散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

新旧暦換算

前回、新旧暦換算で勝頼新府落ちの流れを現地で追った。
ここで指折り数えると……天正10年3月11日に相当する同日は、4月3日ということになる。新府落ちから1週間経つ。現代的感覚で云えば、まさに
「1週間なにしてたの?」
と云いたくなるし、バービーボーイズの歌が好きな人だったら、ついつい
「♪いったいなんだったんだ~7DAYS♪」
などと口ずさみたくなる。

笹子峠封鎖は、外敵に備えた正当行為。
小山田の行動は、至極当然である。
で、本当は、勝頼は笹子峠以外の間道で郡内入りが協約されていたのに指揮系統が支離滅裂で情報が届かず、バタバタしてたのではあるまいか。
田野に向かったのは正しい間道を目指し、道案内が必要だから小山田家からの隋臣もいた。しかし、タイムオーバーした。
……なんて仮説も成立する。

考えるときりがないね。


夢酔は4月3日、別件だから、たぶん景徳院には行かないだろうな。
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  1. 2016/03/29(火) 07:00:17|
  2. おやま~小山田
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新府城、落城の賦を歩く

久々に、現地検証レポートをひとつ。

皆さんは大河ドラマ「真田丸」第一話を観て、まあ、新府城下はのんびりした春だなぁと思ったことでしょう。でも、季節感はどうなのかなという疑問が、蟠(わだかま)っておりました。落城寸前なら、まだしも、諏訪布陣中に残雪ひとつみられない不思議。まあ、ドラマに文句を云っても無駄なことなので、自分で出来ることをやりたい。

準備作もクライマックスが近付き、検証するべき点は、新府城を捨てなければいけない勝頼や周りの心情。
それを表現する小道具が、季節感や気候的なもの。
旧暦1582年、すなわち天正10年3月3日。
新旧暦を換算してみた→http://koyomi8.com/i/i9reki.cgi?func=O2N&date=15820303
すると、3月26日になる。
今日だ
なので、夢酔、さっそく行動開始……( ̄^ ̄)ゞ

上野原を過ぎたあたりで、気付く。
山々の頂部は、ほんのり白い。最近、降ったんだな。笹子峠が見えてくると、国中との境になる尾根は雪景色、中腹から蒸発の煙が随所より立ち上っている。この季節、雪はまだ降ることを改めて認識。ただし、人里ではない。
勝沼より国中に入る。
おお、肌寒い((((;゚Д゚)))))))
ぐるりと高いところから見渡すと、山々の頂部は白く縁取られていた。20163261.jpg
塩山や大菩薩方面も、ほら。20163262.jpg
天正10年3月3日の前日を含む天気は、どうだったのだろう。
新府を焼いたり、勝沼まで踏破したのだから、荒天ではないことは間違いないだろう。それにしても、花冷えしたものか霜が降りたものか、具体的な記述を得る史料はいまのところ見ていない。
自分自身の、今日の体感を得て例えた表現をするものならば、400数年前の同日、地球温暖化を差し引くと、甲斐国は払暁冷え込んだに相違ない。見渡せば茅ヶ岳も八ヶ岳も白く、鳳凰三山の頂部には雪雲が重く棚引いていたのかも知れない。この冷え冷えとしたなか、夜明けとともに勝頼主従は新府城の焼却を試み、役を負った者を残して七里が岩の路を、東へ向かったと考えられる。
未完成と嘯きつつも、規模も縄張りも充分な要塞であることが誰にもわかる新府城。
201603261.jpg
なぜ放棄したのかな。

今日の新府城は午前10時30分前後でも肌寒く、しかし梅や菜の花が咲いていた。
七里が岩という台地の上なので日照に恵まれていたせいだろうか。それにしても、感覚でみれば、旧暦正月如月に花は咲くまい。むしろ降雪があり溶け残った雪もあっただろう。
正月、勝頼が迎えた新府の新年は、白銀色に輝く高い嶺峯を仰いだ。その最中に木曾謀叛や鳥井峠敗北が重なり、諏訪から引き上げたときには季節が動いていたというところか。
とまれ城を焼いた勝頼一行は、七里が岩を下り、塩川を渡った。対岸の台地に上がると、新府城の燃える様が遠望できたと思われる。
201603262.jpg
対岸にある涙の森。
むかしはここから燃え落ちる新府城が一望できたことだろう。
201603263.jpg201603264.jpg

一行は先に進む。
回看塚。
台地の傾斜勾配により、新府城を肉眼で見る最後の地点だった。201603265.jpg

一行はここから台地を下り、JR中央本線塩崎駅方面へ一気に下る。
あっ、申し遅れましたが、このルートは諸説あれど甲州夏草道中に準じておりますゆえ、あしからず。
途中には武田信春開基の金剛寺や、阿部勝宝の墓がある妙善寺がある。勝頼と同行している阿部勝宝は、素通りした寺に、よもや自身の墓がその後に設けられようとは思わなかっただろう。
ずっと下った先に、泣き石がある。
201603267.jpgかなりの大きさである。夢酔の身長より、遥かに大きい……Σ(゚д゚|||)
201603268.jpg
ここから一行は一条小山の一条信龍屋敷で休息するまで、ひたすら歩いた。

ふと、思った。
仮説だらけで恐縮だが、勝頼はこの時点で、岩殿城ではなく、要害山城に籠もるつもりだったのではあるまいか。
201603269.jpg
竜地の坂を登ると、その先に古府中が遠く見えてくる。一条小山も愛宕山もよく見えた。
勝頼が新府に移ったのは師走。三ヶ月ぶりの帰還である。意識は高揚してくるのを堪えきれなくなっていまいか。
元の首都に戻ってくれば、大勢の家臣たちが駆けつけてくれるに違いない。
自分自身を、勝頼になったつもりで思案してみる。
新府城が遠ざかり心細くなるなか、金剛寺あたりから見下ろせる信玄堤を見下ろし
「儂と父上の何が違うのだろう。なぜ父は民に好かれて、儂は民から遠ざけられる」
などと自虐を噛み締めてしまう。やがて竜地の台地を登り切り、眼下に愛宕山がパッと見えてくると、勝頼の気持ちも切り替わる。
「そうだ、ここには織田に屈さぬ屈強なる武田武士の拠点があるのだ。先々代様も今川勢に府中まで攻め込まれたものの、要害城を拠点に挽回を為したではないか。儂はまだ戦える場所がある。みてろよ、この四郎の軍配、まだまだ落ちてはいねえずら」
荒川を渡河すれば、ここを天然の濠に見立てようという意欲が増す。
湯村に至れば、ここを出城として敵を攪乱させる拠点にと思う。
そのとき、一条勢からの伝令が届く。
「誰一人、当代様に応じる者なし」
その言葉に勝頼は愕然となる。
要害城を拠点とする防衛戦は、広域に展開するため人材が必要だ。新府評定でもそう決した筈だ。それが、どうだ。一族はおろか家臣領民これに応えるものなし。
「これでは、戦さにもならぬ」
落胆する勝頼を、一条勢は信龍屋敷へと案内する。そこまでが一条信龍の指図だったのだろう。ここで鍋一杯のほうとうが振る舞われ、一同は身の振りを思案した。時間はあまり残されていない。ふと、勝頼の脳裏に、新府城東三の丸から遠望した大菩薩の連峰が浮かんだ。あそこからかなり遠い場所のように映える。その懐に逃れれば、時間は稼げよう。幸い岩殿城は郡内における武田の持ち城だ。いざとなれば物心は郡内から頂戴できよう。
この瞬間、岩殿行きが決した。

と、いう考えはどうだろう。仮説としてはまあまあだろうと思う。

一条小山は当時、愛宕山系から麓まで延びたその末端にあったとされるから、この中央線踏みきり部分も地続きだったのでしょう。写真には櫻がちらほら見えますが、当時も一条屋敷には咲いていたに違いない。信龍は伊達者で知られるから、こういう風流なことには余念がなかったことでしょう。
20160326111.jpg
一条屋敷で休息したのち、勝頼一行は笹子峠を目指すのです。

ただし、実際の一条屋敷はここじゃない。
一条小路と呼ばれる箇所、北新という地名が現在ついているが、躑躅ヶ崎の西端にあたる場所が屋敷地だったようだ。相川沿いだったのかな。つまり、勝頼一行が躑躅ヶ崎や要害城をめざすルート上に、それがあるんですね。
ここで石和~勝沼へと進路を変えたというわけです。
一条小山は通過点になったと考えられます。櫻が綺麗なだけに、彼らは恨めしい感情すら抱いたに違いありません。


草鞋を脱ぐのは勝沼大善寺。
冷えた新府を出、日中の気温がぐんぐんと上昇する。従う女性たちは、激しい寒暖の差に体力を奪われたはずだ。本日、甲府盆地で早い燕をみた。盆地特有の高温は、いまも昔も変わるまい。
大善寺に着いた頃、陽は南アルプスの峰の先に消えようとしていた。

この体感が、準備稿にどう繁栄されるか、こうご期待。

また地味な現地調査があるかも知れない。夢酔をみつけたら、お気軽に声を掛けて下さい。



山梨県立博物館。
よかったよ。
2016032611.jpg

追伸。
歴史研究に今月も掲載されました。









戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
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  1. 2016/03/26(土) 21:56:54|
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初狩紀行

放っておいたのだろうと疑われがちですが、
ちゃんとこちらもやってますよ

本日は小山田家と大月市郷土史研究会会長等のお招きで、大月市初狩にございます
小山田信茂首塚
に伺いました。


首塚へ行くのは、国道20号線沿いの小さな案内板が頼りです。3211.jpg3212.jpg
嘘のようですが、道は川へと下りて、道と中央本線の橋をくぐって反対側へ行くのです。3213.jpg
この水は余分な水道用水なのだとも、土地の方から伺いました。湧水を用いているのでしょうか。3214.jpg
こうして橋の向こう側へいくと、坂を登って川を渡ることになりますが、ちゃんと案内板もあります。3215.jpg
坂を登った先に、碑が建っておりました。3216.jpg
定説も大事です。
大河ドラマで興味を持つことも大事です。
でも。
裏切り者と嘲られずに、きちんとしている地元の想いは、余所者には理解できない純粋なものじゃないかな。近年になって、石田三成や明智光秀が見直されたように、小山田信茂をもう一度、一方的な決めつけ以外の考え方で評価の是非を問うことだって出来るのではないかなと思えるのですが。
3217.jpg

碑はあくまでも昭和に建てたモノ。
首塚の本命はこちらのようです。
201603211.jpg
湘南塔。
もとは墳墓だったそうですが、今はむかし。斯様な形で世に遺されてございます。




大月といえば、岩殿城。
つくづくと城山を見上げて、ふと思う。oyamadaiwadono.jpg
一方は切り立った崖だけど、背後はそうでもない。単独峰で尾根伝いに連絡も補給も出来ない。
本当にここへ勝頼が籠城したところで、一体まともにやれたんだろうか?
冷静に疑問視を傾けたら、おかしいなとは思いませんか。
国中境の峠を封鎖したところで、笹子峠だけでは用を為さぬ事は誰もが存じ上げのこと。
本当に、岩殿籠城策だったの?
仮定に過ぎませんが、本当は古府中要害山城へ行こうと思ったら、予想以上に人心が乖離してまともに戦える見込みがなく、今更岩櫃へも行けなくなったので岩殿へ
いきあたりばったりで即決したのではあるまいか。
そんな気がしてならないんですよね。
計画性の感じられない籠城策、それが勝頼岩殿落ちです。
小山田が誘ったというのも、後付設定ではあるまいか。トップダウンで決定後に通達されたから郡内民衆が拒否反応を示したのかもしれない。
まあ、どちらにしても、高遠の二の舞になるのは必定でしょうね。
岩櫃は支城からの補給路が想定できるし、長駆遠征は信長の嫌うところ。甲斐さえ落とせば目的はおおよそ達成されますから、戦略的にみれば真田に従うことが易はある。岩殿城の支城は、よくわからない。そもそも武田の持ち城だった説もあるくらいですから、小山田が好きに出来なかった拠点だったかも知れない。
勝頼は義経タイプという印象がある。
個々の戦さが強くても、長期展望の見通しが甘い。
岩殿に籠もったところで、やはり先は見えていたように思えるのです。
そう考えたら、小山田信茂はとんだとばっちりだったかもね……((((;゚Д゚)))))))








追伸。
3218.jpg
大月市の駅ナカ待合室に注目スポットがあります。
もう、皆さんは御存知ですか?
3219.jpg32110.jpg32111.jpg
真田が好きでたまらない方々にとって、真田は生き残るための綺麗な裏切り(複数回)で小山田は汚い裏切り(1回)なんだろうと思います。でも、地元にとっては、ちょっとキツイでしょうね。そういうことも頭の隅っこに置きながら、どうぞ真田にわーきゃー萌えて欲しいと思います。
当時の常識は現代の常識とは異なりますから、現代の物差しで評価を決めつけるのは無粋なものですね。
           32112.jpg


そういえば……小山田情報館開館記念の講演会をやらせていただいたのは、
たしか去年の3月29日
そろそろ、1年経つんですね。
準備稿、まだ出来てません。御免なさい。







首塚を巡っている最中に、山鹿先生からお電話を頂戴しました。
「秋の幻」の挿絵をそろそろ始められるそうな。素材資料の提供依頼です。いよいよ始動、ありがたいことです。












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  1. 2016/03/21(月) 21:35:21|
  2. おやま~小山田
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里見の日 アフター

終わってみるとあっという間に出来事は過去へと変わる。
二日前、夢酔は安房国にいて、少し疲れ気味でボーっとしている間に、冷たい雨の月曜日を過ごしました。今朝起きたら、ビックリポン。生活圏の山々は真っ白です。160315_074929.jpg
富士山も御岳山も大岳山も、高尾山嶺も丹沢も、みんなみんな真っ白。
やはり南房総は、温いんですね。

本日、全国里見一族交流会2015年会報が届きました。
IMG_20160315_0001.jpg
些末ながら寄稿を寄せてます。IMG_20160315_0002.jpg
この会報をみるまで知りませんでした。
全国里見一族交流会公式ホームページが出来ていたびっくりぽんじゃ
左のリンク欄に貼り付けておきました。
ぜひ御覧下さい。

こうして里見にかまけていると小山田家からお叱りの声が届きそうなので、そろそろ上手にシフトチェンジします。
12日、どうだったのでしょうか。
誰か、行った方はいねーが?
教えてくろうし。



「夏の波濤」原画展第二期は、6月30日~7月11日(予定)です。
7月9日(土)にまたイベントがございますので、夢酔に会いに来てくださると、嬉しいです。

















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  1. 2016/03/15(火) 22:00:49|
  2. 随筆・あっそう!里見発見伝
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2016.3.13

「夏の波濤」 第一期原画展。本日が最終日です。山鹿先生、お疲れ様でした。
そして、昨日が「サトミの日」。大勢の方が忙しいなか駆けつけてくださいました。
東京からバスで参じて下されたのが、いつも夢酔がお世話になっております「歴史研究」のスタッフ。ご夫婦で、遠路わざわざのお運びを心より御礼申し上げます。
お客様に貴賤はないとは申すものの、やはり地元以外から駆けつけて下さるということは、感慨深いものです。

前日、ギャラリーsfkにお邪魔しました。
イベントがないと、こんなにゆったりと原画を観ることが出来るんです。DSCF5432.jpg                   これをイベント会場に変える勤労奉仕をさせて頂きました。
こう変わるのだ
      
DSCF5446.jpg
当日、会場の方にはバレないよう務めましたが、実はちょっと熱で朦朧としてました。たぶん、疲れが溜まっていたんですね。DSCF5433.jpg
当日、30分の予定でしたが、たぶん超過トークしました。体内時計が狂っていたみたいです。トイレを我慢しちゃった方、ごめんなさい。
そのあと里見香華社中の舞踊が披露されました。
そして、馬頭琴奏者美炎(MIHO)さんの演奏です。この日の衣装、山鹿先生のデザインだとか。いい仕事をされてますね~
DSCF5485.jpg
美炎さんは、さっそくblogに書いて下さいましたので、御紹介します。
馬頭琴奏者 / 美炎 miho 公式サイトblog こころがなくクリック

朗報です。
時期は明確ではございませんが、この場にて、続編公開のお知らせを出すことが出来ました。
秋の幻」。
倉吉を知らない方が、当日も大勢おられました。そういう方々に、その地のことが伝わればいいな。
安房国って、気候のおかげで何らかしら糧にも困らない土地なのですね。里見忠義は秀吉時代の京・伏見で生まれ育ち、幕府創設後の江戸に暮らしている。大名の人質として、そのときの首都となる場に暮らしていました。たぶん、飢えとは無縁です。安房国主となっても、温暖な気候で飢えを知らずに過ごしたことでしょう。
倉吉に動かされ、山陰の独特な気候のなか、里見忠義は、恐らく人生最初の飢える経験をしたのではあるまいか。
「夏の波濤」には希望が満ちていました。
「秋の幻」は、絶望への旅が待っているのです。


「夏の波濤」原画展第二期は、6月30日~7月11日(予定)です。7月9日(土)にまたイベントがございますので、夢酔に会いに来てくださると、嬉しいです。

2016年、春の國より。DSCF5412.jpg
追伸
今も聞いてます~

160314_074529.jpg160314_074352.jpg














戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
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  1. 2016/03/14(月) 22:47:39|
  2. 里見関連広告板
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お出でませ、南房総市

あと2日です。
何を話したらいいのか、全く考えておりませんが、明日は朝一番の東京湾フェリーに乗船しようと思います。

IMG_20160206_0001.jpg
IMG_20160206_0002.jpg
語呂合わせで遊ぶと、こういうことになるわけで、3月13日サ・ト・ミの日とさせて頂きました。
来年は観光や経済やイベントや色んなものがこれを謳って、たくさんアピールしてくれたらいいですね。


静か~に原画を楽しめるのは、明日と最終日。
13日に興味がない方も、ぜひ、美しい挿絵世界を堪能して欲しいと思う。



南房総で待ってます……!



いや、行けないよ南房総まで~という方のために、もうひとつの情報提供します。
  「郡内小山田氏の会」創設のご案内(東京・代々木にて)
                      
              ワシは行けないんです。残念だ
南房総に来ない方、もし聴講されたなら、あとでこのブログにこっそり報告コメントして下さい。
待ってるぞ














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  1. 2016/03/11(金) 20:12:06|
  2. ご案内
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