8月28日(金)。
立教大学広告研究会 海の家 CAMP STORE が終わりました。62年間という歴史ある活動です。脱帽です。
こちらに紹介が載っております。
ぜひ一読ください。
http://www.gakuseikyosan.com/search/detail.php?member_id=65里見氏大河ドラマ化実行委員会HP
でも紹介されておりますが、
今年のCAMP STORE は実行委員会とのコラボがあったそうです。
不義理なことですが、
この夏、夢酔は安房へ足を運ぶことが出来ませんでした。
学生さんたちの活動を見守ることが出来なくて、御免なさい。
今度は、皆さんがCAMP STORE 甲冑隊を率いて、南総里見まつりに参じてくれたらいいなと思います。
一人でも多くの若い人に、こんな戦国大名が「首都圏に近いところにいたんだ」ということに気付いて頂けたなら幸いです。
学生さん、お疲れ様でした。
いよいよ近付いてきましたね。
倉吉せきがね里見まつり。今年は、違う熱気に包まれそうです。
こういう立ち上げがございましたので、里見氏にご理解のある方以外の御観覧も多いことでしょう。
9月6日(日)開催〈第30回倉吉せきがね里見まつり〉に鳥取県代表・中野郁海が出演!でも、特定アイドルファンを通じて、里見氏を識って貰えればいいと思います。どうか、識ってください。
第30回倉吉せきがね里見まつり
[会場]
倉吉市立山守小学校周辺
[開催日時]
9月6日(日) 14:00〜17:00
◯第10回倉吉里見時代行列
11:00〜11:20 法要・出陣の義
(大岳院)
11:20〜12:00 時代行列
(大岳院→元帥酒蔵→赤瓦一号館→豊田家住宅)
12:10〜14:05 立ち寄り
(北野神社/関金都市交流センター/関金温泉湯の関番所)
14:30〜14:45 里見まつりステージイベントオープニング
(倉吉市立山守小学校)
昨年、倉吉でお世話になりました伯耆里見会副会長から
「今年は来られますか~?」
とお電話を頂きました。心苦しいのですが、今年は予定が合わない旨をお伝えしました。お心に留めて頂いて恐縮です。微力な夢酔にとって、こういうちょっとしたお気遣いが、前へ進む力に繋がっているのです。頑張ろう、頑張るしかない……!
←去年こうでした宣伝ついでで御免なさい。
もうひとつ!【歴史講演会のご案内】
演題「戦国の世と小山田信茂氏」(仮)
講師 松本憲和氏
日時:9月27日(日)13:30~
場所:大月市民会館 4階視聴覚室
(〒401-0012山梨県大月市御太刀2丁目12-23 ℡0554-22-4811)
主催:大月市郷土研究会
【講師紹介】
松本憲和氏
昭和29年生まれ
国語専門塾「A.S.N.ニルの学校」塾長
著書
『諏訪の八重姫登場―風林火山はもう古い』『武田勝頼「死の真相」―理慶尼記の謎を解く』
『武田晴信朝臣百首和歌 全釈―信玄公の初恋』『クイズで学ぼう!古典文法[基礎編]』
このことは左のサイドバーにあるリンク
「富士山と御師の物語〜つれづれに書き連ねる〜」にも載っています。
夢酔のこの夏は、なんだか慌ただしいまま終わりました。
蒔いて育てた四方山なことが、秋に実ることを祈ります……


ついでばかりで済まぬ。
歴史研究次回号に(小説じゃない)駄文を晒すかもしれん。
第30回倉吉せきがね里見まつり
クリック倉吉里見時代行列
日時:平成27年9月6日(日)11:00~14:45
ステージイベント
日時:平成27年9月6日(日)14:00~17:00
会場:倉吉市立山守小学校
戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
皆さまの温かいご声援をお願いします。公式HPはこちら
里見氏大河ドラマ化実行委員会
署名用紙はこちらに収納しております。
活動の趣旨に御賛同いただけましたら、是非、こちらの
署名用紙をプリントアウトのうえ、支援の程よろしくお願いします!

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- 2015/08/30(日) 08:16:51|
- 随筆・あっそう!里見発見伝
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久しぶりに小山田噺をする前に、一点。
昨日、コメントを頂いたことに対するお答えをしたいと思います。丁度1年前、倉吉へ足を運んだ際のblogに対する御指摘です。こういう地元の声は、大変有難いものです。遠方につき、実際に見たモノ以外は、人からの言葉や刊行物に頼らざるを得ないのが実情。夢酔も足りない部分は、現地で掻き集めたチラシやフリーペーパーや地元発行物をとりあえず収集して整理するしか方法がない。限られた時間の情報獲得術です。
そのなかで獲得したのが、この複写印刷物。

この⑥が件の御指摘です。

地元ではこういう呼び方をしない。聞いたことがないという御指摘でした。
でも、関金からここまで運んだらしいので、小説の便宜上、この名称を用いることにはしております。学術書ではなく、所詮は創作物に登場する一場面設定と得心頂けましたら幸いです。
もともと里見氏そのものが、歴史に抹殺されてしまった不幸な一族です。
識られていないことも、実に多い。遺されていないことも、また然り。その土地からの御言葉で気付くことも多いものと、感謝申し述べる次第です。
さて。
8月22日(土)。
都留市ミュージアムへ行ってきました。
この日は、小山田家が収蔵している刀剣の手入れがあるとのこと。戦国より伝わる実際の刀剣を直接目で見ることの出来るチャンスなので、同行させていただきました。

小山田情報館からは正面に富士の御姿を拝することが出来ます。もう、秋ですね

この日は、10数振の手入れ。

「先生もやってみますか?」
そう云われましても、夢酔は日本刀の手入れをしたことがございません。
それにも増して、一族の想いが伝わる抜き身に触れることが躊躇してならんのです。刀とは、人の遺志を受け継いでいるような気がして、例え御子孫の誘いでも迂闊なことが出来ない気がするのです。
まだ心が弱いのでしょう。
強くなったら、また機会を望みたいです。だから、今日は観てるだけです。

せいぜい刀身を抜かぬ状態で持ち運びする人足役が関の山


綺麗な刀身です。
もっと紹介したかったのですが、ちょっと時間がないので、これくらいで。。。
御当主が写真に収めています。
パネルとかにして、展示されればいいですね。いまは、日本刀ブームらしいですから。
おしらせ小山田情報館発令、今後のイベント情報です。
9月27日(日)松本憲和氏講演「趣旨:小山田信茂は逆心にあらず、演題未定」(13:30-15:00・大月市民会館4階視聴覚室)
10月末から11月初頭:大月市文化祭にて小山田家に関する展示(詳細は未定・大月市民会館)
おたのしみに。
第30回倉吉せきがね里見まつり
クリック倉吉里見時代行列
日時:平成27年9月6日(日)11:00~14:45
ステージイベント
日時:平成27年9月6日(日)14:00~17:00
会場:倉吉市立山守小学校
戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
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- 2015/08/26(水) 06:57:02|
- おやま~小山田
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今日は、五反田にございます「歴史研究」の編集室にお邪魔しました。
歴史研究会
クリックご多忙にも関わらず、編集長をはじめスタッフに皆さまとお話し出来ました。あらためまして御礼申し上げます。
内容は……内緒です。
せっかくなので、
森下の元祖カレーパンを求めようと思いましたが
なんとなく地下鉄は大門に停まるので途中下車。

これのとき、
日本赤十字社にお世話になりました。大門は最寄りの駅です。久しぶりに情報プラザへ寄ろうと思って歩き出したが……天性の気紛れ男ゆえ、ついつい増上寺方面へ歩き出す。
増上寺の前には、幕府海軍の足跡を垣間見る碑があります。ここには咸臨丸のことは書かれていませんが、勝海舟の偉業を日本人は忘れません!

暑いから黒烏龍。メタボは辛いんです。

ついつい増上寺に入ったら、今日は墓所公開と展示をやっていたので、当然、行って参りました。


日本赤十字社情報プラザは人事異動でしょうか、知ってる方がおりませんでした。展示のレイアウトも変わっていました。「聖女の道標」連載中は、極端な話、随分と通いました。いろんな文献もありましたし、やはり独特の分野の記録がきちんと残されているのは素晴らしい。
早々にお邪魔して、森下へ向かいます。
カトレア。
ここは、日本のカレーパンを語るうえで大事なスポットなんです!
そのこと、
みなさん知ってましたか?
カトレア
クリックしかし、すぐに完売しちゃうので、店頭になし。次に並ぶまで2時間もある。
諦めて両国まで歩く。
ここで、再び
勝海舟の足跡に触れることに。

生誕の地は両国です!
夢酔と海舟の邂逅~


知ってる人はとっくに知っているんですけど、夢酔のペンネームは、海舟の父・小吉さんの号なんですよ。だから、これは思いも掛けない遭遇だったんです。ぶらぶら宛てもなく歩いた甲斐がございました。

回向院やらあちこちぶらぶらしてたら3時前。
一駅を地下鉄で戻って、カレーパン、ゲットだぜ!

このカレーパンに萌えています。里見のことが書いてないって?
仕方ないな。
歴史研究の編集部をお伺いしたのは、里見についてです。
とりあえず、いつか、いい話が出来るときがあればいいんだけどね。
明日は朝から、郡内におります。
見かけた方。遠慮なく声を掛けてくださいね~
第30回倉吉せきがね里見まつり
クリック倉吉里見時代行列
日時:平成27年9月6日(日)11:00~14:45
ステージイベント
日時:平成27年9月6日(日)14:00~17:00
会場:倉吉市立山守小学校
戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
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- 2015/08/21(金) 22:00:02|
- 閑話休題
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今年の「倉吉せきがね里見まつり」は9月6日(日)。
タレントが参加するらしいです。

AKBファンが殺到するのでしょうね。
こんな事例もありましたっけ。

アイドルが来ることを批判はしません。
否応でも注目されますし、やはり華やかですものね。
しかし、彼女だけを目当てに、地元の思いや趣旨や里見家という主題をそっちのけで、
アキバなノリを全開にする彼女ファンの方は、
やはり
「他人の町のまつり」という意識を
心の片隅に置いて頂きたい。
主役はアイドルではなく、町の人たちなのですから。でも、彼女のことが好きでたまらない人にしてみれば
こんな説法も
大きなお世話なのだろうな。その他の時代もの祭でも、
タレントやアイドルが来ることが多いですよね?
ちゃんとモラルや地域配慮をファンは守っているのでしょうか。
信玄公祭りなんて、俳優の誰が演じても沿道の皆さまの視線は「武田信玄公」という、温かい敬慕の目線ですものね。
Gackt常連のまつりもそうかな。(行ったことないですが)
真田関連はどうだろう。
伊達は。
そう思うと、里見だって、ちゃんと出来るよね。ねっ?
戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
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皆さまの温かいご声援をお願いします。公式HPはこちら
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- 2015/08/10(月) 06:15:20|
- 里見関連広告板
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昨日は夢酔の生誕の日でした。
また無駄な歳の取り方をしてしまった……

身延のこともまだまだ不勉強ではござるが、準備稿では義信事件のくだりに来てござる。
小山田視点で描こうと思うとき
ついつい義信事件のあたりが通説に従っていいものか悩むのでござる。
ええと、義信事件って……皆さま御存知ですよね?
永禄八年(1565)一〇月、飯富虎昌をはじめとする武田義信側近達が、彼を甲斐新国主に擁立するため武田信玄を謀殺しようと企てた陰謀が発覚した。事前の露見により、義信は東光寺に幽閉。首謀者・飯富虎昌ら八十人が処刑、または追放された。
義信謀反事件の真相は明確ではないが、どうも『甲陽軍鑑』の記述に通説は引き摺られている気がする。その『甲陽軍鑑』にしてもリアルタイムの史書ではなく、事件の日付すら誤っている代物だから、世間に憚られた四方山が秘められている気がしてならない。このあたりは、偉い学識の先生たちがこれからも掘り起こして下さるだろうから、小説は多分に創作に頼る部分があるのである。小山田情報館の講演でもお話ししましたが、甲斐国は武田氏一統のようでありながら、河内の穴山・郡内の小山田が同盟関係となって、ようやく一体になる恰好です。信玄の強いカリスマ性で表形上では一体でも、根は三者同盟。
この穴山家に、義信事件の首謀者がいます。
穴山彦八郎信嘉。
彼は信玄よりも義信に代わることを望んだようです。何故でしょう。ここに義信事件の鍵がありそうです。
そもそも義信事件の土台は、
信玄が駿河侵攻を望んで織田信長と結び、勝頼の正室に織田縁者を迎えた事への反発ということになっています。このことが表面化してすぐにクーデターが起きたのですが、失敗した。でも、その突発的クーデターは不自然です。事前に準備期間があったのではないでしょうか。そうなると、駿河侵攻の意思表示が理由というのは、どこかで矛盾になる。父子の確執にしても、世にいうほど不仲を強調するものはない。信玄にとって事件が発覚するまでは、後継者は義信以外におらず、結果後継者である勝頼は視野にも及んでいなかったのではと思います。
通説を疑うことは大事ですが、対案は学識がないので単なる想像に過ぎない。
たかが小説ゆえと開き直って、この持論を展開していくまでです。
恥ずかしいからここでは表記しませんよ。
そして。
学識者からはきっと笑われそうな持論。
郡内小山田家の家督は、この
義信事件の頃に、弥三郎信有から信茂に代わります。通説では、信有病気による早世ということになっていますが、実際のところ義信事件と無縁だったのでしょうかね。
穴山彦八郎信嘉は事件首謀者のひとりとして、やがて身延山の塔頭で切腹させられたとあります。ただ、身延山のどこでなのかは、よく分かりません。身延町教育委員会に照会し、ご多忙中にも関わらずご迷惑をかけている次第です。
なんか、引っかかるのですよね。
ここも小説ならではの持論でしかないので、割り切っていくしかない。
ところで身延ネタで寄り道ですが、
以前、お万の方のことを書きました。覚えてますか?
彼女と里見家の繋がりがみえないという声を頂きましたので、雑ぱくな略系図を作ってみました。ご参照ください。
ひとつ歳をとってみたものの、やはり生みの苦しみを楽しむ日々に変わりなし、です。ところで夢酔、歴史研究会なる会に参加してみました。

こういう会なんですよ。

">
歴史研究会研究者が多いので、創作家には刺激的な環境です。
いつか持論が書ける分際になれればと思っております。
戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
皆さまの温かいご声援をお願いします。公式HPはこちら
里見氏大河ドラマ化実行委員会
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- 2015/08/07(金) 12:44:14|
- 閑話休題
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逍遙という言葉の響きは美しい。
気ままにあちこちを歩き回ること。

そぞろ歩き。

散歩。
そのまんま、意味通りの言葉をあてはめても、なんだか美しくないよね。
夢酔、喜連川を逍遙してきました。
喜連川、わかりませんか?

里見家は、喜連川氏誕生の一助をしていたんです。史実の里見氏が語られないから、そのあたりは誰も知らないんだろうな。
喜連川氏は、関東足利氏の末裔です。
まずはそこからおさらいしましょう。
古河公方家の祖である鎌倉公方家は、足利尊氏の子・基氏以来代々関東を支配してきた。
しかし将軍家と対立し、遂に第4代公方・足利持氏の時代に第6代将軍・足利義教と武力衝突してしまう。これを永享の乱という。敗れた持氏は自害し鎌倉公方家は一時滅亡した。持氏の三人の遺児は結城合戦の旗頭になるが上の兄二人は義教に殺された。やがて義教も嘉吉の乱で死去すると、鎌倉公方再興の気運が高まり、持氏の遺児・成氏が復帰する。
成長した成氏は幕府や関東管領上杉氏と対立。これを享徳の乱という。成氏は鎌倉を追われ下総国古河城を本拠として独立した勢力を保ち、以後、古河公方と呼ばれることとなる。
第3代古河公方・足利高基の弟・空然は僧籍から還俗すると房総半島の争乱に乗じて小弓公方となり、足利義明を名乗る。そして中原の雄として古河家に対抗しつつ、小田原北条家とも対立した。小弓公方と結びついた里見義堯は、その寄騎として北条氏綱と戦う義明支援のため国府台に出陣。
これが世に云う第一次国府台合戦です。
この戦いで足利義明は討たれ、小弓城の遺児達は里見家に身を寄せることとなる。これが、里見家と小弓公方家の密接なつながりのはじまりだった。このあたりについては、夢酔著の「春の國」冒頭部分に相当します。
安房に逃れた小弓公方家の相関図が、これです。
手づくりなので、ちょっと雑ですが……


現在連載中の「夏の波濤」は、頼氏が兄に代わり喜連川家を嗣ぐ場面を描きました。
しかし、小弓・古河の家臣団はまだ一致していない状況で、苦労をしている状態です。その頼氏が曲者揃いの家中をまとめるために苦慮していた喜連川とは、どのような場所だったのでしょう。
昨日、情報提供いただいた「
さくら市ミュージアム -荒井寛方記念館-」で入手した冊子(歴史あそびBOOK2さくら市の奥州街道お出かけハンドブック表紙)を引用しますが、喜連川は現在のさくら市にあたります。宇都宮よりちょっと東上の位置ですね。

頼氏が奮闘していた頃、ひとつの事件が起きます。
関ヶ原の合戦です。
皆さんは、関ヶ原というと、石田三成vs徳川家康を想像しませんか?ええ、間違っていないんですよ。ただし、関ヶ原合戦は局地戦でありながら、同時期、全国各地で展開されたわかりにくい合戦だったのです。
関東でも局地的な緊張がありました。
宇都宮城を本陣とする結城秀康と、白河まで進出してきた上杉景勝・直江兼続の睨み合いです。表面的には武力衝突はなく、睨み合いだけの対陣でした。しかし、駆け引きとはそんなに淡泊ではありません。この睨み合いのキーパーソンが、どっちつかずの大国だった佐竹氏でした。佐竹義重は家康に恭順の意を示しながら、子・義宣は三成と入魂だったこともあり意志を明確にしませんでした。ある書によれば、佐竹は上杉と通じ、北上すれば横槍を入れるつもりだったと云われています。
実際どうだったのでしょうか。
「夏の波濤」では佐竹が割れていて、義重派は宇都宮へくるものの、義宣派は那珂川ルートで上杉と通じる展開を構想しています。これを描く第15話「東の関ヶ原」で、情報察知のため働くのが、喜連川頼氏という筋書きを考えております。まだまだ掲載前ですので、これ以上は、ちょっと御免なさい。
喜連川氏のことはあまり大河ドラマでも触れられないですよね。
このあたりは里見氏と同じです。
実行委員さん、ぜひ連携できたらいいですね。
逍遙の足跡を写真に落とします。

展望台がありますが、ここが塩谷氏のいた大倉ヶ崎城。塩谷氏が去ったあと、喜連川足利氏の居城となりました。今回は、登っていません。残念です。なにせ暑くて、しんどいです。それに、東日本大震災以降、一部通行止めらしいです。仕方ないです。いつか、またの機会にと思います。
道の駅には展望台があるのですが、ここからかつての城下町を見下ろします。

喜連川一万石という小名。
城下はこぢんまりという印象ですが、往事を偲ばせる風景ではありません。こういうのは想像力に頼らざるを得ません。
養泉寺

慈光寺

そして、喜連川足利氏ゆかりの龍光寺。

城のすぐ真下という印象です。

ここは足利頼淳の法号から「龍光院」と呼ばれ、喜連川足利氏累代の菩提寺となったのです。

今日はアポなしなのでお話しを伺えませんでした。機会があれば、御住職からご指導を賜りたいと思います。
龍光寺から城方面へ行くと、
喜連川神社があります。



城は戦国時代の終わりとともに機能を終え、治世においては平野部の屋敷で行われたのではないでしょうか。
旧喜連川町役場に門が復元されています。

写真の全体像は、クリックして御覧ください。
追伸
喜連川って、温泉で有名だったそうな。

今回は逍遙で終わっちゃったから、せめて足湯だけでも……

戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
皆さまの温かいご声援をお願いします。公式HPはこちら
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署名用紙はこちらに収納しております。
活動の趣旨に御賛同いただけましたら、是非、こちらの
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- 2015/08/02(日) 13:42:32|
- 随筆・あっそう!里見発見伝
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