散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

房総武田氏

土曜日の房州日日新聞に掲載された回。
小田原征伐の別働隊として、本多忠勝が上総平定のため万喜を攻め落とす場面を描きました。里見にも屈しなかった中間の雄として、土岐一族は意地を張ったのでしょうね。西国勢には負けて堪るかという粉骨虚しく、敗れ去るのです。
もう一隊は浅野長政。こちらは房総武田氏の庁南武田豊信を攻めています。
この房総武田家については、少し考えがありまして、夢酔流の設定をしておりました。

武田というからには甲斐との接点があるのだろうと思いますよね?
はい。
ございます。

甲斐武田家は三度、滅亡の縁に立たされました。
一度目は源頼朝の源氏粛正のとき。辛うじて頼朝に気に入られた下弟によって武田家は息を潜めるように存続し、承久の乱の功績で復権しました。
二度目は上杉禅秀の乱のとき。娘婿の上杉禅秀が鎌倉公方足利持氏に対し挙兵に及んだ際、舅という関係上加担したのです。結果として上杉方は敗れ、武田氏は天目山に追われて自害。その後、甲斐は武田不在の時代が長く続き、高野山にいたその息子が将軍命令で甲斐に戻されたのです。
三度目は申すまでもない、武田勝頼ですね。
房総武田家の興りは、この二度目のときが契機でした。
禅秀舅・武田信満の次男・信長は、武田不在の期間中、鎌倉公方の息が掛かる守護代・跡部氏に対し、ゲリラ戦を展開し翻弄していきます。地侍や不満分子を上手に用い、神出鬼没、跡部勢は翻弄されました。やがて足利持氏に捕らえられた信長でしたが、その能力を評価され、殺すには惜しいということで、足利家の家人となるのです。
持氏はその後、永享の乱で討ち取られます。元々人の恨みを買うタイプだったのでしょうね。その後、持氏遺児を擁した結城氏朝の乱が約一年間続きます。このとき命存えた遺児の一人が、古河公方・足利成氏です。成氏は上杉から関東を取り戻すため戦うことになるのですが、それを支えたのが、武田信長でした。房総を上杉勢力から奪うべし。この命令により、安房へは里見義実上総へは武田信長が向かい、土着していくのです。
そう、房総武田氏は、甲斐と同族なのです。

土曜日の回で敗れ去った庁南武田豊信。
諸説ありますが、実は武田信玄の三男・信之だというものがあります。甲斐では夭折したことになっていますが、伝承では信玄から養子に貰い受けたというのです。母親は正室・三条夫人だから、立派な血筋ですよね。
小説「夏の波濤」は天正10年2月からスタートしています。
甲斐武田家は三度目の滅亡を迎えようという時期です。このとき、高遠城から子供が逃げてくる場面を描きました。この子供が、仁科信正。これも伝承のなかのひとつです。学術的にはどうかという素材ですが、小説ということもあり、惜しげもなくこの設定を採用しました。日本人は判官贔屓ですからね、弱者に優しいのです。


でも。
敗れ去った者に優しくない事例もあるのです。
3月29日。小山田情報館 MAGIE HALLにおいて、子孫による収蔵物公開の場が開館されました。その初日ですが、せっかくというお声を賜り、夢酔、講演をさせて頂きました。
武田二四将にも数えられる小山田信茂。今を以てなお、世間の評価は厳しいです。
勝頼を迎え入れずに拒んだから、滅んだ。
古今未曾有の不忠者。
このレッテルは、江戸時代に定着したものですが、感情的なものも含んで、今日を以てなお世間に浸透しているものです。
歴史を紡ぐのは勝者。
歴史を用いるのは為政者。
これは古今東西の倣いだと思います。東京裁判は勝者における日本への公開リンチなんて声がありますが、やはり勝てば官軍なんでしょうね。大量破壊兵器がなくたってフセインが悪いことになってますし。
小山田信茂も、先に逃亡していたらこうも云われずに済んだのではないでしょうか。武田一族や有力家臣は真っ先に逃亡したけど、小山田ほど恨みは被っていないです。まあ、これもまた、歴史の不思議なのだと思います。
火縄銃とか触れますよ。お……重いクリック
陣立て図なども展示されております。

当日、遠路遥々とお越しの皆さまにおかれましては、つたなき稚拙な口上、まことに恐縮の限りです。
今後も小山田ともども夢酔をよろしく可愛がってやってくださいませ。


ここで、産業振興の一助をひとつ。
月まんじゅう」って知ってますか?150330_055502.jpg
大月の特産品であるウコンをおいしく食べていただきたいと
心をこめて作っています。
ウコンに含まれるクルクミンの成分は、発酵食品である麹菌
酒粕との相性が最も良いとされています。
それらを生地に練りこんで作る月まんじゅうは、身体にやさしく
昔ながらの、懐かしい粒あんの手作りのおまんじゅうです。
他に高菜、みそもございます。
1個110~130円
お土産に最適なパック入りは3個入りと5個入りがあり
自宅用には袋入りのものもあります。
現在 観光案内所・猿橋直売所(火曜定休)、初狩の上下パーキングにて
販売しています。
(大月市観光協会HP転記)
馳走になりましたが、美味しいですよ。
真木で作られているそうです。小山田情報館に足を運んだついでに、ぜひお求め下さい。


この開館情報ならびに講演会にあたりまして、歴史人公認ブログ隊で情報提供の御協力を賜りましたいずな様・城逢人ししん様。
心より感謝申し上げます。









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<戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
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  1. 2015/03/30(月) 06:12:35|
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【必見!】滝川先生の講演があるぞ

土曜日付の房州日日新聞に、滝川先生の講演会やるよ記事が紹介されておりました。
しかも、前期里見氏の研究発表だ!

まずは、読めし
   
前期里見氏の貴重な史料 滝川恒昭氏が研究成果に 28日の公開講座で発表 館山

定員は先着50人。
資料代として会費200円。
問い合わせは、0470―23―6677へ。


急げ、皆の衆




いいな。
行きたいな。
いつもの夢酔なら、速攻で行動に転じております。
しかし、行けない理由が夢酔にもある
郡内小山田氏に関わる講演会のお知らせ(山梨県大月市にて)
いよいよ来週だ。
昨日、会場を見てきました。山深いので、花粉がすごい場所だそうな。花粉症の方は、キチンと対策してくださいね~
当日は幟を立てるそうですが、普通の一軒家でございますので戸惑うことと思われます。



滝川先生。
頑張ってください~

聴講に伺えなくて、御免なさい。。。。。。。。。。。。。。あとで房総里見会のどなたか聴講予定者に、せめてレジュメ確保を依頼せねば!



雑誌「歴史人」のweb版で公開されている
歴史人公認ブログ隊のなかで、いずなさんが来週のご案内をして下さいました。感謝です。いずなさんの個人blogもこのブロク左サイドバーにありますリンクに貼っております。ぜひ御覧あれ。
感謝感謝








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  1. 2015/03/23(月) 05:19:42|
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小田原征伐の発端、名胡桃事件

昨日今日で忙しなく更新していますが、せっかくなので一うんちく。

名胡桃事件は有名ですよね。
関東戦国史、北条ファンや真田ファンには、外すことが出来ないものです。これを引き金にして小田原征伐が始まったのだから、日本史上としても重要な出来事だったわけです。
房州日日新聞連載作品「夏の波濤」でも、この場面は既に登場しました。



 天正一七年一〇月二三日早朝。
名胡桃城主・鈴木主水重則の家臣・中山九郎兵衛実光は一通の書状を差し出した。そこには主君・真田安房守昌幸の筆跡で、沼田問題について談合あり、至急上田へと記してあった。
「これは、いつきた書状か?」
「城番が報せに滞り、一刻ほど前かと……」
「馬鹿者。真田家からの書状だぞ。もしも火急の事としたら、何とするか!」
 一瞥した鈴木重則の顔色が一変した。
「九郎兵衛、火急である。急ぎ馬を引かせよ」
「はっ」
 鈴木重則は慌てて身繕いを始めた。その様子をみて、中山実光はニヤリと笑った。
 鈴木主水重則は名胡桃を発ち、途中岩櫃城へ立ち寄り、城代・矢沢薩摩守頼綱に上田招集を伝えた。
「はて、そのようなこと、当方では聞き申さず。なんとしたこと?」
「火急にと、文が」
「いよいよ面妖。名胡桃にかかる仕儀あらば、殿は決して儂を介すことだろう」
矢沢頼綱は真田昌幸の叔父、かつて武田信玄に仕えた幸隆の弟にあたる。知謀、胆力、それらは昌幸に勝るとも劣らない。
文を手にした矢沢頼綱は、筆跡に間違いないものの、意思の支離滅裂さを感じて、不安を覚えていた。
「主水殿、悪いようにはせぬ。一旦、名胡桃へ戻られよ。責任はこの薩摩守が負うでよ」
 その諫言に、さすがに鈴木重則も不安を覚えて、元来た道を引き返した。
 が。
 名胡桃城にひるがえる旗は、北条の三つ鱗であった。眼を見張った鈴木重則は、まんまと中山九郎兵衛実光にしてやられたことに気がついた。騙し討ちである。
「恥じるべし、我が不甲斐なき様を」
 そう呟くと、重則は沼田城下の正覚寺にて切腹して果てた。このことはすぐに、矢沢薩摩守頼綱の知るところとなった。急ぎ伝令が上田城に走った。京の真田昌幸の耳に達したのは、それから五日後のことである。
 昌幸は名胡桃城が奪われたことを秀吉に申し出た。同様に、沼津城を襲われた徳川家康もまた、秀吉に訴え出た。
 秀吉は、里見義康からの密書通りに事態が進んだことに驚愕した。
「一切の戦さは関白の許可なしで行うことなかれ。これはまさに、惣無事に反することなり!」
 そう云って、秀吉は烈火の如く怒り猛った。
 この一件を、世に〈名胡桃事件〉という。
      「夏の波濤」  第八章 小田原へ吹く風 より抜粋


夢酔は通説のなかに、里見との二重間者となっていた風魔衆庄司甚内の情報をもとに、里見義康からこのことを秀吉が「既知」だった設定を盛り込みました。秀吉はこれが生じることを予め知っていて、大義名分の瞬間を待っていたことにしたのです。まあ、所詮は小説、それくらいの飛躍は許される範囲でしょう。

さて、名胡桃事件とは、本当にあったのでしょうか?
厭な性分です。
ついつい、歴史を疑うのが癖になっています。殊、勝者の紡いだ歴史というものに。
小田原征伐の記録の多くは、秀吉=勝者にピントを合わせたものではないでしょうか。『北條五代記』『関八州古戦録』は江戸時代に作られたものですし、当事者によるものではないから考証も怪しい。
秀吉は天正一七年一一月二一日付書簡にて、真田昌幸へ向け
「北条氏が国境の者に命じて真田氏の城に攻撃を掛け、城主を殺して城を乗っ取ったそうだが、言語同断であり、城を乗っ取った者を成敗するまでは北条氏を赦免できない」
旨を記している。このことに対し北条家当主氏直は一二月七日付書状にて
「名胡桃城は真田氏から引き渡されて北条側となっている城なので、そもそも奪う必要もなく、全く知らない事である」
という点を豊臣側へ釈明している。
このことを念頭においたものか。
森田善明氏は著書「戦国10大合戦の大ウソ(ワック・刊)」のなかで、これを大事件ではないとしています。名胡桃事件の前から、既に秀吉は小田原攻めの準備を整えていた。そりゃあそうでしょう、衝動的に間に合わせられる動員力ではありません。ある本によると、秀吉が小田原攻めに用いた費用は、兵糧、武器弾薬等の消耗品、特殊部隊(掘削・水攻め等工兵)支度、その他ライフラインや築城等々、現代の金額でおよそ六百億円相当を使ったと記されています。周到な作戦が事前から綿密に計画されていたのではないでしょうか。
名胡桃事件の風呂敷が大きければ、都合がいい。
小さな小競り合いを大袈裟にすることで、大義名分にしたのが、名胡桃事件なのかも知れません。当時は小さな導火線も、後世が拡大解釈にしてくれる。結果がすべてなのだから、途中過程は都合で繕うことも多かった。江戸時代はこういう著書が多いですよね。そして、現代の通説の多くが、そういう二次史料によって骨格を為している。
これは日本史に照らしたものですが、里見家はどうでしょう。
八犬伝は伝奇創作だからこの場ではさておき、『里見軍記 』『里見九代記』『里見代々記』といった史料も、やはり江戸時代にまとめられたものです。この通説が、長年里見氏研究を行き詰まらせていた感は否定できないと思います。「房総里見氏の研究」を世に送り出した大野太平氏の解釈をきっかけに、半世紀以上に渡る里見氏研究は発展しました。これまでの定説も覆された面が出てきました。
通説は検証するというのが研究者の真理なら、まず疑ってみようというのが夢酔の理念。
ちょっと似てるが、前者の重みが後者にはございません。まあ、動機ときっかけが見えればそうするし、なければ通説に従いつつ私的解釈を練るしかない。小説書く人の、遠回りな作業起点でもあります。

勝者の歴史に洩れ落ちた者を描くのが、どうやら夢酔の癖なのかも知れません。

思えば、夢酔が過去に描いた人物は、そういう者が多かった!

三田弾正という地方豪族は、上杉家に固執したため北条氏照に滅ぼされました。典型的な敗者の立場です。
IMG_20150319_0001.jpg

「夏の波濤」の前世代を描いた「春の國」。里見氏は全体的に教科書的な日本史からみて、日陰にされています。故意か意図かは存じませんが、これも未だ日本史の通例といえます。
IMG_20150319_0003.jpg

意外ですが、萩原タケもそうでしょう。近代の功績ある日本人なのに世間に事蹟が知られていないのは、戦前の多くを悪く塗りつぶす風潮の仕業かも知れませんね。むしろ海外にこそ評価が高いんですが……。
IMG_20150319_0002.jpg

で、夢酔の次回準備している素材も……
そういう性分なのでしょうね。
ふふふ。
それでは、お馴染みですが……
次回作関連の情報です。
まずはここをクリックしてください小山田情報館
みた?
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あと1週間です。準備、たいへんです。
でも、資料的には興味が湧いてきませんか?
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  1. 2015/03/21(土) 08:10:31|
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小田原征伐と里見氏

現在、連載回は小田原征伐を丹念にほじくり返しております。
本日号では使いとして先行した里見民部大輔が徳川家康の陣所に迎えられる場面が登場しました。

北条氏討伐のため豊臣秀吉が挙行した、この壮大なる包囲網。
どこに、どの大名が配されたか、これを考慮しながら散文を書くわけですが、
徳川家康はざっくばらんに小田原城の東側に布陣しました。
鎌倉から駆けつけた里見民部大輔は、必然的に徳川の陣と接触する訳です。

この小田原征伐を描くにあたり、史実から伺いしれぬ部分について、幾つもの試みをしています。
すなわち〈創作〉ですね。

一番の創作部分は、三浦半島上陸から小田原へ向かう里見勢の行軍ルート。
一般的には三崎城で時間を費やし、使途僧の勧告で慌てて小田原へ向かったとされますが、疑問も残ります。
三崎城に釘付けにされたのなら、撤退時には送り狼に襲撃されてしまうでしょう。無傷で小田原へ行ける筈がありません。
夢酔は上陸軍の進路は三崎城スルーで、逗子鎌倉方面へ向かったと推察しました。しかし三崎から出兵されたら元も子もないので、兵を降ろした里見水軍は海上から三崎城へ遠弓を放ち打撃を与えたことにしたのです。その後、水軍は鎌倉和賀江島に係留され待機。陸上部隊は玉縄からの軍勢に警戒しながら鎌倉を通過する展開にしたのです。三浦半島三崎城1
勿論、具体的な資料根拠はございません。
小説を書くうえで、出来る限りディテールにこだわりつつも、点と点をつなぐ線にあたるエピソードは、違和感のないような緊張と配慮を心懸けながら想像していくのです。

玉縄城は北鎌倉大船あたりの北条の要塞です。
このとき幸いにも籠城に徹してくれたおかげで、里見氏は徳川勢と合流を果たすことになります。

ところで。
この小田原征伐には、ふたつの現実が存在します。
ひとつは徳川家康の関東移封が決定されたこと。もうひとつは、里見氏の安房一国のみという減封です。その流れについては、こののちの連載の流れに注目してください。


そういえば。
夢酔はアイドルのこと、よくわかりませんが、今日の房州日日新聞には、こんな記事がありましたね。
クリック高山さん(乃木坂46)観光大使に 南房総
どうか、里見のことも宣伝してくださいね~






それから
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  1. 2015/03/20(金) 20:17:37|
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里見氏2015年のイベント

早いもので、年度替わりの季節です。
つい正月を迎えたばかりと思っていたのに、早いですね。

2014年行事の締めにあたる
里見氏安房国替400 年特別展 第2期「里見氏の遺産・古文書」
は、いよいよ3月22日(金)までです。
ぜひ、その目で貴重な資料をお確かめください。

さて、2015年は、何か催しがあるのでしょうか。
気になるところです。

確実なものは
里見桜まつり     
   開催日時:平成27年3月28日(土曜日) 10:00~15:00※悪天候の場合は3月29日(日)順延
   開催場所:  城山公園 芝生広場
倉吉せきがね里見まつり
   開催日時:平成27年9月頃(まだ未定)   
南総里見まつり
   開催日時:平成27年10月頃(まだ未定)

2014年で燃え尽きたら、ダメだ!
400年・200年は、通過点に過ぎません。新しい第一歩を、大きく踏み出して欲しいです~


それから
次回作準備にあたり、末裔の方からの情報を頂きました。
まずはここをクリックしてください小山田情報館
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みました?
戦国ファン必見情報ですね












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【3.13企画】御拝読ありがとうございました~!

3月13日は、そう、「サ・ト・ミの日」でした
スペシャル企画「夏の波濤」編集バージョンの公開も終了です。
お楽しみいただけましたか?

削除にあたり、コメントをこちらに転記しますね。




圧巻

夢酔藤山様
こんばんは!
こんなに歴史人物が出てきて、しかも知らない人&エピソードがあると何か圧巻ですね。
重みがあります。
2015-03-14(00:00) : 雪月花桜


本編は現在、第八話「小田原へ吹く風」を連載中です。
御覧になりたい方は、ぜひ房州日日新聞をご購読くださいませ。
20150314_0001 (2)       全景を御覧になる際は、画像クリックをお願いします


また何かを仕掛けられたら、幸いです。




ここで、お知らせ
次回作準備にあたり、末裔の方からの情報を頂きました。IMG_20150314_0001.jpg
都留市に多くを収蔵してもらっているそうですが、まだまだ伝来品も多いとのこと。それを定期的に公開できる場所を設けたということです。武田ファン小山田ファン必見ですね。
小山田情報館http://blog-imgs-78.fc2.com/m/u/s/musuitouzan/IMG_20150314_0002.jpg
展示会 武田24将の1人である小山田氏に関する史料
開催日 3月29(日)・30(月)・4月4(土)・5(日)・11(土)・12(日)  予定です
IMG_20150314_0001-1.jpg        真木温泉の近くらしいです。
丁度「大月さくら祭り」の期間と一致しますね~
真木温泉は大月ICよりちょい笹子寄りのところにあります。岩殿山の西側方面ですね。
約3000本の桜が咲く真木お伊勢山は桜ごし富士山をの景勝地ですよ。

夢酔もいるかも知れない












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  1. 2015/03/15(日) 04:33:25|
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【近況】私的なひとりごと

里見家啓発のため、ずっと書いておりますこのblog。
新聞連載に関する小説部分は、実はおおよそ完了しておるのです。必死に頑張っているのは、挿絵の山鹿先生。夢酔も責任を持って、挿絵のための資料を提供しています。前回「春の國」のときは
「挿絵で保たせた小説」
という悪口も甘んじて被り反省しきりでした。今回も、よりハイグレードな挿絵で助けてもらうため、図々しい物云いですが、二人三脚のつもりで全力サポートしています。絵がよければ些末な散文が生きてきます。前回より多少は成長しているつもりですが、校正力がイマイチで、原稿の時に気付かないことが、いざ紙面ともなると、とんでもない言葉となっていることに赤面します。
世の先生方は、本当に校正力が達者で、とにもかくにも肖りたい心地でございます。
DSC00018.jpg

さて。
こうして原稿部分で一区切りがついている夢酔。
このまま足踏みしていても、仕方がございませぬ。実は昨年から、新作のための準備を、着々と進めてございました。ええ、連載がスタートする頃から、取材や資料の解釈によるプロット作りをしていたのです。
里見とは関係ないのかも知れませんが、
今日は夢酔藤山という輩の近況を知ってくださいませ。

館山城趾に、面白いモノがあるんですが、皆さん御存知?141019_074436.jpg
141019_074448.jpg
ああ、あったな。
気がつきましたか?
富士講のことが記してありますが、ようするに甲斐国とのつながりを意味しておいでです。小御嶽神社は富士吉田から5合目にある祠。小御嶽神社 - 富士山五合目観光協会公式ホームページ
現代では自動車でバビュッと行ける場所ですが、むかしは頑張って歩いたのです。いまはレジャーの富士登山、むかしは信仰の登山でした。
お恥ずかしながら、夢酔もレジャーしたことがありましてね……富士山、いいですね~
P8190351.jpg
でも、ここでは、ヤマノススメをしている訳ではございません。この富士講の土地、甲斐国郡内についてお話しします。甲斐といえば、云わずと知れた武田信玄の國。「夏の波濤」では織田信長の登場した冒頭で武田家滅亡を描きましたが、その後の本編で武田旧臣や血縁者がたくさん登場します。里見とは無縁ではございません。
この郡内と呼ばれる地域は、武田家と同盟関係にあった小山田家の支配領域。
富士講の世話をする御師と呼ばれる人たちの管理もしていたのではないでしょうか。そのあたりは独学中ですが、とにかく小山田家は、武田と両輪の如く存在したのです。信玄の時代、武田が圧倒的なカリスマ為政者となり政治ピラミッドの風下に立たされることもありましたが、原則、家臣の顔をした同盟者。信長に対する家康のようなイメージでいいんじゃないかな。
新作は、この小山田家が郡内で君臨した最後の当主である小山田信茂を取り上げています。

はい、質問。
小山田信茂の印象は、どうですか?

ここは里見ばかり推進してきたので、里見ヲタがたくさん観ていると思います。武田のことなんか知らないという声も多いので、答えちゃいますが、殆どの方は
「悪印象」
ではないでしょうか。
武田家最後の当主・勝頼が逃れ逃れて、ようやく匿われる予定だった岩殿城へ至る道を閉ざして滅亡に追いやった裏切り者。これが小山田信茂の印象なんです。
このことは、長い間、一部では反論の声になっていました。
郡内を戦火に巻き込まない政治的なものだったんだ。
でも、武田信玄を古今無双の英雄に受け止めている山梨の人たちにとって、土壇場でノーサンキューした態度は受け容れがたいものがあるのでしょうね。だから怒りの矛先が向いてしまう。

余談ですが、夢酔と小山田信茂は、ひょっとしたら御縁があったのかも知れないのです。
バックトゥザ数十年前。夢酔は駅伝で有名になる前の、山梨学院大学の学生をしていたことがあります。当時は頭が悪かったので、ここしか行けないよと高校教師に勧められたのですね。いまは立派な進学校ですが、当時はアパートを借りるのも一苦労でした。山梨大学の学生ならいいけど、学院ならお断りなんて云われたこともありました。まあ、横道でしたが、この当時、山梨学院大学で文化人類学という授業の教鞭をとっておられたのが、小山田了三先生。そう、小山田信茂の子孫にあたる御方でした。その頃は小説を書こうなんて思ってもいませんでした。ただ、歴史好きが開花したのは、紛れもなく、この武田信玄の國で衣食住を繰り返した賜であることは事実です。これが、夢酔の小説書きへ至る原点だと思っています。
とにもかくにも、当時は無関心だから、世間から評判をきくわけです。
あの小山田先生の前で
「信茂は武田を裏切ったと云ってはいけない。こっぴどく叱られるからな」
このことは当時一介の学生だった夢酔が知っていたくらいですから、よほど評判だったのでしょうね。
やがて、卒業して、四方山としながら誰の師事もないまま独学で小説を書きため、ようやく人様の目に触れても(多少は)恥ずかしくない散文を書けるようになった頃、夢酔の心に芽生えたものがありました。
いつか、武田に関するものを書きたい。
これは、忘れてはいけない原点だったようです。
里見の小説の中に、不自然にならない程度で武田旧臣をまぶしているのも、オマージュのようなものです。もっとも、時代背景としては、決して無理のないものです。
里見の御縁で懇意にさせて頂いております全国里見一族交流会。あれは、2012年4月13日の里見城跡が国指定史跡になったシンポジウムの祝賀会のことです。その席に、山梨学院大学の先生がおりました。あの当時もたしかおられました。別田で発掘やるから学生手伝えみたいなことを発していたような覚えがあります。(行きませんでしたけど
甲斐国のことを忘れていた自分に気がつきました。
まあ、学生と教諭程度の御縁なら、世間では吹くほどのよくある話です。この小山田信茂については、その後、更なる御縁に行き着きます。
御存知の方も多いと存じますが、夢酔の作品で唯一の近代を扱った「聖女の道標」という作品。日本赤十字病院看護婦・萩原タケの物語です。新聞連載スタートと同時に、市民劇団の舞台にしたいから脚本書いてというお話しを頂いたのが、現在の劇団き楽座主宰者。当時はまだ劇団はなかった。夢酔の脚本ありきで人が集ったのですが、まあ、舞台向けに書いた経験がないので御粗末なものをという恥ずかしさしかないのですが、この主催者さんは地域向けの新聞折込紙を発行しているんですね。この折込紙に、かつてコーナー連載していたのが、あの小山田了三先生。なんと、数十年ぶりに聞くお名前、小山田先生は夢酔と同じところの市民だったのです。でも、お会いする機もなく、小山田先生は既に御他界されておりました。
でも、志は生きていたのです。
郡内を戦火に巻き込まない政治的なものだったんだ。
小山田家は武田家を裏切ったのではない。
ご家族がこの意志を形にしたいのだという想いがあることを、劇団き楽座主催者から、随分前から耳にしていました。
何か、形にしたい。
でも、レッテルって、容易に剥がれませんね。
それでも日本の歴史研究は、この20年で大きく見直しがされています。
夢酔が山梨学院大学生だった頃は、もうひとつ、武田勝頼は諏訪の人間で信玄の跡を潰した元凶という声もありました。それ、今は大きく再評価されましたよね。いまでは信玄に匹敵する名将とまで云われています。温度差、激しいですね。
石田三成も明智光秀もそうです。評価は引っ繰り返された。豊臣秀次も殺生関白どころではないことが見えている。かくいう里見の正史も、この20年で新しい発見や誤解も見つかりました。それでも八犬伝に勝てていないだけで、もう里見正史も充分に論じることが可能な物証さえあります。
小山田信茂にも、その日がきたっていいんじゃないですか?
劇団き楽座主催者を介して小山田了三先生の奥様を紹介されたのは、たしか一昨年くらいか。
いろいろお話ししているうちに、世間に評価を見直される方法はないものかということになって、ならば地域に種を蒔くところから始めたらということになりました。すなわち大月や都留といった、かつて郡内とよばれた地域の人たちさえ信じてしまった「逆心」の誤解を解くこと。でも、気がついたら、夢酔が再評価の小説をやってみようかという話になっていました。
発表先は決まっていませんが、まず形を作ってみないと始まらない。
いつか、武田に関するものを書きたい。
このときが来たように感じました。
従来の通説から外れるためには、信玄サマサマの視点だけではいけない。郡内目線も必要だ。小山田家臣団の事蹟は?民衆の生活は?気候風土、そうだ、御師や信仰。この初期調査のために、地道に文献や現地に足を運びました。山梨県立博物館におかれましては、繰り返し的違いな質問もあったりで、ご迷惑をお掛けしただろうなと思っております。
特に去年に関しては、丸島和洋先生の講演会を聴講させて頂きました。学術的には、丸島先生の積み重ねたものが一番の背骨になると感じております。御師住宅を実際に拝観して、当時の信仰を考察しました。松姫逃走経路も必要になり、このときは小山田家の母子同伴で八王子の信松院へ取材に赴きました。収蔵甲冑が大月市市民文化祭で展示しているので是非という連絡は、例の高野山のときに承り、ツアー終了後、富浦ICから大月ICまで大返ししたこともありました。
地味に、積み重ねました。
でも、小説にするときは、作品が固くならない工夫を必要とします。
小説は学術書ではございません、所詮は、創作の産物となるわけです。
様々な創作を思考し、それに進みたい筋書を練り合わせてプロットにしていく。このプロットがおおよそ基本形にまとまったのが師走の暮れ。そこに肉付けをしていくのです。

夢酔の手法は準備稿を作成しとりあえず全体の起承転結をつけます。
そこから考証や方言や表現やタブー削除や、それらのために変更せざるを得ない物語の差し替え、なんだかんだで二稿三稿まで積み上げていくのです。時間かけすぎでしょ?不器用ゆえの作風です。もっと効率いい方法があればいいんですけどね。その割には校正がおろそかになってしまう。「夏の波濤」はそこが不十分だと反省しています。
正月から準備稿に着手しています。
スタートから2ヶ月以上要したのは、物語の始まりを、勝沼大善寺勧進能からと思ったからです。大善寺も取材しています。メールで意見を賜りましたし、直接お声を承りました。が、勧進能があったということ以外の詳細がわからないのです。なにより演目も解らない。ここは創作の許されるところだろうか、キラリン ところが、甘くなかった。能楽素人の夢酔は物凄い苦労させられた訳です。スタートから、なんとハードルの高いことか。一度くらい観劇したくらいでは、能の心なんて解らないものです。そこで、ふと気がつく。誰もこういう場面を描かないのは、わざわざ自分から地雷原に踏み込む者がいないからなのだろう。夢酔のように無防備のまま土足で踏み出すうつけ者は、普通はいないのでしょうね。

なんだかんだで、里見の連載を皆さまにご披露しつつも、次回作の種を蒔き、芽を出させて栽培し世にご披露仕る。こういう面倒くささが、けっこう楽しくなってくるから、因果な稼業だなと思ってしまいます。
いや、考えていないな。
考えたら、やってらんないかも知れない。
少なくとも、世に出れば、常に批判に曝されます。
おれの知ってる史実とは違う
あいつは勉強不足だ
何の権利でおれの先祖を辱めるか
謝ってください

こういう声が必ずあります。あってもおかしくないんです。長い歳月に根付いた個々の価値観や認識や信じる心は、等しく十人十色。自分と異なるものに猜疑を抱くのは、世の常です。

ゆえに、お願いをしているところです。

四方山の御指摘ありがとうございます。
浅学の御教授ありがとうございます。
皆さまと異なり広く浅いため認識が薄くて申し訳ございません。
たかが創作読み物として、どうか楽しんでお読みいただけましたら幸いです


専門家にはどうしても勝てません。
これだけは現実です。

でも。
とりあえずは、ここでも、房州日日新聞でも、まだまだ里見は続いております。
どうか温かいご声援を賜りましたら、夢酔は嬉しいです。褒めて伸ばしてくださいませ



ここでお知らせ。
左サイドバーのリンクにも貼りますが、小山田信茂のことを紹介します。
郡内小山田家の伝来品と収集品/小山田了三のミュージアム
クリックしてね
近々、収蔵品展示のお知らせが出来るときが来たら、またこの場でお知らせします。
昨日、そのお話しを聞いたばかりです。
楽しみだ。

付録
小山田取材旅ショット(の一部DSCF2371.jpg        この安宅舟木造の資料は、「夏の波濤」挿絵用に資料供出もしています。
DSC00020.jpgDSCF2043.jpgDSCF2267.jpg                                     現在の富士吉田街区の基礎は元亀三年、小山田信茂の移転によるもの。
DSCF2266.jpgDSCF2055.jpgDSCF2338.jpgP4210203.jpgDSCF2276.jpg       大善寺薬師堂と稚児堂(左)この稚児堂が能舞台ですね

そして、昨年12月。
高野山京都
       大月
DSCF2927.jpg里見の合間に頑張ってます~

それから。。。これもはじまった。150302_212801.jpg

夢酔って、けなげ……
もっと働け~

いいんです。
求められているうちが花なんです。
謙虚な気持で、貪欲に、がモットーです。


今回は、里見のことを差し置いて、近況語りをしました。
哀れと思ったら、コメントで慰めてください。HPが少し回復します。たぶん










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【重要】里見の足跡、知っておこう

これは、パンフレットとして、安房随所に設置されているものです。
本来ならば余所へもっと発信し、周知を広めなければいけないものだと思います。
IMG_20150302_0007.jpg
ただし無許可なので、内容をバシバシとアップするのも気が引けます。
ここには、安房だけでも35箇所の里見に関わる寺社史跡が紹介されています。そんなにあったのと、驚きますよね。これをもっと周知させなければいけないと思います。特に、外部にです。

まずは、足を運びましょう。
きっかけは何でもいいのです。
足を運んで、八犬伝じゃない正史里見家を実感してください!







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わたしの町の歴史探訪 第33回ー館山城下町ー

文字色とりあえず、高野山関連の前回blog、参考になりましたか。
今年は開闢1200年の高野山。
今はなき妙音院跡を散策するのもオツですよ。

さて。
表題の行事報告に入りましょう。

雨のなかですが、実施されました。
小雨決行とのことでしたが……小雨か?DSCF3687.jpg
岡田館長も、道路作業員のような全身オレンジのレインウエアーです。御苦労様です。

今回のコースは、次のとおり。
城山公園駐車場→枡形→仙台藩役所跡→食い違い道→長福寺→菱沼跡→本蓮寺→妙台寺→御霊山→宇和宿→鹿島堀→大膳屋敷跡→里見重臣屋敷伝承地→八賢臣の墓→城山公園駐車場
予定よりも少し違うのは、たぶん、天候のせいです。
詳しい報告は、本家本元の「生涯学習ブログたてやま発見伝」を御覧あれ。
当日もらったコース案内ですが、雨でデロデロ。
読めますか? → (表)(裏)
夢酔もダウンが雨を吸って……お、重い

最後の最後で、岡田館長の力説する「八賢臣の墓」。DSCF3707.jpgこれは年代も一致せず、本当は八つじゃないのに、いつのまにか八つになり、明らかに人形劇の影響ですが
「八犬士は実在しません」
です。
まだ信じている人は、そろそろ目を覚まそうな。

この行事が終わったのは、16時ちょっと前。
もうひとつのお目当てである
里見氏安房国替400年特別展第Ⅱ期
「里見氏の遺産―古文書―」

を拝観するため、博物館へ急ぐ!IMG_20150302_0004.jpg

雨のなかゆえに、ろくにスタッフへ挨拶も出来ず、御免なさい。
150301_155951.jpg   みんな、まだ間に合うぞ。

これだけ確たる存在の証があるというのに、なぜ、みんなは史実の里見に目を背ける?なぜ創作の八犬伝を信じてしまう?
夢酔はときどき各歴史雑誌に、特集要望をしていますが、
知りうる限りでは
「ただの一度も特集された試しがございません」よね?
頼むよ。
首都圏からこんなに近いのだから、いくらでも取材できますよ?


翌朝は、嘘のような快晴
館山城の城山へ向かったら、秋山県議とバッタリ。体操の会だそうです。どうりで早朝から駐車台数が多いと思いました。館山の皆さんは、とても元気ですね。肖りたいです。
この日は、三浦半島の建築物が視認できるほど空気が澄んでいて、雄大な富士山と、伊豆半島の稜線までクッキリ!
DSC00021.jpg
21世紀をして、こんなに視認できるのだから、戦国時代はもっと見えたのではないでしょうか。江戸湾を巡る攻防戦、水軍の質の高さが拝察できますね。

この日は月曜日。
行きたかったところが殆ど休館日です。

仕方がない。

延命寺に行きました。DSC00029.jpgDSC00028.jpgDSC00032.jpg
それと、長安寺。DSCF3713.jpgDSC00011.jpg

有意義だ。

安房国にくると、いつも心が豊かになります。

ありがとう。

食用菜花をたっぷり購入して、帰途につきます。こっちの販売価格の凡そ半値以下ですからね。安房の野菜は、夢酔一家の生命線です。もちろん、魚介類も大好きですよ。クジラも、です!
150302_092456.jpg


いつも愛用の東京湾フェリー。
この日は、揺れた!天気晴朗なれど浪高し、ですね。
眺望は最高でした。
伊豆大島から伊豆半島、富士山、三浦半島、アクアライン海ほたるまで、クッキリ。
DSCF3724.jpg   千葉県の陸地側から、三浦半島の様子がこんなに鮮明にみえるのです。DSCF3725.jpg      城ヶ島沖を航行するのは……自衛隊艦船かな?あの城ヶ島に北条の水軍拠点三崎城がありました。
DSC00045.jpg
里見や北条の水軍がみたであろう海上の景色を、快適に偲ぶことが出来る東京湾フェリーに、感謝です









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里見家と高野山

2015年3月1日(日)。
朝一番の東京湾フェリーに乗船して、安房国へ赴きました。
今回の目的は大まかにふたつ。
ひとつは、高野山真言宗妙音院をお訪ねすること。もうひとつは、館山市立博物館事業の参加です。

まずは妙音院さんへお伺いしたところから書き綴りましょうか。

今回の目的は、古地図の受領です。
10月に高野山へ伺ったとき、光明院宿坊の浴場前に古地図が掲示されていたのを、妙音院の福岡住職に教えて貰いました。そのときに、江戸時代、本来の妙音院がどの場所に存在していたか、それが近代以降に光明院が兼用預かりになった旨を教えて頂きました。そのときに、地図の写真を撮ったんです。
ところが、あとで見直すと、幾枚か撮影したものが全てダメ。文字も読めないほど、ブレたりボケたり滲んだり。
貴重品と知りながら、なんとか複製を得る手段はないものだろうか。
正月過ぎに、福岡住職へ一筆したのです。
ダメで元々だって……。
ところが、2月の頭に、図面が入手できたというお知らせを頂いたのです。郵送しますという回答でしたが、
「お伺いします!」
と電話で申し出ました。
実は、「夏の波濤」の挿絵を描いている山鹿公珠先生が、高野山に関心をお持ちでしたので、一緒にどうかなと思っていたのです。双方の都合がなんとか合致し、3月1日朝9時に妙音院にお伺いすることとなったのです。

朝一番の東京湾フェリーに乗り、久里浜をお別れです。
DSC00014.jpg

8時30分、山鹿先生のギャラリーへお迎えに。
現在、ギャラリーではこんな展示をやってます。よかったら観に来てください。
http://blog-imgs-78.fc2.com/m/u/s/musuitouzan/150301_084714.jpg
せっかくなので挿絵の内容検討。前夜、お電話を頂戴し資料を用意しました。大陸出兵のくだりの章です。本阿弥光悦や小野次郎右衛門が登場します。
9時に少し遅れて妙音院に。
前夜、お話ししてご都合がよいということで、全国里見一族交流会会長・里見香華氏も同席です。

古地図、早速受領です。84センチ×44.3センチ、結構大きいでしょ?
ここで図面内容の紹介は出来ませんので、ピンポイントのアップをします。これが在りし日の高野山内妙音院の位置。現在は住宅地になっているそうです。IMG_20150302_0003.jpg
なくなった妙音院は、光明院に吸収された恰好で、二院併記で管理されています。10月にお世話になった場所ですね。IMG_20150302_0001.jpg
  ここです。

勿論、街区については現在のものと必ずしも合致する訳ではございません。

里見家は高野山でも、特に西門院とのつながりを確認することができます。
丁度、山鹿先生が挿絵に手をつける章にも、その頃のことが登場します。これを当時の書状的にいえば、こういうものです。

     借用申候黄金之事
  合而壱枚但其方秤也
  右、請取申所実正也、此返弁来秋俵子を以、
  音院ヘ如相渡申候、皆済可申候者也、
  仍如件、
    壬辰
              (黒印、印文「義康」)
    卯月十三日  □
       西門院ヘ

肥前名護屋へ出兵する里見義康が、高野山西門院へ金一両の借用を申し出たときのものですね。この返済を妙音院にという西門院の指示が文中にあります。しかし、妙音院と西門院のつながりは伝わっていないそうで、福岡住職も、なぜウチに指名があったのかと、首を傾げておりました。

現在、夢酔は新作の準備に取りかかっております。
里見ではないんですが
そこでも高野山が関わるんです。戦国時代の高野山は、とにかく大名の情報が集約されているんでしょうね。今回は持明院というところで文献が発見され、これまで1代とされた人物が2代別人と判明したと……。鋭い人は、夢酔の題材とした人物が誰だか察しちゃったかな。
高野山にはよく肖像画がありますよね。
戦国武将の画像は、御当地より高野山の残っている(気がします)。位牌も多い、墓所もある。ひょっとして、肖像画は御影のように、位牌とワンセットの供養アイテムか?
福岡住職は光明院先代から、古い里見家位牌があったと聞かされた記憶があるといいます。しかし代替わりのため、光明院当代は知らないとのことです。こうやって相伝されないものがお蔵入りされて、膨大な量になるのだそうです。位牌がないから昨年400年の節目で新調しました。でも、古いものはあったかもしれない。肖像画と位牌がワンセットだったら、未だかつて誰も知らない、里見氏の誰かのお顔が高野山にずっと眠っている可能性も……
でも、火災が多かった高野山。
それに蓄積された1200年の重み。
判別するのは難しいとのことです。
安房にない里見氏実像、ぜひ高野山から姿を現す日がくるといいですね。

この日、法事が予定されていたらしく、時間ギリギリまでおつきあい頂きました福岡住職に感謝です。

雨が強くなってきましたが、この日、13時からは「わたしの町の歴史探訪 第33回ー館山城下町ー」というイベント参加です。お二人にお別れして、館山市立博物館駐車場へ。
受付した頃から、雨脚が強くなってきました。DSCF3686.jpg
このイベントについては、別途で記載しますね。




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  1. 2015/03/02(月) 20:48:49|
  2. 随筆・あっそう!里見発見伝
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