散文小径

小説家です。時代小説を執筆しています。皆さまのご声援に支えられて描いております。よろしくお願いします。

歴史研究第645号

歴史研究という雑誌を御存知ですか。
すごい老舗なんですが、会員制なのであまり店頭で見る機会が少ないかも知れません。
もともとは老舗雑誌「歴史読本」と対をなす存在だったようです。夢酔はむかしの歴史読本が好きで、蔵書にも古いのがゴロゴロしてます。ええ、新人物往来社・刊のものでしょうか。いま、小山田家の四方山を再考するため、バックナンバーを紐解いています。そのなかの第239号、昭和50年6月号を見てるのですが、偶然、特集テーマ第1回募集広告を見つけました。いまは回数のカウントをしていないようですが、何回目なんだろう。

昨年より里見香華氏の紹介により、会員の末席に寄せて頂きましたが、暇をみては研究者とは異なる作家目線で、寄稿を送らせて頂いております。特集記事は勿論、どうでもよさそうなネタも挙げ連ねております。研究者なら絶対に顧みないような小ネタで挑むのが作家目線だろうなと、強いて意識はしているところです。
幸いなことに取り上げて頂く機会もあり、編集部には常々と厄介な校正原稿でご迷惑をお掛けしているものと反省してございます。

最新号は第645号です。rekiken645.jpg                                                        今回、夢酔の紹介記事を載せて頂きました。
「わが著書を語る」などという、見分不相応で尊大なことなのですが、編集部のご好意に甘えるような形で書籍紹介をしております。
「ああ、読んだよ。相変わらず奇妙だね」
と笑われそうですが、どうぞどうぞ、いっぱい笑ってくださいませ

ここへ寄稿される方々は、著名人から在野に至るまで、真摯に歴史を研究されているんです。研究者の論文のなかに、ちょっと毛色の違う奇天烈な散文が紛れ込んでいるなと、そんな感覚で軽~く読み流して頂けましたら幸いです。夢酔は研究者じゃないですから、気分と興味でブワァッと書いてしまう異端児です。腹が減れば食い物の歴ネタに奔るくらいですから。でも、研究者にはない観点を楽しんで頂けたら、とても嬉しい限りです。

世に数多ある歴史関連雑誌に飽食感を覚えたら、
歴史研究でちょっと視点を変えてみることをオススメします。



歴史研究を本屋さんで見つけられない方は、
インターネットから情報を得ることが出来ます。
のサイドバーにあるリンクのなかに「•歴史研究会」というものがある筈です。そう、新選組のふるさと博物館の下あたりです。興味がありましたら、ぜひご参加下さい。













戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
 皆さまの温かいご声援をお願いします。


公式HPはこちら里見氏大河ドラマ化実行委員会

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 活動の趣旨に御賛同いただけましたら、是非、こちらの署名用紙をプリントアウトのうえ、支援の程よろしくお願いします!


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  1. 2016/10/01(土) 08:45:51|
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お出でませ、南房総市

あと2日です。
何を話したらいいのか、全く考えておりませんが、明日は朝一番の東京湾フェリーに乗船しようと思います。

IMG_20160206_0001.jpg
IMG_20160206_0002.jpg
語呂合わせで遊ぶと、こういうことになるわけで、3月13日サ・ト・ミの日とさせて頂きました。
来年は観光や経済やイベントや色んなものがこれを謳って、たくさんアピールしてくれたらいいですね。


静か~に原画を楽しめるのは、明日と最終日。
13日に興味がない方も、ぜひ、美しい挿絵世界を堪能して欲しいと思う。



南房総で待ってます……!



いや、行けないよ南房総まで~という方のために、もうひとつの情報提供します。
  「郡内小山田氏の会」創設のご案内(東京・代々木にて)
                      
              ワシは行けないんです。残念だ
南房総に来ない方、もし聴講されたなら、あとでこのブログにこっそり報告コメントして下さい。
待ってるぞ














戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
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  1. 2016/03/11(金) 20:12:06|
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サ・ト・ミの日 -2016.3.13-

お知らせです。。。

「夏の波濤」原画展、開催日時が決定しました。
挿絵を頂いた山鹿公珠先生のギャラリーsfkで、2月18日(木)~3月14日(月)までの展示。今回は332話より100話分を1期として公開します。残りは2期として公開しますが、詳しい時期はまだ未定です。
IMG_20160206_0001.jpgIMG_20160206_0002.jpg

そして、3月13日(日)はゴロがいい「サ・ト・ミ」の日なので、トーク&ライブが開催されます。
トークはお粗末ながら夢酔が受け持ちます。
更にライブ「春の調べ」として、馬頭琴奏者・美炎mihoさんの演奏。
そして里見香華社中より舞をお届け。
盛り沢山の二時間です。 
IMG_20160206_0004.jpg

馬頭琴奏者 / 美炎 miho 公式サイトにおいても、案内の発表を頂きました。
 http://miho-batokin.com/miho-blog/1820/#comment-677
感謝。



続編再開の弾みになれば幸いです












戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
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  1. 2016/02/06(土) 18:03:10|
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里見氏大河ドラマ化実行委員会HP

里見氏大河ドラマ化実行委員会が運営されるHPがございます。
この左隣のサイドバーにも、リンクの一番上にあるから、御覧頂いた方もおられるのではないでしょうか?
まだの方は、ときどき情報発信しているのでチェックして下さいね?

クリック里見氏大河ドラマ化実行委員会HP

その里見氏大河ドラマ化実行委員会HPをお借りして、連載されていた夢酔の小説が、ここで完結しました。
「冬の光」と題されたそれは、里見義豊から義堯へと移り変わる犬掛合戦へと至る一族の苦悩を描いたもので、この時代の里見氏を描いた小説はあまりないのだろうと思っています。分かりづらいですし、人物も整理できないし、何より通説と異なる解釈が発見されるようになりましたから……。つい先週も、里見氏研究の第一人者である滝川恒昭が講演会をしたばかりで、ここでも新発見が論じられました。
委細は房州日日新聞HP版へ前期里見氏に新史料 滝川氏が研究発表 館山
さて、この難解な時代を採用しつつも、明確なクライマックスとして掲げた犬掛合戦。実は、4月6日に起きたのですね。
あいたた!
数日早くアップできたらタイムリーだったのに。
いえね、HPを管理される方よりお知らせ頂いたのが昨日だったもので。きっかけが遅れて済みません。


犬掛合戦という言葉、里見史においては重要な出来事ですが、初めてという方のために、掻い摘んでご紹介しますね。

〈天文の内訌〉と呼ばれる安房里見氏で発生した内紛がございました。比較して欲しいので、従来説と近年解釈を併記しますね。
これまでの通説
永正15年(1518年)、里見義通が危篤となったとき嫡男・義豊はまだ5歳であった。そこで、義通の弟である実堯が義豊15歳になるまで陣代(後見人)として家督を預かる事になった。実堯は稲村城に入り義豊は支城の宮本城へ入った。ところが、義豊が15歳になっても、実堯は北条氏綱の上総へ侵攻を理由に家督移譲を延期していた。義豊が二十歳になった天文2年になってようやく北条氏の侵攻が収まったため、実堯は義豊への家督移譲を決意した。だが、それとは入れ違いに宮本城では義豊の側近たちが
「実堯は正木通綱とともに息子・義堯を次期当主にすえようと企んでいる」
と讒言。これを聞いた義豊は天文2年7月27日の夜に稲村城を襲撃し、実堯とこれを補佐する正木通綱を殺害した。
上総にいた実堯の子・義堯は、正木通綱の子である時茂・時忠兄弟と連絡を取って敵討ちを画策する。義堯はなんと仇敵である北条氏綱に同盟を依頼した。
翌年、義堯は北条氏綱らの援軍を受け、全軍を率いて上総を出発した。義堯はあらかじめ稲村城への奇襲をするという噂を流し、これを信じた義豊は先手を打つべく出陣する。しかし、犬掛で義堯軍の待ち伏せにあった。突然の奇襲に混乱に陥った義豊軍は潰走し、勢いに乗じた義堯軍は義豊が籠城を図ろうとした稲村城内にまで突入した。このため、稲村城を支える事も出来なくなった義豊は稲村城を脱出したものの進退窮まって自害して果てた。
こうして父の仇を討った里見義堯が非道な義豊に代わり、里見氏の家督を継ぐことになったのである。
最近解釈
永正15年(1518年)、里見義通が危篤となったとき嫡男・義豊は既に元服していて父の代理を務めていた。そこで、義豊は家督を継いで稲村城に入り、叔父の実堯とその子・義堯は上総金谷城に入った。ところが、北条氏綱は上総へ侵攻の最大の障害である義豊を牽制・排除をするために実堯や水軍を掌握するその側近の正木通綱に接近する姿勢を示した。
この動きを見た義豊や譜代重臣らは、小弓公方足利義明の了承の元、天文2年7月27日の夜、実堯と通綱を稲村城に呼んで誅殺した。その後、義豊は直ちに金谷城の義堯を攻撃したが、義堯は正木時茂・時忠兄弟とともに百首城に籠城して盟友である北条氏綱に援助を求めた。
8月、里見(義豊)水軍と北条為昌が派遣した北条水軍が保田妙本寺付近にて衝突、ついで里見水軍は三浦半島を攻撃して北条氏と義堯との連絡を断とうとしたものの、いずれも失敗した。北条軍の援助を受けた義堯は反撃を加えたために9月には安房国内で稲村城に次ぐ要地である滝田城が陥落して、安房国から追われた義豊は一時的に上総の真里谷信清の元へ逃走した。義豊は当時真里谷氏領であった久留里城の支城である大戸城を拠点に再起を図った。翌天文3年4月6日、安房に再び入った義豊は犬掛の戦いで大敗を喫し、戦死したとも自害したとも言われている。
里見氏家督を得た義堯は、7月1日、真里谷信清病死を機に、真里谷信隆の追放に加担。信隆を支援する北条氏綱との同盟をも破棄してしまう。これによって、再び北条氏と里見氏は敵対関係となるのである。

これら一連の政権交代劇は、手っ取り早く云うと、宗家から庶家が家督を実力で奪ったというものになるのでしょう。
そのための理由付けが、従来説だったのではないでしょうか。
とにかくまだまだ奥が深いこの事件。
ひょっとしたら、更に引っ繰り返される何かが発見されるかも知れませんね。
「冬の光」は執筆時点における新解釈のもと、不明瞭な部分を創作で埋めて作成しました。
DSCF3061.jpg
夢酔は里見氏の歴史を、季節に例えて小説化しております。
後期里見氏の視点に縛られているといえば、それまでですね。
この「冬の光」のクライマックスは、2008年に房州日日新聞で連載された「春の國」に直接世界観が接続します。この「春の國」のクライマックスは、数年分の空白を置いて、現在房州日日新聞で連載されております「夏の波濤」へと続いていくのです。
そういう能書きを後付けしておけば、房州日日新聞を愛読されております皆さまも、少しは歩み寄って下さるかしらん。

里見氏大河ドラマ化実行委員会の益々のご発展を、心よりお祈り申し上げます。


ここで、閑話休題。
先日、挿絵画家の会より案内状を賜りました。いつもお声を掛けて下さり、まことに恐縮しきりでございます。そして、いつも都合の一致が困難で、お足を運べず心苦しい限りです。
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挿絵画家の会の皆さまからラブコールが頂戴できるような身の上に、はやく昇華したいものです。
会の益々の発展をお祈り申し上げます。















雑誌「歴史人」のweb版でこんな企画しています。
歴史人公認ブログ隊募集中! http://www.rekishijin.jp/rekishijin-offcial-blog/  
ワシは連載と自分のblogで手一杯だ。
誰か、里見の伝道師となって世に布教してください。about_rekishijin.jpg


<戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
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  1. 2015/04/08(水) 06:55:20|
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【近況】私的なひとりごと

里見家啓発のため、ずっと書いておりますこのblog。
新聞連載に関する小説部分は、実はおおよそ完了しておるのです。必死に頑張っているのは、挿絵の山鹿先生。夢酔も責任を持って、挿絵のための資料を提供しています。前回「春の國」のときは
「挿絵で保たせた小説」
という悪口も甘んじて被り反省しきりでした。今回も、よりハイグレードな挿絵で助けてもらうため、図々しい物云いですが、二人三脚のつもりで全力サポートしています。絵がよければ些末な散文が生きてきます。前回より多少は成長しているつもりですが、校正力がイマイチで、原稿の時に気付かないことが、いざ紙面ともなると、とんでもない言葉となっていることに赤面します。
世の先生方は、本当に校正力が達者で、とにもかくにも肖りたい心地でございます。
DSC00018.jpg

さて。
こうして原稿部分で一区切りがついている夢酔。
このまま足踏みしていても、仕方がございませぬ。実は昨年から、新作のための準備を、着々と進めてございました。ええ、連載がスタートする頃から、取材や資料の解釈によるプロット作りをしていたのです。
里見とは関係ないのかも知れませんが、
今日は夢酔藤山という輩の近況を知ってくださいませ。

館山城趾に、面白いモノがあるんですが、皆さん御存知?141019_074436.jpg
141019_074448.jpg
ああ、あったな。
気がつきましたか?
富士講のことが記してありますが、ようするに甲斐国とのつながりを意味しておいでです。小御嶽神社は富士吉田から5合目にある祠。小御嶽神社 - 富士山五合目観光協会公式ホームページ
現代では自動車でバビュッと行ける場所ですが、むかしは頑張って歩いたのです。いまはレジャーの富士登山、むかしは信仰の登山でした。
お恥ずかしながら、夢酔もレジャーしたことがありましてね……富士山、いいですね~
P8190351.jpg
でも、ここでは、ヤマノススメをしている訳ではございません。この富士講の土地、甲斐国郡内についてお話しします。甲斐といえば、云わずと知れた武田信玄の國。「夏の波濤」では織田信長の登場した冒頭で武田家滅亡を描きましたが、その後の本編で武田旧臣や血縁者がたくさん登場します。里見とは無縁ではございません。
この郡内と呼ばれる地域は、武田家と同盟関係にあった小山田家の支配領域。
富士講の世話をする御師と呼ばれる人たちの管理もしていたのではないでしょうか。そのあたりは独学中ですが、とにかく小山田家は、武田と両輪の如く存在したのです。信玄の時代、武田が圧倒的なカリスマ為政者となり政治ピラミッドの風下に立たされることもありましたが、原則、家臣の顔をした同盟者。信長に対する家康のようなイメージでいいんじゃないかな。
新作は、この小山田家が郡内で君臨した最後の当主である小山田信茂を取り上げています。

はい、質問。
小山田信茂の印象は、どうですか?

ここは里見ばかり推進してきたので、里見ヲタがたくさん観ていると思います。武田のことなんか知らないという声も多いので、答えちゃいますが、殆どの方は
「悪印象」
ではないでしょうか。
武田家最後の当主・勝頼が逃れ逃れて、ようやく匿われる予定だった岩殿城へ至る道を閉ざして滅亡に追いやった裏切り者。これが小山田信茂の印象なんです。
このことは、長い間、一部では反論の声になっていました。
郡内を戦火に巻き込まない政治的なものだったんだ。
でも、武田信玄を古今無双の英雄に受け止めている山梨の人たちにとって、土壇場でノーサンキューした態度は受け容れがたいものがあるのでしょうね。だから怒りの矛先が向いてしまう。

余談ですが、夢酔と小山田信茂は、ひょっとしたら御縁があったのかも知れないのです。
バックトゥザ数十年前。夢酔は駅伝で有名になる前の、山梨学院大学の学生をしていたことがあります。当時は頭が悪かったので、ここしか行けないよと高校教師に勧められたのですね。いまは立派な進学校ですが、当時はアパートを借りるのも一苦労でした。山梨大学の学生ならいいけど、学院ならお断りなんて云われたこともありました。まあ、横道でしたが、この当時、山梨学院大学で文化人類学という授業の教鞭をとっておられたのが、小山田了三先生。そう、小山田信茂の子孫にあたる御方でした。その頃は小説を書こうなんて思ってもいませんでした。ただ、歴史好きが開花したのは、紛れもなく、この武田信玄の國で衣食住を繰り返した賜であることは事実です。これが、夢酔の小説書きへ至る原点だと思っています。
とにもかくにも、当時は無関心だから、世間から評判をきくわけです。
あの小山田先生の前で
「信茂は武田を裏切ったと云ってはいけない。こっぴどく叱られるからな」
このことは当時一介の学生だった夢酔が知っていたくらいですから、よほど評判だったのでしょうね。
やがて、卒業して、四方山としながら誰の師事もないまま独学で小説を書きため、ようやく人様の目に触れても(多少は)恥ずかしくない散文を書けるようになった頃、夢酔の心に芽生えたものがありました。
いつか、武田に関するものを書きたい。
これは、忘れてはいけない原点だったようです。
里見の小説の中に、不自然にならない程度で武田旧臣をまぶしているのも、オマージュのようなものです。もっとも、時代背景としては、決して無理のないものです。
里見の御縁で懇意にさせて頂いております全国里見一族交流会。あれは、2012年4月13日の里見城跡が国指定史跡になったシンポジウムの祝賀会のことです。その席に、山梨学院大学の先生がおりました。あの当時もたしかおられました。別田で発掘やるから学生手伝えみたいなことを発していたような覚えがあります。(行きませんでしたけど
甲斐国のことを忘れていた自分に気がつきました。
まあ、学生と教諭程度の御縁なら、世間では吹くほどのよくある話です。この小山田信茂については、その後、更なる御縁に行き着きます。
御存知の方も多いと存じますが、夢酔の作品で唯一の近代を扱った「聖女の道標」という作品。日本赤十字病院看護婦・萩原タケの物語です。新聞連載スタートと同時に、市民劇団の舞台にしたいから脚本書いてというお話しを頂いたのが、現在の劇団き楽座主宰者。当時はまだ劇団はなかった。夢酔の脚本ありきで人が集ったのですが、まあ、舞台向けに書いた経験がないので御粗末なものをという恥ずかしさしかないのですが、この主催者さんは地域向けの新聞折込紙を発行しているんですね。この折込紙に、かつてコーナー連載していたのが、あの小山田了三先生。なんと、数十年ぶりに聞くお名前、小山田先生は夢酔と同じところの市民だったのです。でも、お会いする機もなく、小山田先生は既に御他界されておりました。
でも、志は生きていたのです。
郡内を戦火に巻き込まない政治的なものだったんだ。
小山田家は武田家を裏切ったのではない。
ご家族がこの意志を形にしたいのだという想いがあることを、劇団き楽座主催者から、随分前から耳にしていました。
何か、形にしたい。
でも、レッテルって、容易に剥がれませんね。
それでも日本の歴史研究は、この20年で大きく見直しがされています。
夢酔が山梨学院大学生だった頃は、もうひとつ、武田勝頼は諏訪の人間で信玄の跡を潰した元凶という声もありました。それ、今は大きく再評価されましたよね。いまでは信玄に匹敵する名将とまで云われています。温度差、激しいですね。
石田三成も明智光秀もそうです。評価は引っ繰り返された。豊臣秀次も殺生関白どころではないことが見えている。かくいう里見の正史も、この20年で新しい発見や誤解も見つかりました。それでも八犬伝に勝てていないだけで、もう里見正史も充分に論じることが可能な物証さえあります。
小山田信茂にも、その日がきたっていいんじゃないですか?
劇団き楽座主催者を介して小山田了三先生の奥様を紹介されたのは、たしか一昨年くらいか。
いろいろお話ししているうちに、世間に評価を見直される方法はないものかということになって、ならば地域に種を蒔くところから始めたらということになりました。すなわち大月や都留といった、かつて郡内とよばれた地域の人たちさえ信じてしまった「逆心」の誤解を解くこと。でも、気がついたら、夢酔が再評価の小説をやってみようかという話になっていました。
発表先は決まっていませんが、まず形を作ってみないと始まらない。
いつか、武田に関するものを書きたい。
このときが来たように感じました。
従来の通説から外れるためには、信玄サマサマの視点だけではいけない。郡内目線も必要だ。小山田家臣団の事蹟は?民衆の生活は?気候風土、そうだ、御師や信仰。この初期調査のために、地道に文献や現地に足を運びました。山梨県立博物館におかれましては、繰り返し的違いな質問もあったりで、ご迷惑をお掛けしただろうなと思っております。
特に去年に関しては、丸島和洋先生の講演会を聴講させて頂きました。学術的には、丸島先生の積み重ねたものが一番の背骨になると感じております。御師住宅を実際に拝観して、当時の信仰を考察しました。松姫逃走経路も必要になり、このときは小山田家の母子同伴で八王子の信松院へ取材に赴きました。収蔵甲冑が大月市市民文化祭で展示しているので是非という連絡は、例の高野山のときに承り、ツアー終了後、富浦ICから大月ICまで大返ししたこともありました。
地味に、積み重ねました。
でも、小説にするときは、作品が固くならない工夫を必要とします。
小説は学術書ではございません、所詮は、創作の産物となるわけです。
様々な創作を思考し、それに進みたい筋書を練り合わせてプロットにしていく。このプロットがおおよそ基本形にまとまったのが師走の暮れ。そこに肉付けをしていくのです。

夢酔の手法は準備稿を作成しとりあえず全体の起承転結をつけます。
そこから考証や方言や表現やタブー削除や、それらのために変更せざるを得ない物語の差し替え、なんだかんだで二稿三稿まで積み上げていくのです。時間かけすぎでしょ?不器用ゆえの作風です。もっと効率いい方法があればいいんですけどね。その割には校正がおろそかになってしまう。「夏の波濤」はそこが不十分だと反省しています。
正月から準備稿に着手しています。
スタートから2ヶ月以上要したのは、物語の始まりを、勝沼大善寺勧進能からと思ったからです。大善寺も取材しています。メールで意見を賜りましたし、直接お声を承りました。が、勧進能があったということ以外の詳細がわからないのです。なにより演目も解らない。ここは創作の許されるところだろうか、キラリン ところが、甘くなかった。能楽素人の夢酔は物凄い苦労させられた訳です。スタートから、なんとハードルの高いことか。一度くらい観劇したくらいでは、能の心なんて解らないものです。そこで、ふと気がつく。誰もこういう場面を描かないのは、わざわざ自分から地雷原に踏み込む者がいないからなのだろう。夢酔のように無防備のまま土足で踏み出すうつけ者は、普通はいないのでしょうね。

なんだかんだで、里見の連載を皆さまにご披露しつつも、次回作の種を蒔き、芽を出させて栽培し世にご披露仕る。こういう面倒くささが、けっこう楽しくなってくるから、因果な稼業だなと思ってしまいます。
いや、考えていないな。
考えたら、やってらんないかも知れない。
少なくとも、世に出れば、常に批判に曝されます。
おれの知ってる史実とは違う
あいつは勉強不足だ
何の権利でおれの先祖を辱めるか
謝ってください

こういう声が必ずあります。あってもおかしくないんです。長い歳月に根付いた個々の価値観や認識や信じる心は、等しく十人十色。自分と異なるものに猜疑を抱くのは、世の常です。

ゆえに、お願いをしているところです。

四方山の御指摘ありがとうございます。
浅学の御教授ありがとうございます。
皆さまと異なり広く浅いため認識が薄くて申し訳ございません。
たかが創作読み物として、どうか楽しんでお読みいただけましたら幸いです


専門家にはどうしても勝てません。
これだけは現実です。

でも。
とりあえずは、ここでも、房州日日新聞でも、まだまだ里見は続いております。
どうか温かいご声援を賜りましたら、夢酔は嬉しいです。褒めて伸ばしてくださいませ



ここでお知らせ。
左サイドバーのリンクにも貼りますが、小山田信茂のことを紹介します。
郡内小山田家の伝来品と収集品/小山田了三のミュージアム
クリックしてね
近々、収蔵品展示のお知らせが出来るときが来たら、またこの場でお知らせします。
昨日、そのお話しを聞いたばかりです。
楽しみだ。

付録
小山田取材旅ショット(の一部DSCF2371.jpg        この安宅舟木造の資料は、「夏の波濤」挿絵用に資料供出もしています。
DSC00020.jpgDSCF2043.jpgDSCF2267.jpg                                     現在の富士吉田街区の基礎は元亀三年、小山田信茂の移転によるもの。
DSCF2266.jpgDSCF2055.jpgDSCF2338.jpgP4210203.jpgDSCF2276.jpg       大善寺薬師堂と稚児堂(左)この稚児堂が能舞台ですね

そして、昨年12月。
高野山京都
       大月
DSCF2927.jpg里見の合間に頑張ってます~

それから。。。これもはじまった。150302_212801.jpg

夢酔って、けなげ……
もっと働け~

いいんです。
求められているうちが花なんです。
謙虚な気持で、貪欲に、がモットーです。


今回は、里見のことを差し置いて、近況語りをしました。
哀れと思ったら、コメントで慰めてください。HPが少し回復します。たぶん










追伸
雑誌「歴史人」のweb版でこんな企画しています。
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ワシは連載と自分のblogで手一杯だ。
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