散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

【連載余話】時には大胆な爆弾を

現在連載している「夏の波濤」。
房州日日新聞が我が家に届くのは、当日だったり翌日だったり三日後だったりと、郵便事情で揺らぎます。ひょっとしたら今日載ったかも知れないし、明日かも知れないけど、たぶん、読んだ方が目を疑う記述をしてみた。根拠はない。面白くしたいという好奇心だけの、ちょっとした爆弾だ。

「義康」
 この諱は、徳川家康から贈られたものである。


 たぶん、紙面でこれを読んだ方が、速攻で房日新聞の電話を鳴らしたかも。ひええ、御免なさい。
 先に書きましたが、根拠はありません。でも、「康」の一字はどこから来たのでしょうね。元服すると一字を賜る当時の仕来りは、実に奥が深いと思いませんか?
 徳川家康はこのとき北条氏政とつながっています。娘婿はその子・氏直。それでいて小牧長久手以降は秀吉に臣従するしたたかさを持っている。でも、心から心服している訳ではない。このとき北条は反秀吉路線、東北に至っては未だ係争。水面下で彼らに気脈を求めたい野心すら秘めている家康は、なりふり構わずに東国武士と誼を持とうとしたことでしょう。北条にとって水利を巡る嫌な相手・里見氏を味方にしたら、家康は氏政にも恩を売れる。
 そう。
 学者が絶対に否定したくなることを、平気で肯定させる屁理屈を見つけて、無理矢理に暴論展開してみたのです。
 なんのため?そう、ずぅっと先の伏線の為です。小説とは、そういう作戦も秘めているのです。でも、そのために読者から怒られたりすることもあります。今はとりあえず「はいはい」としか申しません。
 逆に、何一つ波風が立たなかったら、寂しいと思います。

 これまでの作中でも、いくつか爆弾を投下してきました。

 信長は、小姓に桐の箱を運ばせた。そして立ち上がると、それを手ずから岡本氏元に渡したのである。
「南蛮の宣教師から献上されたものじゃ。分けてやるから、蒔くがよい。ポルトガルの木の実じゃわ。実から油が採れるというぞ」
 岡本氏元は、これをホルトの木と理解した。


 このブログを読んだ人だけが、洗脳から褪めるかも。南房総市の宮本城趾にはホルトの木があります。このあと、信長から贈られたポルトガルの木の実は宮本城に植えられました。ここで、錯覚するのです。あの木は、信長が?わざわざポルトガルの木と書いてあり、ホルトの木と理解したと誇張しているにも関わらず。そう、現存と別の木だよと云っているのです。でも、今日これを読まなかった人は、最終回近くまでこのことを引き摺ることになります。そう仕組んだのですから。うふふ。
 
「小僧、里見の嫡男か?よい眼だ、気に入ったぞ。じきに儂が身内から嫁を使わしてやろう。三河守(徳川家康)、聞いたな?」
「これは思いがけぬ果報!」
 義頼は即座に平伏した。


 織田信長とのやりとりです。
 学術上、まったく系図の上では信憑性がみつけられませんが、里見義康の正室は信長の縁者とされています。養女か、姪か、落とし胤か。これが唐突に出てくるのは厳しいから、この段階で含みを持たせる。そのため信長との対面を演出したのです。
 史実がぁぁぁと云われると元も子もございませんが、小説は論文じゃありません。
 あらゆるエッセンスを散りばめて、あとの伏線に用い、ゆっくりと回収するのが作戦です。この時点で、もう家康は里見を無視できなくなっていくのです。秀吉よりも早く、家康は里見を見初めたことになるのですから。

 戸田一刀斎、本名・前原弥五郎。のちに伊藤一刀斎という名で知られる。この戸田一刀斎という呼称も、そもそもは師である鐘捲自斎通家の変名である。当時、彼はそれを名乗って武者修行の旅をしていた。

 今回の作品には、当時のあらゆるエッセンスを詰め込みたい想いがあります。そのひとつが、武芸者や剣術といったものです。ここに伊藤一刀斎が登場したのは、のちの小野次郎右衛門忠明との出会いを交えることで、今後の彼を登場させやすくしたためです。こののち小野忠明は、一己の武芸者として里見と同じ時代を生きていきます。剣客は剣客を呼び、膨らんでいきます。そうすることで、余り世に知られていない板鼻一万石の里見の一人を生き生きとさせることが出来る仕掛けとなります。
 これは、まだ餌のついていない仕掛けのようなもの。
「なんでこんなところに一刀斎がいるんだ」
というお叱りも、すべては計算尽くなのです。

 こういう小癪な物言いをしてはいますが、内心は常にびくびくです。
「よし、ちと嬲ってやろう」
という方もいることでしょう。蚤の心臓ですので、どうかお手柔らかに

でも、まだ爆弾はこれからも……。
「これも、小賢しい工作だな」
を見抜けるでしょうか。読者と夢酔の腹の探り合い。
「夏の波濤」は、そういう楽しみ方も出来る作品なのです。どうか、お楽しみ尽くしてください。


追伸
これ、読んだよ
  
seijyoP.jpg
という声を頂きました。
ホントに、ありがとうございます
最近、これがアマゾンにも出回っていたことを、作者自身が知りませんでした。中古サイン本らしいです。サイン入れたのは主に初版ですから、誰か読み厭きて売りに出しているんだろうな。手段はどうあれ、広く人の目に触れることは有難いことです。
でも、出来たら二版になるけど新品読んで欲しいな。
少しでも売れたら、天災続きの長野日赤へ僅かばかりのお手伝い(寄付金)をしたいと思っています。
東日本大震災のときは売上げの大半が寄付になったっけ。でも、この作品は、そういうものだろうと思っています。みんな、お手伝いしてくれたら、嬉しいです。
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戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
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  1. 2014/11/28(金) 22:11:46|
  2. 随筆・あっそう!里見発見伝
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【連載余話】難しい漢字と名前と

今回の【連載余話】に、ちょろちょろとお声をもらいます。
ありがたいことです。
コメントに書いて頂けないのが、ちょっと悲しいのですが、そっと耳打ちしてもらえるだけでも、一応読んでもらえているんだなぁって……駄文ですみませんね

さて、連載本編の題材として、義頼・義康・忠義三代を取り上げた理由を、よく聞かれます。
簡単です。
信長・秀吉・家康の時代に合わせたのです。
八犬伝こそ有名な里見も、正史では世間的に無名。
地方で小さく活躍する部分を強調するよりは、歴史好きの基準になっている天下人を軸にした方が理解してもらい易いと考えたのです。無論、地方の土台部分は大事です。それをなくしてしまったら、里見のいいところが無くなってしまいます。でも、どうやったら、少しずつ理解して頂けるか。苦肉の策だったのです。
前回も書きましたが、信長の登場はリップサービスであると同時に
「ああ、この時代か」
という補正の意味もありました。
作中ではこれから、中央からの干渉が加わりますが、それも時代を認識してもらうための補正手段。
秀吉が〈羽柴〉の間はいい顔をして里見に近付いてくるし、〈豊臣〉になると生殺与奪の厳しさを増す。
こういう時代なのかという物差しとして、天下人たちの時代をチョイスして作品にしたのです。

久留里の方々は
「もっと義堯を取り上げて!」
という声を寄せてくださいます。残念ながら義堯は本編冒頭で里見の棟梁である義頼からみて先々代の里見当主。登場は出来ません。代わりに、その頃の威徳をクローズアップするため、日我が登場したり、久留里城も登場します。
小説ではなく、これがドラマだったりしたら、物事のイメージなどで義堯を用いることが可能でしょうが、散文ではなかなかサービスできません。
大河ドラマで取り上げられたなら、1シーン出演で、義堯を出せます。
夢酔、高倉健さんに演じて欲しかった……恐らく大河に出たことのない大物俳優ですよね。好きな俳優だったのに……また昭和が終わっちゃった。あらためましてご冥福をお祈り申し上げます。
久留里の皆さん、これから城は登場しますので、ご勘弁下さい。

夢酔作品の難点は、漢字です。
とにかく漢字が多いという御指摘が多いので、苦慮してございます。連載作品ではルビを振ると御高齢の方が読み辛いと思い、( )書きで対処しています。ところが、これにも弊害があるのです。
例えば……数日後に、こんな台詞が登場します。
「神戸侍従(織田信孝)殿は弾正様の御三男、賤ヶ岳で柴田修理に附いた咎で自害されました。その母と妻子も関白により処断されましたが、幼い娘だけ残されています」第四話 館山改築(17)
これのルビ対処が、こうなります。
「神戸侍従(かんべじじゅう)(織田信孝)殿は~」
わかり難い。
漢字が多すぎるから悪い、もっと柔らかくしろという御声を頂きます。でも、漢字って、読めずともそれだけで意味を持つ象形であることがあります。文のバランスや、視覚効果を生むときもあるんです。他の歴史小説を描く先生方はそのあたりの表現方法を上手に処理されておりますが、夢酔はまだまだ未熟ということです。
でも、漢字って、難しいですよね。
いまの例で、お気付きでしょう?神戸を〈かんべ〉と読みます。一般的には〈こうべ〉といきたいところです。
日本語の、殊に漢字の奥深いところです。同じ漢字で異なる読み方。外国からいらした方が
「日本語わかりませ~ん
といいたくなる訳です。
いきなりネタにされてしまって、あとで怒られそうですけど、挿絵をお願いしている山鹿先生からも、御指摘を頂戴したことがございます。
「ねえ、龍子の父親の名前が正木時茂とあって、あとの回で正木宗家になっていたわよ。間違っていないかしら。〈ときしげ〉なの、〈むねいえ〉なの?」
「えっ、ああ、これ、正木宗家(そうけ)です。宗家分家の、宗家」
「ああ、そうか」
同じ漢字で、読み方も意味も変わってしまう。ああ、恐ろしき日本語の罠。そうか、ルビがないとそう読めるかと、反省したところでいかんともし難し。山鹿先生、ネタにしちゃって御免なさい。

とまれ夢酔の今回の作品。
「あいつは物を知らない。俺の方がよく知っている。勉強不足だ、教えてやる」
風な電話も多いことと拝察します。房州日日新聞社にはご迷惑をお掛けしていることと、ただただ恐縮しまくりです。
きっと、申される方は、本当にその事蹟をよく識っているのでしょう。夢酔の浅学が足下にも及ばないことは承知しております。しかし物書きは須く学識者ではございません。そのことだけの論文を記しているのではなく、あらゆる個々のエピソードを創作という接着剤でつないで一条の物語へと折り込むことを目的としてございます。そのときの触りが後々の伏線になることを意図することもございます。
どうか
「たかが三文小説よ」
と笑っていただけると幸いです。でも、御指摘されるということは、きっとよく読んで下されている証拠ですよね?夢酔は持ち前の図々しさを発揮して、いいように解釈しようと努めております。御容赦下さい。

話を変えます。
里見のこと以外ですが、申し上げます。

11月22日(土)夜、緊急地震速報で驚きました。
東京は無関係でしたが、長野県北アルプス方面が大変なことになっておりました。年の瀬も迫る御時世で、避難を強いられる方も多いと思われます。御見舞申し上げます。
夢酔、5年くらい前に日本赤十字の看護婦を主人公とした小説を書いておりました。丁度、前回の里見氏作品「春の國」と同時期連載していたのです。そのとき、日赤長野支部にも取材に伺いました。雪の中でしたが、職員の方から親切に対応を頂いたことを覚えております。そのときは、山古志村の被災活動が大変だったお話しを伺った気がします。
今回は、それ以来のことかも知れません。
今年は既に御嶽山の噴火もあり、長野県は多難なことが多すぎました。
何かお役に立てることが、あるかも知れない。そう思っています。
そのときの取材をもとにした作品は、現在重版になっております。有難いことです。「夏の波濤」同様、全国を取材しましたが、唯一、国内の取材が出来なかった場所がありました。そこは三陸地方でした。その後、東日本大震災で大きな被害を被った場所です。あのとき取材をしなかったがため、当時までに残されていた何かが損なわれてしまったとしたら……後悔が残りました。
今年、「夏の波濤」の肉付けのために、鳥取や高野山にまで足を伸ばしたのは、そのときの後悔があったからです。
チャンスはそのときだけ。
一期を生かさぬと、後悔しか残らない。自戒で学んだことでした。
機会がございましたら、一度手に取ってください。里見とは全く違うタッチで描く、作者初の近代小説です。
seijyoP.jpg 聖女の道標ご注文はこちらへ
当時のあとがきには、こう書いてありました。141124_143215.jpg
おかげさまで、次回作を皆さまにお届けできる幸せを深く噛み締めております。



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blogの手際が下手な夢酔。書き始めが朝の6時だったのに、用件が横から十字砲火で、気がついたらもう15時前になってしまいました。上手なブロガーさんに肖りたいです。







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  1. 2014/11/24(月) 14:39:56|
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【連載余話】天正10年私論

9月から連載のはじまった「夏の波濤」。
おかげさまを持ちまして、いよいよ里見義頼編の後半に差し掛かります。
ひとまず、ここまで温かく見守り下さる読者ひとり一人に御礼申し上げます。
IMG (5)
この社告から、早いもので2ヶ月強が過ぎました。

こないだ、館山市文化財保護協会主催の高野山バスツアーをした際に気を遣って頂き、ちょこっとだけ、余興の制作秘話っぽい噺を車中で披露しました。大した話ではなかったのですが、日頃より愛読されている方々の御前でうんちく垂れるのは、かなり気恥ずかしく思いました。
でも、こういう執筆上のポイントって、どっかで披露することも悪くはないんです。あとから、ああ夢酔はこれが狙いなのかと種明かし出来ますし、誤解を弁解できますしね。
一応、スタートから間が空いたので、blog上でも同様の解釈を披露させて貰います。
私論も交えますので、読まれている方とは解釈の食い違いもあると思いますが、その点についてはご了承ください。あと、意見交換は色々と後の展開をブレさせるので、御容赦願います。現時点で、もう物語の全体像はほぼ固めていますので、こうしろとか検討を要求するとか依頼されても、厳しいです。
せめて「こういう説もあるんだよ」という御提案に留めて頂ければ幸いです。
すみません。
新聞連載とは、小出しに出来ない事情があるんです。

さて。
今回の作品は、日本史上もっとも狂騒な一年と云っても過言ではない、天正10年よりスタートしています。
この年は、木曾家離反からはじまる一連の「織田信長による甲州征伐」で幕を開けます。戦国屈指の精強な武田家との長期戦を、このとき信長は覚悟していたのでしょうね。数年を擁してでも武田勝頼を討つという信長の目論見は、僅か3ヶ月で武田家滅亡という意外な幕切れで終わります。
このとき方面軍の編制により、武田の他にも織田の武威に圧される諸大名が全国にいました。上杉、毛利、長宗我部……これらに引けを取らぬ武田の呆気ない陥落は、東国への視野を信長に与えたことでしょう。このとき信長へ臣従を申し出た東国武士は多かったと思います。
資料上、里見氏のそれは明瞭に確認できません。
しかし、佐竹義重と早くから通じていた里見義頼は、対北条を視野に入れた中央とのパイプ作りを構想していたのではないでしょうか。本作は、そういう仮説のなかで、天正10年2月の時代背景から作品をスタートさせています。史実上の北条氏政は縁戚である武田勝頼を見限り信長に進物しています。対武田戦のため、多少の傲慢や勘違いがあっても、当時の信長は東国武士に寛容でした。寛容を装って、生殺与奪の意志を秘めた高所からの査定をしていたのでしょう。武田家滅亡後、信長は決して北条氏を厚遇していない気が……恐らくは利用価値の急変でしょうね。
小説の展開で、里見父子は法華宗小泉久遠寺の宗門パイプを通じて穴山梅雪に渡りを付け、甲斐撤退途中の江尻で信長と謁見する場面があります。勿論、これは、そうあって欲しいという願望も籠めた、歴史のifであり創作です。
里見と織田の縁が結んだ矢先。
天正10年6月2日、本能寺の変。作品ではその場面を描かず、事実だけを記載するのみに留めています。里見の視点から見れば、このことは外交上の問題であるものの、直接の利害に関わらない遠国の出来事に過ぎません。ゆえに淡泊に扱いました。
このことについて、バスツアーで質問を頂きました。
「惟任日向守って誰ですか?明智光秀が信長を襲ったというのは、嘘だったんですか?」
本作中、夢酔は『信長公記』の記述に倣い、天正10年の場面として彼の呼称を惟任日向守光秀としておりました。質問された読者は明智光秀が惟任日向守と知らなかったのです。小さいこだわりですが、歴史フェチではない一般の読者にとっては、誤解を与えてしまったことを悟り、反省した次第です。
天正10年の上半期が信長イヤーだとしたら、下半期は秀吉イヤーになるのでしょうか。
まず秀吉は中国大返しを経て山崎にて光秀を討ち、一気に織田惟幕の重きポジションを獲得します。清洲会議に大徳寺法要、秀吉の動きはポスト信長というべきもので、来るべき織田家臣の血で血を洗うサバイバルレースの前哨戦です。この流れに徳川家康は割り込むことなく、武田旧領獲得をめざしました。
里見家も、この歴史の流れには直接関与することはありませんでした。

天正10年、そして織田信長。

たったひとつの「本能寺の変」が、日本の歴史を左右した。直接関わりのない関東さえ、大きく揺さぶった。このことがあり、やがて北条氏は徳川家康と縁戚になります。反北条勢力は、対抗馬である羽柴秀吉と結びます。この構図が、小田原征伐までの関東の抵抗勢力図を彩っていきます。
里見家は無論、秀吉と誼を深めていくのです。

私論として、武田マニアの夢酔にとっては、あらゆる角度から甲州征伐を観察できるのが天正10年です。
勝頼が瓦解していく様は、常識では計れない不思議です。
個々の独立性が強い甲州人気質ゆえの天魔だったのでしょうか。早計な結論は出来ませんが、武田研究は平成以降大きく進歩しています。30年近く以前まで世論だった「勝頼無能説」も最近では見直されています。
里見家もこの20年で研究が進歩しました。
八犬伝しかしらなかった諸兄が、「夏の波濤」の本能寺までの下りを読んだら、きっと
「薬師丸ひろ子出てこないじゃん」
風な戸惑いを覚えるでしょうね。

DSCF2582.jpg
       2014年9月15日大房岬より岡本湾を望む。
       里見義頼統治の頃、ここは軍港としても最良の立地だったのだろう。


天正10年とまでは云いませんが、平成26年も激動ですよ。
 2014年の里見関連取材とか安房訪問等々実績
    2014.2.1-2 鴨川~千倉滞在
    2014.2.16春の國原画展ライブ(南房総市ギャラリーsfk)
    2014.3.8取材(館山城・小野忠明公園 外)
    2014.3.9里見正史コンサート(南房総市光厳寺:富浦地区生涯学習推進員企画)
    2014.6.7里見戦国国府台合戦450年供養祭(市川市国府台)
    2014.7.19取材(妙本寺・長安寺・平群天神社)
    2014.9.6-7鳥取県倉吉市(委細は9月時のblog参照
    2014.9.13-15大房岬~館山城
    2014.10.5里見450年供養(市原市宝林寺)
    2014.10.18里見400年供養(館山城)・南総里見まつり(館山市)
    2014.10.19岡本城と里見氏ハイキング
                 (聖山~岡本城趾・長泉寺・光厳寺・興禅寺
                 :富浦地区生涯学習推進員企画)
    2014.10.30-11.2高野山外(委細は10-11月時のblog参照
    2014.11.3館山~南房総(慈恩院・妙音院・総持院・鷹ノ島弁財天・館山城)

今年の当初。
数年来、「夏の波濤」は調査や取材やアドバイスや校正肉付作業を重ねて、形式的にはやや完成していました。ただ発表の場がなかったのですね。挿絵の山鹿先生とは、2月の「春の國原画展ライブ」のときに、また一緒に出来たらと云う意思確認が出来たので、実は……というお話しをしたんです。あの日は、二度目の都内豪雪の翌日で、南房総市まで7時間かけて行きました。それで、3月の「里見正史コンサート」のときに、房日新聞に持込をしたんです。
本当に、めまぐるしさでは、夢酔の中の天正10年。
連載が始まってからは、実働的には山鹿先生の激務になってしまいましたがスミマセン
いい作品にするためには、まだまだ足を運びたい場所がいっぱいあります。
里見氏が安房を離れたことにより、その足跡が霞んでしまいました。皮肉にも山陰にはまだまだ眠っている気がします。研究者の正論も大切ですが、個々の成果を結びつけるものは創作という接着剤。いつも夢酔は接着剤をこねくり廻して、新しい成果が出たらピンポイント差替や、その後のことを視野に入れた加筆もしなければなと思っています。
えっ?暇だなって?
いやいや、貧乏暇なしなんですよ

いろいろ歩き回って、大勢の人に出会えたことで、2014年は心が豊かになった気がします。
DSCF2112.jpg
                                                            はやぶさ衆と御入魂になれたことは嬉しかったですねmixiだけの知り合いから膨らみました

天正10年から平成26年にすり替わっちゃった。
駄目だな……エッセイ下手だぞ、夢酔。




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盛り上がりの、ご開帳です。




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  1. 2014/11/16(日) 20:41:28|
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アフター高野山2014in安房

とりあえず、これで高野山関連の報告が終わりましたね。141031_112111.jpg
よかった、よかった。
復習がまだの方は、
             ここをクリックして頂戴。
     第1回 http://musuitouzan.blog.fc2.com/blog-entry-150.html
     第2回 http://musuitouzan.blog.fc2.com/blog-entry-151.html
     第3回 http://musuitouzan.blog.fc2.com/blog-entry-152.html
     第4回 http://musuitouzan.blog.fc2.com/blog-entry-153.html
     アフター http://musuitouzan.blog.fc2.com/blog-entry-155.html
復習が済んだところで、後日譚、いってみよう。

館山一泊のあとは、とりあえず早起きして慈恩院へ行く。
慈恩院は10月18日の供養祭で導師をお務めくだされた仏閣、里見義康の墓所がございます。DSCF2898.jpg
いま連載中の「夏の波濤」では、まだ12歳の義康が活躍中。今後とも先行きを温かく御見守りください。
その足で、隣の妙音院へ。DSCF2901.jpg
福岡住職は高野山でお世話になりました。
あれから僅か2日ぶり、犬の散歩へお出でになられる御住職に御礼を申すことが適いました。夢酔、存外義理堅いぞ。

里見時代の館山発展を支えた湊近辺には、寺社仏閣もたくさん残されています。
ここ総持院もそのひとつ。DSCF2905.jpgDSCF2911.jpg
境内正面に、館山城が映えるのです。

かつての里見の湊のひとつ鷹ノ島。
現在は埋め立てられて地続き、海上自衛隊の基地があります。
平安時代から鎮座する鷹ノ島弁財天。里見時代も港湾の歴史を見守り続けたことでしょう。DSCF2912.jpg
ここからも、館山城を見上げることが出来ます。

現在の館山発展の基は、里見義康の時代から始まったといっても過言ではありません。

渚の駅たてやまから、鷹ノ島を中心に、鏡ヶ浦をパノラマ撮影DSCF2914.jpg
全景は写真をクリックして頂戴。

なんだかんだで9時少し前。
館山市立博物館へ、高野山土産を持参。あいにく岡田先生は不在でしたので、お土産だけ渡しました。141102_085031.jpg
現在の企画展です。北条氏のことじゃありませんので、誤解なきよう。


このあと、「夏の波濤」挿絵を描いてくださっている山鹿先生のところへお土産持参&お土産噺に立ち寄りました。
写真整理してお渡しするつもりですが、なかなか整理出来ていないのが、辛い。

夢酔、このあと帰宅せずに、次回作準備のため、山梨県大月市へ赴きました。

こうして、あっという間の高野山紀行が終わり、です。
なんか、もう一回行きたくなりました。
やはり高野山は、いいな。

来年は開設1200年。
皆さんも、ぜひ、高野山へ行ってみませんか?
DSCF2813.jpg
141031_111629.jpg



旅ボケも、そろそろ抜けてきて、やっと日常に復帰。
クライマックスの場面は三度目の校正も終わりました。
でも、連載ははじまったばかり、里見の歴史に触れる秋を、ご堪能ください~



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2014年、里見メモリアルイヤー。
盛り上がりの、ご開帳です。




戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
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  1. 2014/11/13(木) 22:56:29|
  2. 随筆・あっそう!里見発見伝
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アフター高野山2014in京都

牛歩な記載ですみません

館山市文化財保護協会主催の旅は、高野山のあとは京都に向かいました。
今回のお題は、「高野に眠る里見氏供養と大僧正金剛宥性の足跡を訪ねる」というものです。金剛宥性は里見氏とは直接関係はありませんが、房州長狭郡大山村出身ということで、足跡を辿る意味はあるという訳です。
夢酔は真言宗のことが詳しくないので、皆さまの流れに身を任せながら、京における里見の痕跡を感じ取る足掻きに徹します

まずは、高野山編を復習してから、ゆるゆると行こう!141031_130224.jpg
高野山2014
クリックしてね

いまとなっては地名だけが残っている巨椋池。DSC00073.jpg
秀吉が伏見城を築いた頃は湊があったと伝えられます。里見氏の屋敷も、宇治川へと通ずる伏見城の堀に面した箇所に設けられていたそうです。
今宵は智積院会館で一泊。
ところで夢酔、京都にきたら必ず寄る場所があります。DSCF2827.jpg                        ラベルをみて察しちゃう人は、京都人ですね。
門限までゆるりとして、慌ててタクシーで帰りました。
翌日は5時30分から朝のお務め。宿坊ならではの醍醐味です。DSCF2841.jpg
DSCF2850.jpg
智積院の庭園は、細長い池の北端からの景色は池と滝と築山とが一体となる池泉回遊式庭園です。利休好みともいわれる400年前からの景色だ。

そもそも智積院の歴史は複雑で、紀州にあった大伝法院と、早世した豊臣秀吉の愛児・鶴松のために建てた祥雲寺という2つの寺が関係しているらしい。
真言宗智山派 総本山智積院あらためまして御紹介
ここには、長谷川等伯の絵がある。今回、見せて貰いましたが、凄い。本物の迫力は、言葉で表現できません。特に、“夜桜”!国宝の威厳に、圧倒です。
               これはレプリカ
                    DSCF2851.jpg

お食事を頂いたのちに出発。
六波羅蜜寺を拝観です。こんなに立派な宝物殿になって……阪神大震災過ぎにきたときは、普通の宝物館だったけど、空調管理にセキュリティ。これが、時代か!
このあとは醍醐寺三宝院
有名な庭園は撮影禁止です。
今回、霊宝館を拝観できました。常設以外の文書がありましたが、秀吉時代の阪神大震災ともいうべき被災の記録がありました。慶長伏見大震災とでもいうのでしょうか。実は、この場面は、のちのち房州日日新聞連載作品「夏の波濤」にも登場します。それだけに感慨無量。感激であります。

お昼は近江石山寺門前の小松屋さん。DSCF2882.jpg
美味しいご飯を頂いた後は、一路、安房国へ帰還。


今回の実りある研修旅行に同席させていただいたことを、心より感謝申し上げます。
館山市文化財保護協会および房総里見会。そして参加されました皆さまひとり一人に、厚く御礼申し上げます。


館山到着がだいたい21時頃。
夢酔、帰る気力がないので、いつもの駅前で一泊です。
高野山のお土産をもって汐舟でちょこっとして、バタンキュー

〆のラーメンはお約束です。DSCF2894.jpg








翌日、少し散策しましたので、これも報告しますね。




あ゛っ
精進料理三昧だったのに、太った








追伸
今日(blogのUP日)に知りました。
雑誌「歴史人」のweb版でこんな企画しています。
歴史人公認ブログ隊募集中! http://www.rekishijin.jp/rekishijin-offcial-blog/  
ワシは連載と自分のblogで手一杯だ。
誰か、里見の伝道師となって世に布教してください。about_rekishijin.jpg









2014年、里見メモリアルイヤー。
盛り上がりの、ご開帳です。




戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
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  1. 2014/11/11(火) 21:39:09|
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高野山2014⑤

予習アドレス
 第1回 http://musuitouzan.blog.fc2.com/blog-entry-150.html
 第2回 http://musuitouzan.blog.fc2.com/blog-entry-151.html
 第3回 http://musuitouzan.blog.fc2.com/blog-entry-152.html
 第4回 http://musuitouzan.blog.fc2.com/blog-entry-153.html

それでは、高野山総括。御覧ください。

全国里見一族交流会により、里見忠義・妻・娘の位牌が新調されたことは、まことに奇縁なる400年目の節目といえる。
なまじ有名な、それこそ大家を保ち余人近寄り難い大名ならば、夢酔ごときにこのような共有する瞬間すら許されまい。また、昨今の歴史ブームに偏ったファンにより、怪しげな聖地とされることもある。大大名では、そういう危惧すらあるのだ。
幸か不幸か、里見氏は江戸期以降の家格を高く保つこともなかった。
夢酔にしてみれば、そういう里見家だからこその、節目の年に巡り巡った幸運といいたい。節目の年に、素材として世に送り出すことの適うこともまた、幸運である。これをもし、一言で“縁”と申すなら、とても言葉では云い表せない巨大な渦のなかに、いま、夢酔は立ち尽くしている。そんな心境である。
1.png

光明院を慌ただしく辞して、本来ならば敬虔に徒歩を踏み締めるところを省略して、いざ、奥の院へ。
10月31日、位牌に次ぐもうひとつの、大きな節目です。

DSC00046.jpg
DSC00047.jpg
DSC00048.jpg
ここから御廟橋を渡ると、弘法大師空海がいまも瞑想を続けていると伝えられる奥の院。撮影も、大声も、厳禁の聖地です。
ここまでの車両での立ち入りは一般的に出来ませんので、今回は特別、でございます。
御廟橋を左手にして、正面に建つのが御供所。
高野山の聖地にいま立っております。
その真後ろには、たくさんの歴史上の有名人物の供養塔が建ち並んでいます。ほれIMG_.jpg
御供所よりすぐのところにあるのが、あの織田信長の供養塔です。DSCF2802.jpg
では、里見家の供養塔は、どこにあるのでしょうか。
実は、超一等地なのです。IMG_20141109_0001.jpg
畏れ多くも歴代天皇陵を見下ろし、空海に近く、信長よりも高いところ。
そこが、里見氏供養塔のあるところです。
IMG (2)          全体像は画像クリックしてね。

光明院加藤住職と館山妙音院福岡住職を導師に迎え、供養祭が行われました。141031_091750.jpgDSC00049.jpg
これまで誰の供養塔か分からなかった。
今回、後世へ伝えるために、表示を埋石しました。

除幕を行うのは、全国里見一族交流会会長・里見香華氏。前千葉県知事でNHK大河ドラマ化実行委員会顧問・堂本暁子氏。そして今回のことで一から奔走された全国里見一族交流会事務局長・田中直司氏です。DSC00051.jpgDSCF2806.jpg

多少の小雨でしたが、無事に供養祭が終わりました。

それにしても、立派な供養塔でしょう?
堂本さんと比較しても、かなり大きい。
千野原靖方氏の文献から引用すると、高さ二メートル余とあります。
向かって右から「里見忠義」「忠義娘」「忠義正室」。これは亡くなった順なのです。9.png
この供養塔、むかしは倒れていたそうです。昭和51年頃、君塚文雄先生が高野山で調査し、確認したそうです。と、これは千葉県文化財保護協会理事長・早川庄司氏の受け売りです。

里見忠義三十三回忌に建てられた供養塔。
施主は、弟である大久保忠職(当時・肥前唐津藩主)のもとへ身を寄せていた里見忠義正室。文献上はこのとき「東丸様」と称されていました。このときの高野山は女人禁制。この供養塔が出来、供養を催す際、この正室はどこにいたのだろう。たぶん、高野山には赴いたのだろうが、九度山に留まったものか、どこにいたものか、よく分かりません。
こういうところは、小説の場合、リップサービスの意を籠めて、いろいろ想像しなくてはいけないのだろうな……

歴史的な現場を共有できましたことを、各関係者の皆さまに、心から御礼申し上げます。IMG_20141106_0003.jpg           写真提供:山杉博子氏

こののち、高野山金剛峯寺を観光させていただきました。DSCF2814.jpg

お昼の後は、京都へ向かいます。


高野山の麓では、こういう企画があることを知りました。DSC00071.jpg
真田幸村モノは、こういう集客性のあるイベントが全国的に多いですね。
里見の御当地も、ぜひ参考にされたら如何でしょう出来ることは、試みるべきと、つい余計なことを考える次第です。

高野山の報告は、ざっくりですが、以上です。
得た情報は、今後、作品に盛り込みます。
なお、紀行はこのあと京都編に続きますが、ここでも得るものはありましたよ。













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高野山2014④

高野山の朝5時は、決して早くない。
あちらこちらの塔頭では、読経の声が響いている。今回お世話になった光明院も、6時30分から朝のお務め。それまでに界隈を散策するため、出発!DSCF2742.jpg
DSCF2745.jpg
高野山に稲荷社があって、ビックリ。お山が一己のお寺と聞いていたので、不思議な気分

苅萱堂では早くもお務めの最中。ここの逸話を知りたい方は石童丸物語
DSCF2744.jpg

里見家の文書でしばしば登場するのが、ここ西門院です。400年前のよすがは残されていないのだろうな。
DSCF2748.jpg

と、まあ、これ以上写真は載せませんが、朝からの徘徊に熱中しているうちに、すっかり世界は明るくなっておりました。
DSCF2760.jpg
DSCF2762.jpg
いそげ、お務めの時間に……DSCF2766.jpg
遅れてしまいました

真言の宗門の経は、高尾山薬王院で幾度となく目にしている。違うのは山伏がいないくらいだろう。
揺らめく蝋燭の灯りが金色の法具に照らされ、仄暗いなかに光明を放つ。焚き籠める香が堂内に漂い、天井に輝く小さな天蓋が個々の光を放って、さながら一己の宇宙を彷彿させる。
響く読経は、言葉の波。凪ぐ波でもあり、静かなさざ波でもあるが、敬虔な信徒の心には大きな波となって押し寄せているのだろう。今回のお務めに外国人宿泊客の姿もあり、彼らの瞳には、日本古来の宗教観に彩られるこの仕来りが如何様に映っているものか、実に興味深い。
蝋燭に照る法具と、それで支配される光と闇の空間。法具が金色ならではの光の加減なのだろう。これが銀ならば、こうも心に幻想を抱かせまい。金だからこそ、なのである。此のことを成金だ蓄財だと、心ないことを思う輩も少なくはない。が、この光の調度は安いメッキでは表現されまい。この不思議な世界観は、本物を目の当たりにした者にしか、納得できないことなのである。
経文が唱えられている間、まさしく本堂のなかは宇宙なのである。宗派は問わない、これが、日本古来の仏教の重さというものなのだろう。
それを識るためには、軽々な言葉は不用。百聞は一見にしかず、なのである。
日本の歴史上において、時の為政者たちは、その支配の合理性とは裏腹に、表現のできない心理的な救済を覚えてきた。それを支えたのが、開山1199年の、ここ高野山。真言密教なのだ。
残念なことに、一介の食客が垣間見ているこの世界は、膨大なる真言の宇宙の入口にも満たない“おつとめ”に過ぎないのである。それでも、この宇宙は、実に心地よいことだけは理解できる。
ああ、日本人に生まれて、よかった。
DSCF2768.jpg


ありがたい朝食をいただいたらDSCF2771.jpg

いざ、この旅のメインイベントのひとつへ!


DSCF2783.jpg
須弥壇に置かれているものが分かりますか?
DSCF2776.jpg
真新しいご位牌です。

雲晴院殿心叟賢涼御大居士
これが、里見忠義の戒名です。
向かって右側が正室、左が娘のものです。
1.png
里見氏改易400年という2014年に、全国里見一族交流会によって、ここ高野山に新しい位牌を納めることができました。
今年、この事業を為すことで、後の世に受け継ぐ足跡を残せたものと思われます。
その現場に立ち会うことが出来た幸運を、夢酔は噛み締めております。
作家冥利に尽きますね。
この位牌写真はA4に引き延ばしたものを、帰宅後、滝川恒昭先生・岡田晃司先生へ資料提供として送らせて頂きました。

でも、なぜ、高野山に?
皆さんの疑問は、当然です。
実は、高野山奥の院には、里見忠義三十三回忌供養にあたり五輪塔が設置されていたのです。そして準じ、この三人の位牌に該当する五輪塔が建立されたのです。位牌は、五輪塔のある、ここ高野山へ新たに納められたということなのです。

その五輪塔へは、次回の記述でご案内します。

そうそう。
前回書き損じましたが、今回のことのため、高野山に属する館山市の妙音院から福岡御住職が参じております。
はるばるこのことのために、お越し下さったのです。
里見氏が高野山に残した歴史は、知られていないだけで、実は現実のものとして受け止められております。



ひとつ御紹介。

豊臣秀吉の大陸出兵。
このとき、時の当主・里見義康は高野山に借金を申し入れた記録が残されています。

    借用申候黄金之事
   合而壱枚但其方秤也
  右、請取申所実正也、此返弁来秋俵子を以、妙音院ヘ如相渡申
   候、皆済可申候者也、仍如件、
       壬辰
        卯月十三日
             西門院ヘ

  
これは文禄元年4月13日付にて、里見義康が高野山から黄金一枚借財し妙音院に 米俵で返済する、という証文です。

秀吉の海外派兵が、地方大名の台所事情を悩ませていたことが、ここから察することが出来ます。今も昔も、中央集権のトップは地方の都合などお構いなし、というところでしょうかね。


つづきを、お楽しみに











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高野山2014③

1週間経っちゃったけど、報告しましゅ!
夜中に館山に行ったあと、とりあえずバスのなかで半分睡眠半分愛想笑いという、薄気味悪い状態で、今回参加者の皆さんにお世話になった次第。ただ、少し悲しかったのは、平日は東名高速集中工事であるため、ほんの4~5時間前に通過した中央自動車道で西に向かったということ。
八王子ICを尻目に、ああ、何もかもみな懐かしいと呟く。
談合坂SAに降り立つと、もう頭の中が眠気で真っ白です。
と、いうわけで、バスは、だいたいこんなルートで高野山を目指す。無][題
途中のSAやPAでも、特にすることがございませんIMG_20141106_0001.jpg

ようやく高野山の麓に着いたのは、夕方のこと。
清流で知られる紀ノ川の向こうに、その山系が姿を現しました。DSC00030.jpg
坂を登り始めると、静かに夜の帷が訪れます。日が縮んだから、尚更ですね。
さあ、高野山だよDSC00034.jpg
DSC00036.jpg
今回は寒いと聞いておりましたが、雲が厚いせいでしょうか、あまり寒さを感じません。DSC00037.jpg                  とりあえずコタツで一息ついたら、風呂へ行く。高野山光明院、大きな、深い、ステンレスのお風呂です。お湯に戯れる皆さんを写真で御紹介できないのが、残念です

お風呂から上がったら、丁度堂本前千葉県知事がご到着。
加藤御住職と房総里見会の面々が懇談してたので、夢酔も御住職にご挨拶させて頂きました。

大きな広間で夕食。
もちろん、精進料理です141030_211935.jpgDSC00039.jpgDSC00043.jpgIMG_20141103_0001.jpgもちろん、宿坊には般若湯もあります!
食事をしながら、自己紹介タイムがありましたが、その間にメールが……。
そう、夢酔は里見にかかりきりになりつつも、もう次の仕事の準備にとりかかっているのです。ぜひ大月に~メールの誘いに、いま高野山と返信。いやはや、忙しいことは有難いことです。仕事を頂けるだけで、ただ感謝。

寝不足で脳死状態です。
宿坊では朝のお務めがございますゆえ、その前に早朝散歩を志つつ、今宵は床に就かせて頂きます。
141030_201447.jpg















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  1. 2014/11/07(金) 23:15:22|
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高野山2014②

ごめん、まだ、まとめが出来てない

とりあえず、これでお茶にごそう。
なるべく早く更新するから、済まん。141031_111629.jpg

高野山は来年、開設1200年を迎えるそうだよ。
歴史を感じますね……。
とにかく、もう少し、待ってくださいませ~
  1. 2014/11/06(木) 06:39:25|
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高野山2014

ただいまです。今日、帰ってきました。

今回の高野山~京都の流れは、館山市文化財保護協会の主催(共催:房総里見会)で行われました。
ちなみにお題は、「高野に眠る里見氏供養と大僧正金剛宥性の足跡を訪ねる」というものです。
この日程は、10月30日~11月1日なので、厳密にいえば、昨日終わっています。しかし夢酔は館山でバスを降りてから、その足で帰る元気が残されていませんでしたので、駅前のビジネスホテルのお世話になりました。

今回の旅は、里見氏の節目たる2014年に相応しい、歴史的にも重大な出来事だったと思います。

とりあえず自宅に帰ってきて、寝る前につぶやくことなので、メインディッシュは後日ということで勘弁してください。
疲労がピークに達しております。

思い起こせば、10月30日午前1時過ぎ。
夢酔は5時発のツアーバスに乗るため、自宅を出ました。眠いですが、バスに乗るためなら、エンヤコーラ。
DSCF2739.jpg
なんということでしょう。午前3時前の海ほたるからは、スカイツリーが見えてしまうのです。

かくして館山市役所4号館より、5時にバスは発車しました。
とりあえず夢酔の意識は半分失われておりました。
このあたりはblogで笑いを求めるのも切ないので、省略しておきます。

んじゃ、次回から本腰入れて報告を書きますので、待っててください。

とりあえず、寝かせてください……
  1. 2014/11/02(日) 23:38:49|
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