散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

【里見八賢臣】薦野頼俊

第六 薦野頼俊


 里見家臣団のなかでも、薦野甚五郎頼俊は異彩を放つ。彼は家臣の系譜ではなく、里見家の生まれだからだ。薦野頼俊の父は、里見義弘である。母は薦野時盛の娘と伝わっている。すなわち母方である薦野氏の家督を、頼俊は相続したことになる。
 薦野の家は安房にあって早くから里見氏に仕えていたのだろう。弘治三年一一月の那古寺鐘銘写に、〈薦野神五郎多々良平時盛〉という名がある。弘治三年は里見家にとって苦難の渦中にあり、北条氏康の調略で内乱さえ生じていた時期だ。その頃に、里見氏の別当寺である那古寺に帰依していた薦野氏は、奇特な存在だったのかも知れない。
 多々良という地域は、太房岬の付け根にあたる地域だ。その土着の武士という意味で、〈薦野神五郎多々良平時盛〉と名乗ったのだろう。ここは安房の重要拠点である岡本城にも近い。里見氏にとっても、無視の出来ない、頼りとなる存在だったのだろう。

 幼くして薦野家に迎えられた頼俊は、恐らくは里見家の血を信じることなく、祖父・時盛の薫陶のなかで長じたと考えられる。疑いもなく、やがては薦野氏の家督を継いだ。その頃には冷静に、己の出自も受け容れたことだろう。
 薦野頼俊は野心家ではなかった。血を分けた眷属に仕えることへの抵抗も、さほどに持ち合わせていなかった。どのみち傍流の弟は、主家を支える存在にしかなり得ない。卑下するまでもなく、現実を、薦野頼俊は穏やかに受け止めたことになる。そこに、下剋上とは遠い安房の気風が、どことなく垣間見える。

 里見義弘とその弟で養子の義頼との関係が冷え始めた頃、〈房相一和〉の動きがあった。江戸湾を巡り、長年係争してきた北条氏との和睦は、考えようによっては有為であった。
 北条氏政の娘・鶴姫が義頼正室として嫁いでくると、人質交換として、義弘は薦野頼俊に白羽の矢を立てた。薦野頼俊は内偵という志で、堂々と小田原へ渡った。鶴姫は薄命だった。同盟維持のため、今度は氏政の妹・菊姫が継室として嫁した。これも長い関係ではなかった。ふたりの姫がいなくなれば、薦野頼俊が小田原に留まる理由もなくなる。人質交換の期間は、短かった。その間に、里見家は義頼が当主になっていたが、薦野頼俊は変わらぬ忠義を主家に傾けた。

 里見義頼の時代は、世の転換期である。
 織田信長の死後、豊臣秀吉の台頭で、天下は大きく動く。その渦中、里見義頼も病没し、家督は義康が継いだ。薦野頼俊はいつしか一門衆の中核となっていた。

 天正一七年一〇月二三日。世にいう〈名胡桃事件〉が生じた。これが〈小田原征伐〉に発展し、里見氏もこれに応じる。が、些細なことで秀吉の怒りを被り、上総を召し上げられた。
 北条氏の滅んだのちは、徳川家康が関東に入る。里見氏は内憂外患の危機を迎えるが、義康は家臣団を上手に束ねて安房一国を維持した。その内政維持の中核で尽力したのが、薦野頼俊だった。
 
 豊臣秀吉が天下人として君臨したのは、その後一〇年ほど。秀吉の死によって、徳川家康が脚光を浴びる。
 関ヶ原。里見氏は前哨戦となる宇都宮布陣に参じ、そのまま上杉景勝の南下に備えた。その陣中には薦野頼俊の姿もあった。
 戦後、功績が認められ、鹿島三万石が加増。ここまでが、里見氏にとっての絶頂期だった。やがて義康が病没すると、一〇歳の里見忠義が家督を継いだ。一門の長老のひとりとして、薦野頼俊の立場も重くなっていた。
 里見忠義の正室は、大久保忠隣の孫娘。徳川幕府の中枢に最も近い姻戚だった。しかし幕府のなかでは、大久保氏を快く思わない本多正純の派閥が対立していた。この派閥争いのなかに、里見氏は巻き込まれていった。
 大久保長安事件により、大久保忠隣は失脚した。連なる縁戚は改易されていく。里見氏もそれに含まれた。倉吉に改易された里見忠義へ、多くの家臣が附いていかなかった。それは石高が家臣を賄える額に満たないため、泣く泣く残留を余儀なくされたためだった。
 薦野頼俊も残留した。残る側とて、辛いのである。
 
 伝承によると、薦野頼俊は館山城引き渡しを拒み挙兵したことになっている。そこで里見の意地を見せつけ、果てたというのだ。が、そのようなことになれば、改易すら許されまい。ただちに里見氏は取り潰されよう。
 里見氏改易は、房総の人々の同情を買った。
 薦野頼俊の挙兵伝説は、悲哀の心が生んだ、ひとつの御伽噺に過ぎない。事実、薦野頼俊は現実に堪え、屈辱に耐えて、生き延びた。
 子孫は水戸徳川家に仕えたとも伝えられている。


 資料に乏しい中での小説です。
 史実に脚色もござれば、寛容にお楽しみください。


     ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ 

maingazo3-624x227.png                               里見氏大河ドラマ化実行委員会

熱くなってきたよ、里見氏。ねっ


2014年。
新しいことを始めて欲しい、そんな気持です。

戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
 皆さまの温かいご声援をお願いします。

ポスター
 署名用紙はこちらに収納しております。
 活動の趣旨に御賛同いただけましたら、是非、こちらの署名用紙をプリントアウトのうえ、支援の程よろしくお願いします!


人気ブログランキングへ


にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村
スポンサーサイト
  1. 2014/03/08(土) 12:10:45|
  2. 書き下ろし作品
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:5
<<【里見八賢臣】中里実次 | ホーム | 【里見八賢臣】加藤信景>>

コメント

薦野家

薦野頼俊 ブログ拝見しました  薦野の本拠 富浦の多田良じゃ
じゃありませんね 館山市上真倉で 妙音院境内 住職の墓より
上位に墓域があります 里見義康が築城にあたり 蟠踞する 薦野家を取込むため 入り婿を強行したと思われます 里見の女主人
久栄大黒印書状を所持しています 墓域中に熊野神社を抱えている熊野修験 連雀商人の巻物も所持 詳しくは 文化財保護協会
会報に連載されていますよ 北條城の安西氏と連携した 真倉郷の実力者です 里見入部前から 熊野御師海蔵寺を拠点に 太田道灌とも 品川長者鈴木道胤を通じて接点があったと察せられます道灌の肉襦袢を着て 神輿担ぎ 来年5月5日 鶴谷八幡宮へ 繰り込む予定です 失礼の段 お許しください
  1. 2014/11/29(土) 00:31:47 |
  2. URL |
  3. awabusi #yeynnAyQ
  4. [ 編集 ]

No title

awabusiさん

コメントありがとうございます。
浅学ゆえに御指摘ありがたく存じます。家臣団については「すべてわかる戦国大名里見氏の歴史(川名登・編)」を軸として、手探りでやっております。
具体的資料を教えていただきありがとうございます。さっそく館山市文化財保護協会の加藤さんに問い合わせします。バックナンバーの複写があればいいなと思います。
  1. 2014/11/29(土) 07:24:56 |
  2. URL |
  3. 夢酔藤山 #Gq//HHxQ
  4. [ 編集 ]

No title

夢酔先生へ awabusi です 房日で拝読しています 保護協会加藤先生は 教委在職時の同僚です 会報No 下記の通りです
12号 P47 13号 P17 14号 P14 15号 P27
12号は「里見氏改易時の疑問」 13~15号は「或る古文書」のタイトルです 加藤先生には委員会にいた鈴木から聞いたと 言えば
通じます 神輿の彫り物と肉襦袢については 生涯学習課の女性
学芸員に鈴木からと聞いてもらえば 十六葉菊花紋と道灌山吹の襦袢着用の下真倉 日枝神社神輿と教えてくれます
もう一つ 城引取りの内藤勢と渡り合った 民話おたまキツネ の
話は 私 安房節 のHPで見て いただければ幸いです
毎日 先生の連載 楽しみにしています
  1. 2014/11/29(土) 09:31:26 |
  2. URL |
  3. awabusi #yeynnAyQ
  4. [ 編集 ]

No title

awabusiさん

重ね重ねコメントありがとうございます。
出先ついでに加藤さんへ郵送したあとで拝見しました。早まったと反省しております。リアクションをみて、足りないものを再度確認したいと思います。

連載の悩まし処や言い訳は、最近三本分でアップしております【連載余話】シリーズを拝読いただき失笑願います。
今後ともよろしくご指導の程お願い申し上げます。
  1. 2014/11/29(土) 16:56:53 |
  2. URL |
  3. 夢酔藤山 #Gq//HHxQ
  4. [ 編集 ]

No title

夢酔先生へ  awabusi です 余話 拝見 安心しました 東京在住だから さらりと 光を当てて おいでです 鳥の目で !!!
たった一つ 先生に 本物を見ていただきたい 大膳山北 御霊山
からまっすぐ東 汐入川べり の御宅 加藤先生と相談のうえ 岡田館長を誘い 「開かずの箱」の 古文書を拝見させて もらって
ください 薦野神五郎の口惜しさ いや 房州人の口惜しさ あばら骨が足りない 心意気が 山ほど詰っているはずです それを
大河ドラマの 大団円に伏せて置くのです 那古寺胎内銘板の
薦野道了 里見実堯の正室の親 正木盛氏(佐久間村住)と同一人
かどうか 多々良庄は鋸山までが範囲です ご検討のほどを
(^◇^)
  1. 2014/11/29(土) 23:34:18 |
  2. URL |
  3. awabusi #yeynnAyQ
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://musuitouzan.blog.fc2.com/tb.php/111-b47f3ea9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)