散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

房総武田氏考

29日。
夢酔は朝っぱらから甲斐国にいました。次回作準備の現地検証と取材のためです。
武田家滅亡という、日本史上稀なる大事件については、結果と定説が長年根を張って、なかなか見えてこない行間の歴史があります。
例えば、彼。DSCF3919.jpg一条右衛門大夫信龍です。
彼は、ここ上野城で富士川沿いに攻めてきた徳川勢と一戦に及んだことになっております。しかし、上野城のことは委細が解りません。それで、朝っぱらから来てみました。当時もっと寄っていただろう笛吹川を天然の濠とした、高地の陣所として、成る程よろしい立地と感じました。なにより市川大門方面の富士川を見下ろすことが出来、攻め上る徳川の大軍を睨む一条信龍の心中如何ばかりかと、思わずにはいられません。
現在、城趾には神社があります。團十郎ゆかりということで歌舞伎の施設もありますが、そこいらも縄張に含まれていたことでしょう。
DSCF3930.jpg                     おまつり準備していました。
DSCF3924.jpg
一条信龍は信玄の異母弟。
仁科盛信が唯一の武田親族で戦った者として賛美されるに引替え、なぜ彼のことは広く伝わっていないのでしょうか。
ううむ。

本日のメインは、事前に訪問を打診しておきました入明寺。
ここは、夢酔が昭和時代に数ヶ月棲息した処の近くだったのです。すぐ数軒隣の銭湯に通っていましたし……なぜ、あの頃に来なかったのか、実に勿体ない
この日、法要が重なっていたにも関わらず、応対を賜りました入明寺さまに心より感謝申し上げます。

ここは信玄次男・龍宝ゆかりのお寺です。
夢酔はこの人物については些か勉強が浅く、この日は目の醒める御教示がたくさんあり得がたいところでした。先入観もあったのですが、浅学の先入観はやはり自己矛盾の原点。もう一度、考え直す機会だと考えました。
夢酔の準備作は、郡内小山田。
なぜ、甲府のここに……。
そう思うでしょう?
ここには、高遠~新府を経て、松姫一行が来ています。このときの引率は仁科盛信娘・督、武田勝頼娘・貞、小山田信茂養女・香具です。そして、逃避行ではなく避難という意味合いがまだ大きかったことでしょう。松姫がここに着いたとされるのは、天正10年2月4日。まだ武田勢は鳥井峠の戦いもしていません。滅亡の焦りはまだ誰も感じていなかったのではないでしょうか。
ここで龍宝は、開桃寺へ移るよう指図したといいます。翌日、松姫一行は開桃寺へ移り一週間ほど滞在して向嶽寺へ向かいます。
どうして龍宝は松姫を匿うことなく更に東へと指図したのでしょうね。
何か独自の情報でも持っていたのでしょうか。ここ、質問し忘れた
龍宝は信玄次男。
兄・義信が失脚すれば、時期当主に繰り上がるのは世の倣いでした。が、彼には病気により目が不自由だったという事情があったのです。古今東西、目が不自由でも大名が出来た例が稀にあります。しかし武田家はそれを選択せず、弟から次代を選びました。それが四男・勝頼です。
三男は夭折したというのが定説です。
入明寺さんでは、三男のことを夭折していないという説を持っておりました。
「房総に行かれたのです」
その言葉に、夢酔も、ピッカーと頭がひらめきました。
そうです。
連載作品「夏の波濤」読者なら覚えがあるでしょ?
庁南武田刑部大輔豊信
IMG_20150429_0001.jpg2014年9月28日号で登場したのが、彼です。
このことは、実は小山田情報館開設初日の講演会でもネタにしたので、覚えておられる方もいらっしゃるかと。
この説が共有されたことで、すっかり入明寺さんに打ち解けたと(勝手に)思っております。

講演会のときも明言しましたが、里見のことは不明点も多く、事蹟の点々を拾っても物語にすることが困難であるため、時代背景を解りやすくするための苦肉の策として、武田史を接着剤に盛り込む手法を夢酔は試みています。作品愛読者は南房総の方が殆どなので、武田のことは遠い国の出来事だから違和感を感じないだろうという狡さも秘めています。

龍宝は武田家滅亡期に、ここ入明寺で自刃しております。
今回、特別に御位牌と木像を拝観させて頂きました。お寺のお務めの合間に、まことに恐縮の限りです。写真撮影もお許し頂けましたが、肖像の一人歩きが恐いので、ここではアップしません。あくまでも取材資料として留め置きたいと思いますので、ご了承ください。
お線香までご用意頂きました。
墓参を許され、たいへん嬉しく思います。DSCF3944.jpgDSCF3946.jpg

こののち、夢酔は信玄堤~善光寺~東光寺と廻り、道の駅甲斐大和で昼食をとって帰路に着きました。


郡内取材はもう少し置いてからにしようと思います。
GWになると混みそうですので














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  1. 2015/04/30(木) 06:41:13|
  2. おやま~小山田
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里見家と郡内

夢酔が次回作準備をしていることは、周知のとおりです。
最近では、ネットで検索すると「夢酔藤山 小山田信茂」なんて検索ワードが出るようになった。誰がそうさせたのか知らんですが、まあ、名前だけ一人歩きしているようです。まだ準備しているだけなのにね。
とりあえず、ここは里見blogですので、関連なお話しをしましょう。



富士山は戦国時代においても信仰の山です。
信仰の対象である以上は、信者が詣でるのが世の常というもの。
江戸湾の彼方に映える霊峰を登りたいと願う者も、当然いたことでしょう。

ここに、一通の賞状が残されております。
紹介しているのは、たてやまフィールドミュージアムというサイトです。
これは、正木時茂が御師小猿屋へ導師を依頼する文書の紹介ですね。永禄3年頃のものと思われます。
この永禄3年は、富士周辺では激動の一年でした。
まず、今川義元が桶狭間で織田信長に討たれて、駿河国が混乱した年です。
上杉謙信が小田原城を目指して大遠征を敢行したのもこの年のことです。
そして、この御師のお膝元である甲斐国においては、来るべき翌年の川中島合戦へ至る前哨戦の真っ最中でした。
何よりも注目したいのは、甲斐・相模・駿河の三国同盟が確立している時期に、同盟者である北条氏康の仇敵である里見義堯に連なる者が、武田支配領域の吉田へ書簡を通じている事実です。
信仰は、戦さと別腹でしょうか。
いえいえ、むしろ間諜を疑われて、困難だったと思います。
それでも民衆は信仰を貫こうとしたのでしょうか。
次回作は、この吉田という地域を包括する郡内という土地を掘り下げながら、そこの領主だった小山田信茂の人物像に迫りたいと考えています。


DSCF3060.jpg              安房からの富士は、たしかに信仰したくなる御姿ですね

DSCF2267.jpg        富士吉田のこの街道は、小山田信茂時代に整理され、当時からここは御師の集落だったと伝えられます。

DSCF2266.jpg          小猿屋ではないが、別の御師住宅が拝観できるので、往事を偲ぶことが出来ます。

080705_1138~01 富士吉田口五合目からの富士。

P8190347.jpg          熱烈な信徒は、同じような景色を富士山頂から見下ろしたのでしょうね。


取材のためには富士山のてっぺんにだって行くというのが、夢酔という輩です
馬鹿でしょう?
P8190353.jpg             800円のカップ麺は切なかったですが、とりあえず、次回作と里見はどっかで連携しているから、やり易いですね。
史実の里見の息吹を感じています。








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  1. 2015/04/18(土) 06:40:00|
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城ヶ島の黄昏

房州日日新聞連載作品「夏の波濤」。
2月からの長期シリーズ「小田原へ吹く風」もやっと終わり、新章に入っています。
房州より湾の彼方に眺望できる三浦半島。その先端に見えるのが、城ヶ島です。DSCF3739.jpg

ここは秀吉に抗った北条氏の重要拠点。
そして、対里見の前線基地でした。

中世まではここを「尉が島」「尉ヶ嶋」等と呼んでいたそうですね。
「城ヶ島」と呼ばれるようになった由来や時期には諸説があります。そのなかのひとつが、戦国時代、里見義弘がこの島に砦を築いたことで「城ヶ島」と呼ぶようになったというものです。ちょっと無理がある気がしますね。たぶん、青岳尼強奪事件のことを指しているのだろうな。
以前、夢酔が描いた「春の国」では、これに違和感を覚えて新井城占拠という場面にした記憶がございます。

いまはマグロの町、三崎。
戦国の名残を見つけることは難しくなりました。
城ヶ島から陸地側を傍観すると、なんとなく高台になっている気がします。そこが、城ヶ島を包括する三浦半島最大の北条拠点・三崎城跡です。三浦半島三崎城1                  看板以外に痕跡を見つけるのは至難です。

GWが近付くと、三浦半島は夏のような気候も手伝って、観光客が増えるのでしょうね。

その足で、東京湾フェリーを使ってみては如何でしょうか。
かつての水軍の往還ルートが、いまは35分の快適な船旅に変わっていますよ。

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  1. 2015/04/17(金) 06:43:49|
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犬掛にひとこと

里見氏大河ドラマ化実行委員会HPに一言書かせて頂きました。

里見氏大河ドラマ化実行委員会HP


犬掛合戦の地へ、今年のGW、おでかけしてみませんか?



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  1. 2015/04/14(火) 19:04:20|
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里見氏大河ドラマ化実行委員会HP

里見氏大河ドラマ化実行委員会が運営されるHPがございます。
この左隣のサイドバーにも、リンクの一番上にあるから、御覧頂いた方もおられるのではないでしょうか?
まだの方は、ときどき情報発信しているのでチェックして下さいね?

クリック里見氏大河ドラマ化実行委員会HP

その里見氏大河ドラマ化実行委員会HPをお借りして、連載されていた夢酔の小説が、ここで完結しました。
「冬の光」と題されたそれは、里見義豊から義堯へと移り変わる犬掛合戦へと至る一族の苦悩を描いたもので、この時代の里見氏を描いた小説はあまりないのだろうと思っています。分かりづらいですし、人物も整理できないし、何より通説と異なる解釈が発見されるようになりましたから……。つい先週も、里見氏研究の第一人者である滝川恒昭が講演会をしたばかりで、ここでも新発見が論じられました。
委細は房州日日新聞HP版へ前期里見氏に新史料 滝川氏が研究発表 館山
さて、この難解な時代を採用しつつも、明確なクライマックスとして掲げた犬掛合戦。実は、4月6日に起きたのですね。
あいたた!
数日早くアップできたらタイムリーだったのに。
いえね、HPを管理される方よりお知らせ頂いたのが昨日だったもので。きっかけが遅れて済みません。


犬掛合戦という言葉、里見史においては重要な出来事ですが、初めてという方のために、掻い摘んでご紹介しますね。

〈天文の内訌〉と呼ばれる安房里見氏で発生した内紛がございました。比較して欲しいので、従来説と近年解釈を併記しますね。
これまでの通説
永正15年(1518年)、里見義通が危篤となったとき嫡男・義豊はまだ5歳であった。そこで、義通の弟である実堯が義豊15歳になるまで陣代(後見人)として家督を預かる事になった。実堯は稲村城に入り義豊は支城の宮本城へ入った。ところが、義豊が15歳になっても、実堯は北条氏綱の上総へ侵攻を理由に家督移譲を延期していた。義豊が二十歳になった天文2年になってようやく北条氏の侵攻が収まったため、実堯は義豊への家督移譲を決意した。だが、それとは入れ違いに宮本城では義豊の側近たちが
「実堯は正木通綱とともに息子・義堯を次期当主にすえようと企んでいる」
と讒言。これを聞いた義豊は天文2年7月27日の夜に稲村城を襲撃し、実堯とこれを補佐する正木通綱を殺害した。
上総にいた実堯の子・義堯は、正木通綱の子である時茂・時忠兄弟と連絡を取って敵討ちを画策する。義堯はなんと仇敵である北条氏綱に同盟を依頼した。
翌年、義堯は北条氏綱らの援軍を受け、全軍を率いて上総を出発した。義堯はあらかじめ稲村城への奇襲をするという噂を流し、これを信じた義豊は先手を打つべく出陣する。しかし、犬掛で義堯軍の待ち伏せにあった。突然の奇襲に混乱に陥った義豊軍は潰走し、勢いに乗じた義堯軍は義豊が籠城を図ろうとした稲村城内にまで突入した。このため、稲村城を支える事も出来なくなった義豊は稲村城を脱出したものの進退窮まって自害して果てた。
こうして父の仇を討った里見義堯が非道な義豊に代わり、里見氏の家督を継ぐことになったのである。
最近解釈
永正15年(1518年)、里見義通が危篤となったとき嫡男・義豊は既に元服していて父の代理を務めていた。そこで、義豊は家督を継いで稲村城に入り、叔父の実堯とその子・義堯は上総金谷城に入った。ところが、北条氏綱は上総へ侵攻の最大の障害である義豊を牽制・排除をするために実堯や水軍を掌握するその側近の正木通綱に接近する姿勢を示した。
この動きを見た義豊や譜代重臣らは、小弓公方足利義明の了承の元、天文2年7月27日の夜、実堯と通綱を稲村城に呼んで誅殺した。その後、義豊は直ちに金谷城の義堯を攻撃したが、義堯は正木時茂・時忠兄弟とともに百首城に籠城して盟友である北条氏綱に援助を求めた。
8月、里見(義豊)水軍と北条為昌が派遣した北条水軍が保田妙本寺付近にて衝突、ついで里見水軍は三浦半島を攻撃して北条氏と義堯との連絡を断とうとしたものの、いずれも失敗した。北条軍の援助を受けた義堯は反撃を加えたために9月には安房国内で稲村城に次ぐ要地である滝田城が陥落して、安房国から追われた義豊は一時的に上総の真里谷信清の元へ逃走した。義豊は当時真里谷氏領であった久留里城の支城である大戸城を拠点に再起を図った。翌天文3年4月6日、安房に再び入った義豊は犬掛の戦いで大敗を喫し、戦死したとも自害したとも言われている。
里見氏家督を得た義堯は、7月1日、真里谷信清病死を機に、真里谷信隆の追放に加担。信隆を支援する北条氏綱との同盟をも破棄してしまう。これによって、再び北条氏と里見氏は敵対関係となるのである。

これら一連の政権交代劇は、手っ取り早く云うと、宗家から庶家が家督を実力で奪ったというものになるのでしょう。
そのための理由付けが、従来説だったのではないでしょうか。
とにかくまだまだ奥が深いこの事件。
ひょっとしたら、更に引っ繰り返される何かが発見されるかも知れませんね。
「冬の光」は執筆時点における新解釈のもと、不明瞭な部分を創作で埋めて作成しました。
DSCF3061.jpg
夢酔は里見氏の歴史を、季節に例えて小説化しております。
後期里見氏の視点に縛られているといえば、それまでですね。
この「冬の光」のクライマックスは、2008年に房州日日新聞で連載された「春の國」に直接世界観が接続します。この「春の國」のクライマックスは、数年分の空白を置いて、現在房州日日新聞で連載されております「夏の波濤」へと続いていくのです。
そういう能書きを後付けしておけば、房州日日新聞を愛読されております皆さまも、少しは歩み寄って下さるかしらん。

里見氏大河ドラマ化実行委員会の益々のご発展を、心よりお祈り申し上げます。


ここで、閑話休題。
先日、挿絵画家の会より案内状を賜りました。いつもお声を掛けて下さり、まことに恐縮しきりでございます。そして、いつも都合の一致が困難で、お足を運べず心苦しい限りです。
150407_212024.jpg150407_211846.jpg
挿絵画家の会の皆さまからラブコールが頂戴できるような身の上に、はやく昇華したいものです。
会の益々の発展をお祈り申し上げます。















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  1. 2015/04/08(水) 06:55:20|
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【小田原征伐】上総召上のこと

本日の房州日日新聞紙面にて、里見氏上総召上の場面が描かれました。

これは八犬伝しか知らない戦国ファンでも、分かる史実ですよね?
これが、徳川関東移封の第一歩となるのです。

里見義康が上総を召上られた理由は、そこが係争の地で領有と見なされなかったという説があります。しかし、豊臣秀吉ほどの情報通が、実体を認識していない筈はありません。更に、小田原遅参の咎という説もあります。しかし義康より遅い到着の佐竹義重や結城氏朝などはお咎めなしです。伊達政宗すら半国召上の理不尽を被っておりません。
ここは、不思議な部分なのです。
夢酔は歴史研究家でも郷土史家でもありませんから、因果関係の縦糸横糸を熟知しておりません。ゆえに、感覚から入っていくので、不思議を殊更覚えてしまうのです。
里見家は豊臣政権下では、決して冷たい扱いではありません。羽柴姓まで賜っています。それなのに、小田原での冷遇。

夢酔は勝手に、ふたつの解釈で小説に臨みました。
ひとつは先述にある徳川対策。里見半国の上総国では納得させられないという、秀吉の私見が働いた説です。これで家康が移封に難色を示せば、北条攻めの大軍が徳川攻めに転じるし、家康が滅びれば里見に上総国を宛がう目論見があったのではという憶測です。結果的に家康は即断で移封に応じましたが……。
もうひとつは、咎ありです。遅参ではありません。無断な禁制も口実のひとつですが、当時の里見義康は関東足利公方家の再興を望んでいたと考えられます。小弓公方家ですね。第一次国府台合戦以来、里見家はずっと小弓公方家を庇護してきました。この再興を願うことは自然です。しかし関白豊臣秀吉の世に、関東公方など不用です。このことを秀吉が咎めたという筋書きを仮説に立てて、物語を進めました。とは申せ、里見家そのものに恨みがない秀吉は、のちに喜連川氏創設の考慮で報いていきます。

この小田原征伐で、里見氏は大きな試練に耐えていくのです。

2月からはじまった長編章「小田原へ吹く風」。
いよいよ佳境です!









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