散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

【里見八賢臣】中里実次

第七 中里実次


 中里備中守実次という人物の詳細は、前期里見氏の最盛期ということもあり、このような者がいたという範疇が主である。その出自も明確でなく、伝承によれば、房総初代・里見義実の子とも囁かれる。
 前期里見氏は義実から義豊までの当主系譜期間を指す。義豊を傍流の義堯が倒してのちは、後期里見氏と学術的に大別される。後期は書状や資料により全容が浮き彫りとなるのだが、前期となれば、『南総里見八犬伝』の創作部分に触発されて、事実と虚偽が綯い交ぜな状態といっても過言ではない。
 今日、前期里見氏は、初代を義実、その子が二代目義通・実堯・実次、義通の子が三代目義豊と位置付けされている。これまで二代目といわれた成義の存在は、架空と思われているようで、中里実次は安房支配の黎明期を支えた里見の眷属と考えてよい。

 里見義通の時代は、在地豪族を支配下におく創業から起業へ向けた時期だった。従う者を遇し、与して勢力を拡大し、反面、逆らう者を屈服していった。義通を中心として、実堯と実次の弟たちは奮戦したことが想像に易い。実堯は万能型の人物で、内政や合戦の巧者と伝えられる。主に内房方面に勢力を拡大し、金谷や上総の一部まで支配力を拡げたらしい。内房水軍にも影響力を及ぼした。この実堯と両輪の如く、正木通綱が実力を発揮した。義通の時期に安房はおおよそ平定されたとみてよい。
 中里実次は先鋒方ではなく、どちらかといえば内政肌の人物だろう。義通の時代は当主を補佐する立場を弁えたと考えられる。

 里見家にとって、大きな転換期が訪れたのは、義豊の時代だった。
 近年の研究によれば、壮年の頃に家督を継いだことが判明している。義通は老いて大殿とし後見役に徹した。長老として実堯・実次は若き当主を支えた。
 里見義豊という人物は、その活動の足跡に含まれる思惟が、よく解らない。内政面で領民に支持されていたか、それとも不人気か、全く読み取れなかった。ただひとつ判ることは、小舅的な里見実堯を敬遠していただろうことだった。その実堯は内政・軍事とも、義通の時期から安定していた補佐官だった。
 つまり、他意もなく新しい当主を支えていた筈だったのである。

 大永六年(一五二六)五月、内房の海を内陸へ帆を張る船団があった。二つ引両の紋を鮮やかに染め抜いた、里見の水軍である。
この船団の旗船に乗るのは、正木大膳大夫通綱。この船団の進軍目的は、北条氏の港湾拠点のひとつ品河湊を襲撃するためである。品河攻撃は、完全な奇襲となって、里見勢に軍配を上げた。
 品河奇襲の報告に、里見義豊はすっかり舞い上がった。見事な海賊衆の手際に歓喜し、すぐにも再度の奇襲をしたいとさえ漏らした。
 その言葉を待って
「是非にも鎌倉を」
と、実堯が進言した。
「鎌倉は北条に支配されております。かつての栄華はござりません。殿の手で偽の都を焼き払うことが、武門の倣いと心得ます」
 義豊はこれに応じた。
 鎌倉を焼き討ちにした義豊の評判は、『快元僧都記』や北条方の文献から憎悪となって伝わっている。察するに、予想以上の戦果だったのだろう。
 敵から畏怖され憎まれることは、武士の名誉のようなものだ。
 が、義豊はどこかでそれを疎んだ。義豊の気質は文治派で、自ら手を汚すことが堪え難かったのだろう。程なく、実堯を逆恨みし、排斥する企てを側近たちと語るようになっていた。
 それを制したのは、中里備中守実次である。
「今は内輪揉めなど考えるときでは、ねえっぺ」
「叔父上には解らぬ」
「兄は里見のために滅私奉公しておるのだ。当主がそれを理解しないで、なんとする」
 しかし、ついにその流れを留めることは出来なかった。
 天文二年(一五三三)七月二七日。里見義豊は実堯と正木通綱を暗殺した。

 後世、〈犬掛合戦〉と呼ばれるものがある。里見実堯の遺児・義堯が、当主である義豊に対し兵を挙げたものだ。義豊に非がなければ、義堯のそれは、ただの謀叛に過ぎない。が、民衆の多くが支持したのは、義堯だった。
 中里実次は一貫して義豊に附いた。
 実次の娘は義豊の側室だったから、叔父甥だけの関係ではない〈しがらみ〉もあったのだろう。
 この戦いで、中里備中守実次は討ち死にした。主家に殉じたといえば聞こえがいいが、こういう事態になることを回避するため、影となり諫めていたことだろう。その責任を負ったのかも知れない。

 前期里見氏の歴史とともに、中里備中守実次もその役割を終えたのである。


 資料に乏しい中での小説です。
 史実に脚色もござれば、寛容にお楽しみください。


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maingazo3-624x227.png                               里見氏大河ドラマ化実行委員会

熱くなってきたよ、里見氏。ねっ


2014年。
新しいことを始めて欲しい、そんな気持です。

戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
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  1. 2014/03/15(土) 04:44:16|
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