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散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

Σ(゚□゚(゚□゚*)

台風の被害のニュースは東北や栃木ばかりに移り、千葉のことはゴルフ練習場か県知事のことばかりになってしまいました。
なんだか、喉元過ぎれば熱さを忘れるという言葉を思い出します。


こんなことでは、観光で成り立つ千葉県や市町村は苦しいばかり。
観光で生計を立てている皆さまは、もっと切実です。
以前、自粛は敵だと記載しました。
そのとおりだと思います。
県外から受け容れのできる余地があるのなら、観光客を呼び込むことが最大のテーマになる筈です。

だから、あえて口にします。

災害復興大河を千葉に!
題材はあるのです。いくらでもあるのです。
でも、全都道府県で大河ドラマのメイン舞台になったことがないのは、千葉・鳥取・北海道だけなのです。知っていましたか?
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いままでは、団体が勝手にやってるよという認識だったかもしれない。
でも、官も民も一致団結して、いいんじゃないですか。それを県外から応援してもいいんじゃないですか。
仮に里見なら、他の大河化運動と絡ませることが出来ますよ。
 ・NHK大河ドラマ「本多忠勝・忠朝」誘致実行委員会 ⇒ 本多の前の正木時代の大多喜が描ける。本多父子だけでは、大多喜より他県に旨味を取られますよ。
 ・北条五代観光推進協議会 ⇒ 東京湾の北条水軍にスポット当てられますよ。ずっとスルーでしょ。五代追いかけたら、ここは省略される。東京湾の戦国は穴場です。
東北では「八重の桜」やってくれたじゃないですか。
千葉を、助けよう。助けあおう。どうですか、みなさん!


声にしたい。

災害復興大河を千葉に!

本来ならば、こういうときこそのタレント知事ですよ。





戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
 皆さまの温かいご声援をお願いします。


公式HPはこちら里見氏大河ドラマ化実行委員会

ポスター
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 活動の趣旨に御賛同いただけましたら、是非、こちらの署名用紙をプリントアウトのうえ、支援の程よろしくお願いします!


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  1. 2019/11/28(木) 10:12:43|
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鑑賞

明治村はどれもこれも、建築物に興味がある人ならば納得する。
もちろん、明治だけに浸りたい人も、ちょっと歴史オンチでも、リアルに4代くらい前の曾祖父母の記憶にある時代。
楽しみ方は、多様だ。

ただし。
建築以外の明治の産物に楽しみ方を見つけることも出来る。
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こんなのもやっていて、正直、観るのに弊害もあったけど、好きな人には仕方がないのだろう。でも、観たい物に違った群がりで、おちついて観られなかったことは事実でした。運がない。DSCF4213.jpg

13年前に連載していた「聖女の道標」。
日本赤十字社本社や日本赤十字看護学校をはじめ国内の日赤関係をお伺いし、徹底的に取材しました。この明治村にある病棟もそのひとつ。
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13年前まで、世間的には萩原タケの日赤入社嘆願書が明治村にあるとされていました。(写真は、あきる野市五日市郷土館にある複製。当時はここに、原本は明治村と記されていた)93e1b7a1.jpg
明治村取材時に、この嘆願書がないということを確認し、五日市郷土館や日赤の資料関係部門に報告した覚えがあります。

萩原タケのことは、あれから未だに世間的に有名になっていません。
朝ドラか大河の題材になってもいいくらいの功績と実績、なにより看護師と呼ばれる前の「白衣の天使」というイメージや、男女機会均等法などなくても職業婦人の意識改革や労働環境の確立に尽くした人物。ここに移設された帝国ホテルが日比谷にあったときは、アジア初の赤十字国際看護婦大会東京大会の開催にも、タケは深く関わりました。
もっと、知ってもらいたい、真の、日本のナイチンゲールです!


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 大正一五年からスタートした女子英学塾(のちの津田英学塾、現在の津田塾大学)との協定学習が軌道に乗ってきたのは、昭和二年頃のことである。
 この女子英学塾協定学習は、萩原タケが日赤上層部へ強く進言した末に実現したものである。すべては、自ら西洋へ赴き、言葉の障壁を越えることで人種も文化も超えられるという現実を体感したからに他ならない。
「これからの看護婦は、外国語のひとつも話せなければダメです。いざ有事ともなれば、患者は日本人だけとは限りません」
 この教育期間が二~四年とされたのも、やはりタケの主張である。
 女子英学塾は津田梅子の創設による私学校であったが、その文化水準の高さから〈女の東大〉とまで称された。
 津田梅子本人は大正八年に事実上塾長を辞任しており、名目だけの立場となっている。だから、今回の日赤との協定学習はその後進たちが決定した。この制度により、日赤側では昭和一二年までの間に、一四名の卒業生を排出し、看護婦の仕事の幅を増やしたといわれる。
 昭和一二年というのは、萩原タケの亡くなった翌年である。日赤側はそれほどまで、タケに配慮していたのだろう。不本意ながらタケの主張を受け入れていたのかも知れないが、少なくとも萩原タケの目の黒いうちは、格段の配慮に徹していたのだろうことが、朧げに推察される。
 とまれ、職業婦人にとっての地位向上は、日赤だけに関わらず、大正デモクラシーを経て、経済が円熟した都市部全体の問題となっていた。女工を土台にして生糸産業を興していた時代は、僅か十数年前のことである。
                                       (「聖女の道標」より)

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戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
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  1. 2019/11/17(日) 13:44:52|
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鑑賞

今回、楽しみにしていた場所が、明治村だ。
それも、帝国ホテル191103_095503.jpg
明治村は13年ぶり。

前回のときは、「聖女の道標」の連載初日に来たのです。初回からの反響が大きいという嬉しい電話を宿で受け取った記憶がある。
そのときは日本赤十字病院の取材を重視して、帝国ホテルは見落としが大きかった。
それが、とても悔しかった。

植松三十里先生は、この帝国ホテルを題材とした帝国ホテル建築物語を執筆された。
その作品にちなんだ講演会にお伺いしたのは、2017年11月3日。そのときのお話で、
「うわぁ、フランク・ロイド・ライトの楽しみ方を損ねていた!」
と、心の底から思い知らされた思いがしました。
だから、リベンジなのでございます。

191103_102308.jpgフランク・ロイド・ライト

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帝国ホテルのこの建築部分が一部でも残っていてくれたことは、日本人にとって大きな財産を後世につなぐことにもなります。大袈裟なことではなく、いま、同じような物を作れと云われたって、これだけのものは再建できないのではないかな。
191103_104048.jpgここで喫茶できるからこその至福があります。

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今は、期間限定のライトアップのショーを催しています。
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調度品、外装品、カフェの味、生演奏、極上の演出の一部がここに残されている。
三十里先生やっと来られました~










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  1. 2019/11/13(水) 14:18:50|
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鑑賞

犬山には、尾張最古刹とされる寂光院がある。
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その眺望は、織田信長のお墨付きであった。
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小牧城に移った信長の目的は美濃攻略。犬山はその攻撃拠点としては最適の位置にある。
最たるポイントは、やはり木曾川の上流というところだろう。
そして、稲葉山城を見通せる立地は魅力だったと思う。

岐阜城方面
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犬山城
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小牧山城
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寂光院、おそるべし
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  1. 2019/11/12(火) 21:39:20|
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鑑賞

中津川を散策したのちに、犬山へ赴きました。
13年ぶりの犬山です。
インスタ映え云々のない頃のことだから、物凄い様変わりです (゚△゚;ノ)ノ(。Д゚; 三 ;゚Д゚)( ‘o’)

先ずは、犬山城へ。
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犬山城は改修工事中。でも、こういう姿のお城を観ることさえ、レアだとおもいます。
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木曾川の流れは悠久、ああ、これが濃尾平野か。DSCF3931.jpg

犬山城下はもう夕方だからかもしれないけど、それでも活気付いていました……(*≧∪≦)
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立ち寄りなのでやや満喫です。
またいつか、来られたらいいな~(*・`ω´・)ゞDSCF3982.jpg










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  1. 2019/11/11(月) 08:51:35|
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房総時間

ぜんぜんとご無沙汰で、足が遠くて申し訳ない房総ではありますが。
テツに朗報という閑話休題を一席。
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館山駅の開業100周年を記念したイベントが11月9日午前10時から、同駅の自由通路を中心に開催されるそうだ。
主催:JR東日本千葉支社・館山市
後援:館山商工会議所青年部

駅の自由通路ではこんな催しも。
 子ども用の駅長制服やSL運転士の制服を着ての駅長犬やダッペエとの記念撮影
 鉄道模型の展示、運転
 パンタグラフや行先表示器などの実演、操作体験
 記念スタンプ
 100周年記念グッズの販売
 100周年記念ロゴマークのボード展示――など
あと、この日の始発から発車メロディーX JAPANの「Forever Love」に変更されるそうだぞ。
(情報ソース「房州日日新聞」)

館山市立博物館では、企画展示として館山駅開業100周年記念展「鉄道がまちにやってきた」
(開催期間 令和元年7月6日(土)~11月24日(日)※月曜日休館。ただし、月曜日が祝日の場合は開館し、翌日休館。)がやっている。テツまっしぐらの館山だぜ。

テツどもよ、カメラと財布を握りしめて、はしれ館山へ!
現地にお金をいっぱい落とすことも災害復興の一助につながる!


  1. 2019/11/08(金) 07:11:10|
  2. ご案内
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鑑賞

夢酔、これまで足を運んだことはなかったけど、一度は来たくてたまらなかった場所が中津川にございました。
それが、苗木城です。DSCF3867.jpg
城へ行ったら、みんな頼むぞ。
これは必要なことだし、使用する人もそのつもりでよろしくお願いするところでござる。
維持は、お金では代えがたい根気で支えられています!DSCF3826.jpg

苗木城、基本的に江戸時代のつもりで保存や、観光になっていますが、夢酔の目には、ここが戦国の国境係争地最前線に見えるのです!
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山の向こうは、南信州。DSCF3860.jpg
神坂峠を越えてくるものは・・・武田信玄(。Д゚; 三 ;゚Д゚)DSCF3859.jpg


苗木城の遠山氏は、両属関係で武田とも結んだといわれます。国境の一族としては、当然の延命策なのです。
合わせ鏡のように、木曾氏もいます。武田の勢いが失われた時に木曾氏は織田信長に通じますが、これも当時の生きるうえでの常識。裏切り者は卑怯という誹謗は江戸時代になってからの道徳観で、木曾や小山田に目くじら立てることは間違いです。頼りがいがなくなった奴こそ悪い。弱肉強食、それが戦国のルールなのです。



一時期の山城ブームよりは下火になったと思いますが、観光客が多いです。
このブーム以前は、みんな岩村城で女城主萌えしてたのではないでしょうか。ブーム前から着目していた苗木城、もっと閑散ななかで鑑賞したかったというのは、贅沢な悩みかもしれません。少なくともブームが城を綺麗に維持しているのですから。おなじ国史跡でも、千葉の里見城跡は整備にまだまだほど遠い。立派な取り組みに有難みを覚えてござる。DSCF3839.jpg


苗木城。
小山田信茂を題材としたお蔵入り作品では、かなりのウェイトで取り上げています。
ここでは少しだけ、ご紹介しますね。

 三月、秋山伯耆守信友率いる伊那勢は、信玄の命令で木曽谷に布陣した。木曽伊予守義昌は信玄の娘婿であり、美濃の国境を固める重要な役目を負っていた。秋山信友が軍勢を率いてきたことは、何かしらの軍事行動を意味している。
 既に飛騨へ軍勢を送り込む信玄である。
 木曽布陣の目的は、ひとつしかない。
 追って援軍が木曽谷に到着した。諏訪の軍勢である。先頭に立つのは、諏訪勝頼だった。勝頼は信玄の伝言を託されている。その驚愕の指示に、秋山信友は緊張した。
「ただちに東美濃へ攻め入るべし。総大将は秋山伯耆守、寄騎は木曽伊予守、儂はその手並みを学ぶものなり」
「承って候」
 旧暦三月を新暦に正せば五月初旬。既に山岳から雪は消えて往還に支障はない。木曽から東美濃への路は、木曽川沿いに下るのが最短であり確実だ。そして東美濃は織田信長が抑えて日も浅い。信玄の指示は、ただひとつ、急襲だった。
 秋山信友を総大将とする武田勢は福島城を発ち、一気に苗木城へ向かった。苗木城主・遠山左近直廉は城門を開いて、これを迎え入れた。
 武田が早くから美濃へ勢力を伸ばしていたことは、余り知られていない。この遠山直廉と、兄で岩村城主・遠山左衛門尉景任は、武田斎藤両属の関係だった。武田信玄と斎藤道三の狭間で生き存えた一族だ。そして現在は、東美濃へ侵攻する織田信長にも属し、悪くいえば三枚舌のような延命策を執っている。しかし、大国に挟まれた国境の豪族にとって、これ以外の生き方はない。
「ごゆるりと」
 遠山直廉は主立った将へ井戸水を差し出した。山地とはいえ、晴れたら暑い。
「かたじけない、勘太郎殿」
 秋山信友は南信濃を任されているだけあって、国境の豪族たちの立場をよく理解している。勝頼は無愛想に水を干しながら、甲斐甲斐しく椀を配る姫を目で追った。遠山直廉の娘だと、秋山信友は耳打ちした。痩せた臀部を目で追いながら、勝頼は鼻を鳴らした。
 武田勢が苗木城に入ったという報せは、ただちに小牧山城に達した。
 織田信長は蒼白になり、思わず立ち上がった。いまの信長は武田勢と直接戦うつもりがない。突然の出来事が青天の霹靂となって、信長を震え上がらせた。
「戦って勝てる相手ではねえだがや。早急に講和に持ち込む糸口を見つけるべし」
 そう叫びつつ、自ら前線の状況を見定めるため、僅かな手勢を率いて小牧山を発った。多くの重臣や軍勢は稲葉山攻略のために割いており、このとき信長の周囲にある従来兵力は乏しい。新規に抱えた東美濃の豪族が大半を占めた。対応を誤れば信長は彼らに討たれかねなかったが、他に頼る者がなかった。松平家康へ救援を求めたが、遠方からの支援をあてには出来ない。
 武田勢の進軍は続いていた。
 苗木城を発ったのちは木曽川を離れて、東山道に従い進んだ。道々では一切の抵抗がない。唯一、布陣の陣幕がある山城があると報せがあり、秋山信友はその場所を質した。
「神箆城にござる」
「神箆城か……」
 秋山信友は斥候が戻るのを確認してから、布陣を命じた。軍勢を留めた場所は、後に釜戸陣屋と呼ばれる丘陵部だ。そこよりおよそ半里先に見える神箆城は、旗差を並べて徹底抗戦の意思を示していた。その戦力が如何ほどのものか、秋山信友は情報の入手を急いだ。直ちに周辺の百姓や商人に金をばらまき、些細なことでも知ろうと試みた。
「力押しで潰せるだろう?」
 勝頼が首を傾げた。
「あの城は山の上にござる。高所の敵を攻めて無駄な損耗することは愚かなこと。戦わずして勝つことこそ大義なり。これは御館様が常に心掛けていることずら」
「迅速に、と云われている」
「ゆえに敵のことを知る必要がござる。内通を謀れれば、なおよし」
 神箆城。
 高野城とも鶴ヶ城とも呼ばれ、土岐川西岸の山地にあって南東に張り出した尾根の頂部に主郭を持つ。まさに見た目が鶴翼の如し。ここを登る無益より、調略で切り崩す術があれば損耗を防ぐことが出来る。この教えは信玄のものというより、山本勘助によるところが大きい。秋山信友もまた、勘助に薫陶された一人だった。
 このときの対陣を記す史料は『信長公記』による。これを〈高野口合戦〉というが、実態は明瞭ではない。作者が二〇一五年に瑞浪市に照会したところ、やはり明確を知るに至らなかった。小さな局地戦でありながら、東美濃の支配を巡り武田・織田が直接の武力衝突に及んだ唯一の合戦であることは注目に値する。その合戦を短期収束させることが、美濃平定も儘ならぬ当時の織田信長を量る物差といえた。


このとき勝頼が見知った遠山の姫が、のちの勝頼正室、信勝生母となるのです。

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  1. 2019/11/07(木) 07:09:50|
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鑑賞

休養を兼ねて、少し旅をしていました。(ノ゚ω゚)ノ*.オオォォォォォォォー
はじめて足を踏み入れた、東美濃。中津川宿です。


中津川は、随分むかしに習作した作品「やじより」に、ほんの少し登場します(この作品は、解除方法がわからなくてネット上に漂っています)。その稚拙な部分や資料の肉付け、照会、各該当研究者への問い合わせ等により、きちんとリメイクしたのですが、営業につながらない不遇の作品でもあります。
主人公の松尾多勢子は伊那の人。
今回、そのご当地を中央道で通過しています。
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いまは、さくっとトンネルで向こう側へ行けますが、幕末の頃は神坂峠を越えて行ったと思われます。いい時代です。DSCF3822.jpg
中津川は木曽路を下がったところにある中仙道の宿場。
この日はお祭りにあたるそうで、中津川市中山道歴史資料館は入場無料でした。「企画展 『夜明け前』の主人公 青山半蔵のモデル 島崎正樹と中津川宿」が催されており、多勢子の小説に登場した人物が続々と展示の名前にありました。ここに一度も足を運ばず、資料とインスピレーションで描いただけあって、新鮮な気持ちです。
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リメイクで肉付けした場所は多く、中津川の登場する最初の描写はかくのとおり。
現地を観た後なら、もっと表現の仕方もあっただろうな。

( ̄^ ̄)ゞ
文久二年六月二〇日。
 長州藩主・毛利慶親は江戸から京都へ急ぎ向かい、途中、中津川宿本陣で宿営した。この本陣は、建坪二八三坪という広大な屋敷で、参勤交代の諸大名、勅使、公家、幕臣が宿泊したといわれる。
 勿論、昨年には皇女・和宮もここを利用した。
「お待ちしておりました」
 毛利慶親を待っていたのは、藩士・桂小五郎である。
 当時の長州藩は〈航海遠略策〉を藩是に掲げていた。朝廷はこの考えに賛同していたものの
「開国航海の論は国体にかかわるので叡慮に沿いがたい」
と、迷いを示したため、藩主自ら弁明に向かったのである。
 それを思い留まらせるため、桂小五郎が追ってきたのだ。
 桂は京の政情を具体的に報告するとともに、世の流れ、感情の衝動を三日間にわたり、切々と藩主に訴えた。
 桂小五郎は長州藩きっての俊英でありながら、藩校・明倫館で当時、山鹿流兵学教授を務めていた吉田松陰に兵学を学び、感化されていた。
「事をなすの才あり」
 吉田松陰は桂小五郎をこう評している。
 このことが、私塾・松下村塾の門下外にも関わらず、その弟子たちと桂小五郎を強く結んだ。長州藩きっての若き指導者候補は、過激を好む物騒な連中とも身分を超えて通じていた。
 もっとも藩主・毛利慶親は、それを小事として、桂を可愛がる器量を持つ。
 このとき桂が説いたのは、〈航海遠略策〉の転換だった。
 これは昨年、直目付・長井雅楽が藩是に押し上げた〈開国論〉である。かつて佐久間象山や吉田松陰もその主張を唱えたが、藩是と為したのは長井雅楽の功績であった。
 しかし、開国という考えは、当時の日本人にはまだ新しかった。
 むしろ異人斬りのように、具体的な行動こそが分かりやすい。若者はそれを好んだが、政策を司る者たちは、思想だけではなく藩権力を巡り、両論を泳ぎ、世を惑わせるものである。佐久間象山や吉田松陰等は純粋に開国をすることで、積極的に広く世界から学び、その上で諸外国と対抗していこうとする考えを持った。いわばこれこそ〈大攘夷〉であり、過激を好むことは〈小攘夷〉と彼らは蔑んだ。
 桂小五郎は朝廷の意を、よくよく説いた。
 重臣である益田弾正、浦靱負等も加わり、毛利慶親もじっと耳を傾けた。
 長井雅楽が提出した建白書中に
「朝廷ご処置に対していささか謗詞に似寄っているところがあり」
という不興がある。謗詞とは誹謗であり朝廷に対する不敬に等しい。これを藩是とすることは長州の利ではないと、桂小五郎は訴えた。
 こののち上洛した毛利慶親は、藩是決定の御前会議の場にて、航海遠略策を破棄し航海雄略論を藩是と為す決定を下したのである。
 航海雄略論は、開国攘夷を意味する。




資料館内や、街なかで話をした人、みんな親切で、これほど旅人に優しい町は日本中探しても稀有なことと思います。宿場町だったゆえの御土地柄なのかな?

このたびの散策にあたり、事前並びに事後の情報等の提供をいただきました中山道歴史資料館さまに厚く御礼申し上げます。

今回のこと、まとめて、歴史研究へ投稿する予定です。













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  1. 2019/11/05(火) 10:49:13|
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