義のためである。
 一二万石から三万石へ減封されることは、深刻な問題だった。
 すべての家臣を賄える禄高ではない。浪人を出さねば立ちゆかず、しかも、留まりし誰もが、いまの扶持の七割を返上しても苦しい台所となる。
 里見氏が安房入りする以前からの在地豪族は、新しい土地に馴染めぬからと、暇乞いを申告してきた。そうはいうものの、口減らしの覚悟は重々誰にも伝わっている。新しい領主は徳川の臣下だろう。きっと、虐げられるに相違ない。
去るも地獄、残るも地獄、彼らの覚悟は並々ならぬものだった。重臣たちは白装束で、内藤政長・本多忠朝の両名を迎え入れた。
「安房より鹿島への減封を謹んでお受け申し上げます。何卒、江戸に留め置かれる御館の御身をお返しあれ」
 重臣を代表して、堀江能登守頼忠が口上した。
「上意である」
 本多忠朝は懐より書状を掲げ、ゆっくりと広げていった。
「館山城を没収し、破却すべし。破却は徳川の手で行い、里見の臣下は鹿島領行方郡への転居を急ぐべし」
 悔しさは拭えないが、誰にも異存はなかった。
「謹んでお受けします」
 堀江頼忠の震える声が、重臣一同の一致した無念を表していた。
 九月二〇日。里見重臣を代表して、堀江能登守頼忠・山本清七・板倉牛洗斎が陣所に呼ばれた。三人は内藤政長の言葉に、言葉を失った。
「鹿島転封を改め替地を沙汰する」
 その替地は、無縁の遠国だ。
「倉吉ですと?」
 穏和な表情を失った堀江頼忠が、噛みつくように理由を質した。内藤政長もつらいのだ。接収の最中に、江戸から追って報せが届いたばかりなのである。。
 この国替にあたり、印東房一は安房に留まる道を選んだ。
「口減らしは、早い方がよろしゅうございます」
 里見家の禄を離れた印東房一の、その後の足跡は定かでない。




 資料に乏しい中での小説です。
 史実に脚色もござれば、寛容にお楽しみください。


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maingazo3-624x227.png                               里見氏大河ドラマ化実行委員会http://satomishi.com/

熱くなってきたよ、里見氏。ねっ

ここで、緊急告知!
上記「里見氏大河ドラマ化実行委員会HP」において、2014年4月3日から、夢酔の小説が連載開始!毎週木曜日に更新されます。どうぞ末永く御愛顧賜りますようヨロシクお願いします。里見氏を皆さんに知って貰いたい一心での、試みです。このblog同様、御愛顧賜りますようお願い申し上げます。

2014年。
新しいことを始めて欲しい、そんな気持です。

戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
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 皆さまの温かいご声援をお願いします。

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 活動の趣旨に御賛同いただけましたら、是非、こちらの署名用紙をプリントアウトのうえ、支援の程よろしくお願いします!


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  1. 2014/04/19(土) 17:57:45|
  2. 書き下ろし作品
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