散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

【里見八賢臣】正木時茂

  第一 正木時茂


 正木の家は安房国に派生する、里見家と表裏の名家だ。その表裏に昇華させたのが正木大膳亮通綱だとしたら、確立させた第一人者が、この時茂という人物だろう。
 時茂は通綱の次男。本来ならば、世の表舞台に出てくる場面に恵まれなかったかも知れない。それが、ひょんなことで、里見の大黒柱となるのだから、世の中とは不思議このうえない。

 天文二年(一五三三)七月、時茂は里見家傍流の若き義堯とともに、造海城の真里谷丹波守信隆を訪れていた。義堯は当主・里見義豊の叔父・実堯の嫡男である。こちらも世が世なら、決して表に出てくる存在ではない。
 両名が固い主従となって、世に台頭する事件が起きた。〈天文の内乱〉とも呼ばれる、里見家の内紛である。
 どういう内紛かといえば、戦国時代にはありふれた事件かも知れない。ようは、当主にとって不都合な叔父・実堯と、賢臣たる正木通綱を、里見実堯が一計を策し誅殺したものであった。理由は明確ではないが、察するに、当主にとっては目の上の瘤を排除したのであろう。
 このとき、両名の一族も滅ぼされる筈だった。通綱の長男・弥次郎も父とともに討たれたし、実堯の居城である久留里にも軍勢が殺到した。
 しかし、時茂も義堯も、造海城にあって難を逃れたのである。
 このとき生き存えた両名は、思いもよらぬ行動に出た。父の仇討ちという大義名分で、挙兵したのである。
ここで、奇蹟が起きた。安房の軍勢は、当主を見限り、たかが傍流の義堯を担ぐ行動に出たのである。主家への謀叛という誹りさえものともせず、民意は両名を選んだのだ。
 正木時茂は里見義堯を旗頭とし、この軍勢の補佐役に徹して、父の仇討ちという悲願を遂行した。
 翌年四月六日、平郡の山間に拡がる一帯で、里見義堯と義豊が激突した。これを〈犬掛合戦〉という。
 平久里川は上流から鮮血が流れとなり、みるみると染め上がっていった。敵味方のものとも解らぬ骸も流れてきた。まだ息のある兵たちの呻き声は随所に響いたが、それ以上に猛り狂う怒号がそれらを覆い潰していった。
 馬上の正木時茂は大鎌鎗を振るった。徒歩きの義豊勢は、次々になぎ倒されていった。これに象徴されるように、天運は、明らかに義堯側に微笑んでいた。随所で義豊勢が討ち果たされていった。
合戦開始から半刻も経たぬ頃。
「退け、退け!」
 そう叫ぶ大将首めがけて、義堯方の兵が殺到した。無数の槍襖に対し、一本の太刀など無手に等しかった。甲冑を刺し貫く槍に、その大将首は絶命した。
それこそ、里見義豊その人だった。
「御大将、討ち取られ候え」
 義豊勢はその声に動揺した。逃げる者もいたが、それらは次々と討ち果たされていった。
 滝田城下の川又では義豊を盛り立ててきた御傍衆たちが大勢討たれた。こうして犬掛の合戦において、義堯は圧倒的な大勝を得たのである。
 庶流が嫡流を討つ。
 これは、決して特別なことではない。戦国を代表する武将の多くは、兄や宗家に取って代わる実力者だ。里見氏のこれもまた、民意によって、党首の座がすげ変わったまでに過ぎない。
 このときから、里見義堯は若くして戦国の荒波に曝されることとなり、その参謀として、正木時茂の双肩にも重責が負わされたのである。

 両者にとって最初の試練が、小弓公方・足利義明との共同作戦である。小田原の北条氏綱と戦うため、連合軍を編制して、下総へと出陣した。
 小弓公方とは、古河公方から分かれた房総の権威であった。これを旗頭にすることで、里見家は江戸湾を隔てた北条氏と対峙することが出来る。それに、正木時茂にとっても、北条は憎むべき仇敵であった。三浦半島の雄・三浦一族は扇谷上杉氏の家老であった。北条早雲の時代、三浦氏は相模において最後まで北条に抗った。そして、滅び去ったのである。滅亡直前、三浦の若者ひとり、海を隔てた房総へ逃れて生き存えた。それが、時茂の父・通綱とされる。
 つまり、時茂にとって、北条はもうひとつの父の仇なのであった。
 足利・里見連合軍が太日川(のちの江戸川)東岸の国府台に布陣したのは、天文七年(一五三八)一〇月。このときの戦いを〈第一次国府台合戦〉という。この戦さは、結果的には足利義明が討たれたことで敗戦となったが、里見勢は無傷の状態で撤退した。
「小弓公方家の御身内を、安房に匿いたまえ」
 時茂の献策に義堯は頷いた。このことで小弓公方の血脈が後世に残されたのである。
 国府台合戦ののち、時茂は義堯に従い、内政と共に東上総攻略に力を発揮した。長狭郡を拠点とする時茂の軍勢は強く、天文一三年頃には小田喜(のちの大多喜)城を落とし、そこを所領とした。
 戦国時代、正木時茂は〈槍大膳〉として近隣に知られる存在だった。また、遠く越前国では『朝倉宗滴話記』曰く
   又、日本に国持人使の上手よき
   手本と申すべく仁は、今川殿・
   甲斐武田殿・三好修理大夫殿・
   長尾殿・安芸毛利・織田上総介
   方・関東正木大膳亮方
と記されるとおり、正木時茂は人使いの妙を得た人材として紹介されている。
 しかし、天文年間。里見氏にとっては、北条氏の調略等による内乱期が長く続き、時茂もまた、義堯を支えながら里見の苦難に立ち向かったのである。

 関東でも、長年対立していた古河公方家と上杉氏が和解し、同じ敵として北条に立ち向かう気運が高まっていた。里見家もこれに同調することは、決して無為ではない。
「申し上げます」
 正木時茂が図面を拡げながら、義堯をみた。
「なにか策でも?」
「は」
 北条という共通の敵を持ちながら、上杉との共闘のない無策を、時茂は諌言した。痛いところだと、義堯は呟いた。さりとて上杉は戦さ下手でも知られている。殊、野戦においては数を頼むより術を知らないといってもよい。
「誰かと通じよと申すか?」
「長野信濃守」
「なんと?」
 義堯は頷いた。上杉陣営にあって戦さ上手で知られる上野国箕輪城の長野信濃守業政。かつて義堯はこの者の父・伊予守憲業の娘を正室に迎えていたことがある。業政は、その兄だ。正室は早くに亡く、義堯はすっかり長野氏とは疎遠であった。
「亡き正妻様の御子・文悟丸様を、長野家に養子として差し出すというのは如何か」
「なんと?」
「文悟丸様は一四歳になりました。元服も適います」
「これを質に、盟約を結ぶのか?」
「血統は長野家にて、養子といえども叔父甥の間柄。疎かにされることはございますまい。これにて、両家は結びつくと思われます」
「易くいうものよ」
「長野信濃守が北条を睨んで当家をどう見ているものか、腹が探れるだけでも収穫。しくじっても無駄に非ずや」
 上杉家に伝手はないが、長野家を介せば、間接的に共闘が適う。確かにこのことは無益な話ではない。
 委細を任された正木時茂は上野国に発って、交渉に臨んだ。
 上州榛名東麓の箕輪城は、西上野の要であった。軍略に長ける長野信濃守業政は、正木時茂の申し出に
「さっそくに」
と即答した。有為か無為か、先々を見越す慧眼で同意したのである。
 こののち、文悟丸は業政の実子同様に薫陶され、のちに石井家の家督を継いで重臣列に遇された。文悟丸、元服して義樹を名乗る。のちの石井讃岐守信房である。
 しかし、天文一四年(一五四五)に起きた〈河越夜戦〉で、上杉氏は北条氏康から壊滅的な打撃を被った。長野業政のみ留まり、なんと上杉氏は越後へ逃亡したのである。

 天文二二年(一五五三)、里見義堯は隠居を宣言し、家督を嫡男・義弘に譲った。恐らく正木時茂もそれに倣い、家督を嫡男・信茂に譲ったことだろう。信茂の正室は義堯の娘・種姫で、いよいよ里見家との結びつきも強くなった。
「ゆめゆめ里見への忠義を怠ることなかれ」
 時茂は強く一族に云い含めたことだろう。

 永禄三年、越後の長尾景虎が小田原包囲の大遠征を挙行した。長野業政は関東を代表してこれを迎え入れ、里見家もこれに参じた。
「こんな勇壮なる出陣、末代までの譽なりけり」
 正木時茂は越後の精鋭に目を丸くしたことだろう。
 翌年、時茂は世を去った。
 時代はこれから里見家を大きく翻弄するのであるが、時茂の忠節が、後世の基盤となったことは申すまでもない。里見家では時茂の死後より、彼を、伝説の正木時茂と重んじ、後の世の手本とした。



 資料に乏しい中での小説です。
 史実に脚色もござれば、寛容にお楽しみください。


     ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ 

maingazo3-624x227.png                               里見氏大河ドラマ化実行委員会

熱くなってきたよ、里見氏。ねっ


2014年。
新しいことを始めて欲しい、そんな気持です。

戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
 皆さまの温かいご声援をお願いします。

ポスター
 署名用紙はこちらに収納しております。
 活動の趣旨に御賛同いただけましたら、是非、こちらの署名用紙をプリントアウトのうえ、支援の程よろしくお願いします!


人気ブログランキングへ


にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村


スポンサーサイト
  1. 2014/02/06(木) 09:59:15|
  2. 書き下ろし作品
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<【里見八賢臣】堀江頼忠 | ホーム | 「春の国」夢酔藤山作 原画展>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://musuitouzan.blog.fc2.com/tb.php/105-76e1c916
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)